市場の統合問題なんてどうだっていいと思えるくらいの未曾有の震災・・東日本大震災が起きたのが、3月11日でした。
震災後、計画停電があったり、物不足が生じたりと、市場の中も大騒ぎでした。
そんな中、共栄会は4月1日より 協同組合横浜南部市場共栄会 と、変わりました。
同時に、被災地への支援が何かできないかと考え、市場で救援物資を集めだしました。
初めは小さな活動でしたが、市民の皆様の多大なる協力のもと、たくさんの物資が集まりました。
何回か被災地へトラックでの物資搬送。
いろいろな人のつてをたどりながら、物資を受け取ってもらえるところを探しては運ぶという繰り返しでした。
そして、今回の宮城県女川町での「復幸市」への参加となりました。
共栄会でというよりは、南部市場全体で被災地の復興に役立てればという思いでの協力となりました。
新聞記事もいろいろと取り上げてくれました。
「復幸市」に関連した記事をいくつか紹介します。
女川で「復幸市」 南部市場が協力 2011年05月03日 朝日新聞
東日本大震災で被災した宮城県女川町で4日、復興に向けた「おながわ復幸市」が開かれる。横浜市中央卸売市場南部市場(横浜市金沢区)の業者らも協力して海産物や青果を現地に運び、炊き出しや格安での販売を行って、町に活気を取り戻す第一歩を目指す。
南部市場には、業者らでつくる共栄会が市民から募った支援物資を4月初旬に現地へ届けていた縁で声がかかった。水産や青果の仲卸団体も資金や物品を持ち寄って協力することを決めた。市場が閉まるGWに重なるため鮮魚の入手は難しいが、真空パックのカツオや、サンマなどの干物、果物、調味料、牛乳などをトラック2台に積み込んで、3日夜に横浜を出発する。
復幸市は4日午前10時から同町の女川高校グラウンドで開かれる。宮城県内の飲食業団体や観光関係者など計15団体が協力して、支援物資が届きにくい在宅避難者のため炊き出しや、野菜の格安販売をする。
共栄会の柴岡義幸さんは「女川は今もがれきだらけだが、新鮮な魚であふれていた港の活気を一日も早く取り戻すため、少しでも力になりたい」と話している。 (古沢範英)
商店街再生へあす「復幸市」 宮城・女川 2011年05月03日火曜日 地元紙
津波で甚大な被害を受けた宮城県女川町の経済団体でつくる町復興連絡協議会が4日、「おながわ復幸市」を女川高グラウンドで開く。県内外の農協や卸売市場の関係団体などの支援を受け、物品を販売。再生を目指す商店関係者らの心意気を示す。
女川町商工会青年部や地元の水産加工会社をはじめ町内外の15団体が参加し、農産物やサンマの炭火焼きなどを販売する。ご当地ヒーローによるゲーム大会など子ども向けイベントも予定している。
県内の農協が農産物を提供するほか、横浜市中央卸売市場南部市場の関係者が果物やカツオの切り身、ベーコンなどを持ち込む。全国の建設業関係の団体による炊き出しもある。
復幸市は「地元商店も被災で意気消沈しているだけではないことを示そう」と発案された。当初はコンビニエンスストアの店舗前などでの小規模な開催を想定したが、支援の輪が広がり、急きょ別会場を用意した。
協議会は「住民に町内で買い物を楽しんでもらうとともに、仮設店舗などによる今後の商店街復活に向けた第一歩にしたい」と意気込む。
横浜市民に物資提供を呼び掛けてきた横浜市中央卸売市場南部市場の関係者は「今後も復興を目指す地元の人たちを手助けしたい」と言う。復幸市は午前10時~午後3時。
宮城・女川町で“復幸市”5月4日 12時48分 NHKニュース
宮城県女川町で、震災からの復興を目指して「復幸市」と名付けられた青空市が開かれ、避難所で暮らしている人たちなどでにぎわいました。
この青空市は、女川町の商工会の青年部などが、町の復興と住民の幸せを願って幸福の「幸」の字を使い「復幸市」と名付けました。会場の女川高校のグラウンドには、町内の商店主や県外から訪れたボランティアなど22の団体が集まりました。津波の被害を免れた特産のサンマや、ボランティアが作った串カツ弁当などが無料でふるまわれ、長い列ができていました。また、町内では手に入りにくくなっている新鮮な野菜やしょうゆなどの調味料も販売され、避難所で暮らしている人たちなどが久しぶりの買い物を楽しんでいました。女川町によりますと、町は最大18メートルの津波に襲われて住宅の7割が全壊し、458人が死亡、693人の行方がいまだに分からなくなっています。「復幸市」を主催した女川町商工会青年部の阿部喜英さんは「避難所生活は不便だが、きょうは買い物を楽しんで、復興に向けて元気を取り戻してほしい」と話していました。
東日本大震災:にぎわい取り戻せ、横浜の関係者が提案の「おながわ復幸市」開催/宮城県女川 神奈川新聞
東日本大震災の被災地、宮城県女川町で4日、地元商工業者らが復興への願いを込めた青空市「おながわ復幸市」が開かれた。全国から日用品や食材が集められ、町は久しぶりの活況を呈した。横浜市内からも市場関係者や市民が駆け付け、買い物客に威勢のいい掛け声を響かせた。(吉田 太一)
「復幸市」は、商売のにぎわいを取り戻し、復興への足掛かりにしたいとの考えから、地元商工団体や漁業団体などでつくる「女川町復興連絡協議会」が主催。町内外に出店を呼び掛けた結果、約20団体が参加した。
横浜市中央卸売市場南部市場(同市金沢区)の食品関連業者でつくる協同組合「南部市場共栄会」に対しても、被災地に支援物資を届けていた縁で声が掛かった。
共栄会の関係者ら23人は4トントラック1台を含めた計5台のワゴン車などに分乗して到着。会場では真空パックのカツオやサンマなどの干物、調味料、牛乳などを格安で販売したほか、一般の人や同業者から寄せられた青果物や衣料品なども無料で提供した。共栄会の和田實理事長は「形は変わるだろうが、まだまだ支援は必要。活動の輪をもっと広げていきたい」と話していた。
青空市の発案者の一人は、横浜市西区在住の高橋佳町さん。母親の実家が女川町で同町に親類が暮らす関係で、震災後に訪れ、高齢者が買い物に不自由している窮状や、復興への動きが進まない現状を聞き、「まずは小さくてもいいから、屋外で市場を催しては」と女川町商工会青年部のメンバーに提案したことが開催につながった。高橋さんは「今回のイベントで、自信をつかんでくれれば」と期待していた。
復興連絡協議会の阿部喜英さんは「多くの協力者のおかげで、復興への一歩を踏み出すことができた。手応えを感じた。地元商売への活性化につなげていきたい」と話していた。
女川町によると、町は最大18メートルの津波に襲われて、5月5日現在、町内住民だけで339人が死亡、692人がいまだに行方不明という。
南部市場が被災地の復興の手助けをするということは、自分たちの市場も元気にしなければなりません。
南部市場が元気で頑張らなければ、被災地を支援することなどできません。
支援活動をすることで、たくさんの人たちと関わるようにもなりました。
様々なつながりを大事にしながら、これからも共栄会は頑張り続ける責任があることを忘れてはいけないと思います。