弁護士辻孝司オフィシャルブログ

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台湾訪問記その15・死刑制度廃止検討委員会視察 2019.9.2.-9.4 -裁判傍聴

2019-09-23 09:45:01 | 日記・エッセイ・コラム

法務部は、台北地方裁判所と同じ建物(玄関が別の場所にあります。)なので、法務部を訪問した後、台北地方裁判所に行って裁判を傍聴してきました。

裁判所玄関は結構地味です。

 

 

日本と同じく、裁判は公開が原則なので、誰でも傍聴することができます。

日本と違うのは、公開原則を徹底するために、開廷中も法廷の傍聴席ドアが開け放たれています。

そのため、廊下の雑音が法廷の中にも入ってきて少々騒々しいのですが、いつものことなので裁判官たちも何とも思っていないようです。

 

2件の裁判を傍聴しました。

 

1件は女性被告人の詐欺事件の公判、証人尋問をしていました。

言葉がわからないので具体的な内容はわからないものの、刑事裁判なので、だいたい何をしているのかはわかります。

証人尋問でありながら、検察官が証拠書類を見ながらずっとしゃべっていて、証人はあまり話す機会が与えられません。

裁判官の手元にも膨大な記録があり(職権主義だから、裁判所にすべての記録が送られて、裁判官は公判前に証拠をすべて見てしまっているようです。)、

裁判官もいろいろ話をしながら尋問が進みます。

弁護人の反対尋問では、若い男性弁護士が質問するのですが、裁判官がどんどん介入してきます。

裁判官と弁護人が議論になり、最後は、裁判官が「もういいですから、次の質問に行ってください!」という感じで吐き捨ると、弁護人は引き下がって次の質問を始めました。

(という雰囲気です。)

ベテラン裁判長にやり込められる若手弁護人という構造は、日本も台湾も同じですね。

法廷では速記がとられていて、大きなスクリーンにその速記録がリアルタイムで表示されます。

裁判官、検察官、弁護人は、尋問中もその速記を時々確認して、誤りがあれば修正を求めます。

なので、尋問が丁々発止という感じならず、緊張感がありません。

 

もう1件は、黒人男性が被告人の薬物取引に関する事件、共犯者がいるようで、共謀しているかどうかが争点のようです。

ただ、公判ではなく、日本でいうところの公判前整理手続のような準備手続でした(公開されていました。)。

被告人の横に女性が座っているので弁護人かと思ったら、その人は通訳人で、弁護人はいませんでした。

外国人の要通訳事件、しかも否認事件にもかかわらず、弁護人無しってどうなんでしょう?

(今回の視察では調査対象事項ではありませんでしたが、国選弁護対象事件については日本の方が進んでいるようです。職権主義の国だからでしょうか。)

証拠となっている携帯電話について、

裁判官が「この携帯電話を証拠にしていいか?」と質問するのですが、

被告人は、「その携帯電話は、逮捕された時に自分が持っていたが、自分の携帯電話はもう一つの方で、その電話は友人の携帯電話だ」と答えます。

それで、裁判官が、「いや、そういうことを聞いているのではなくて、押収されるときの手続きに違法があったと主張するか?」と聞きなおします。

しかし、被告人はやはり、「その携帯電話は僕のものではない、友人が使っていたものだ」と同じように答えます。

裁判官は証拠能力(違法収集証拠)のことを聞いているのですが、被告人は関連性・証明力について意見を述べていて、質疑応答がかみ合いません。

弁護人を付ければいいのに... 

 

台北地方裁判所に下のようなポスターが貼ってありました。

「国民法官初體験」と書いてあります。

「国民裁判官、初体験」ですね。

その上には、日本でも見たことのあるようなイラストが描かれています。

そうです、台湾でも日本の裁判員制度のような国民が刑事裁判に参加する制度を作ろうという動きがあるそうです。

この国民参加型刑事裁判については、台北弁護士会の皆さんとの懇親会でも話題に出ていました。

台北弁護士会としては導入に反対しているそうです。

台湾法務部は制度設計を検討するにあたり、日本から裁判員制度の制度設計に関わった学者2名(東大、京大の御用学者です。)を招いたそうです。

その2人の学者の意見に基づいて、日本とまったく同じような裁判員制度が法務部の案として作られました。

(だから、ポスターは、裁判官3人と裁判員6人なのですね。)

ところが、日本と同じような制度としてしまうと、証拠開示が現状よりも大きく制限されてしまいます。

日本と違って、台湾の刑事訴訟法は職権主義を原則としています。(日本は当事者主義です。)

職権主義では、裁判が始まる前に捜査記録・証拠がすべて、検察官から裁判所に送られます。

弁護人は裁判所でそれらの記録をすべて見ることが出来ます。全面的証拠開示ですね。

ところが、裁判員裁判になってしまうと、日本と同様に起訴状一本主義が採用され証拠は検察官の手元に残ります。

公判前整理手続の段階で、請求証拠開示、類型証拠開示、主張関連証拠開示という三段階の証拠開示しか認められなくなります。

弁護人としては、これまでならすべての証拠を見ることが出来たのに、裁判員制度になってしまうと開示される証拠が限定されてしまうことが到底納得できないということでした。

もし、公判前整理手続を導入するのなら、公判前整理手続担当裁判官と公判担当裁判官を分離して、公判前整理手続ではすべての捜査記録・証拠を裁判官にところに送り、弁護人もすべての証拠にアクセスできるようにしなければならないとお話になっていました。

ごもっともです。

 

オーストラリア・韓国でも刑事裁判を傍聴しましたが、どこの国でも、結局、刑事裁判って同じようなもんだなあと思いました。

 

 

 

 


台湾訪問記その14・死刑制度廃止検討委員会視察 2019.9.2.-9.4 -法務部訪問

2019-09-22 13:37:02 | 日記・エッセイ・コラム

台湾視察の最終日は、法務部(日本の「法務省」を訪問してきました。

【玄関前が工事中でした】

 

法務部では、法務部政務次長(日本でいう「法務省副大臣」です。)が対応して下さいました。

また、私たちが、死刑制度に状況について知りたい、死刑囚の処遇について知りたいというリクエストをしていたことから、

法務部矯正署長(刑務所での処遇の最高責任者です。)、4名の検察官(+通訳の方)が出迎えてくださいました。

 

【陳明堂法務副大臣です。】

死刑のことについて、陳副大臣自らが詳しく説明して下さったのが驚きでした。

日本で副大臣というと、非専門家で、官僚に教えてもらわないと何もできない国会議員がなっているというイメージですが、陳大臣は検察官からのたたき上げの方です。

ですので、私たちからの質問にも、周囲の部下にほとんど確認することもなく答えておられました。

陳明堂大臣のプロフィールはこちらです。

 

陳副大臣の話は次のようなものでした。

台湾では、死刑はステップバイステップで廃止の方向にある。

法務部内にも死刑廃止を検討するチームがあり、国連自由権規約を国内法化したのでそれに従って検討を進めている。

今は、絶対的死刑(法定刑に死刑しかない罪名)はなくなり、すべて相対的死刑(死刑以外の刑罰を選択できる)になった。

今、法律上、死刑が残っている罪名についても死刑の必要性を検討している。死刑となる罪名を増やしてはならないと考えている。

捜査・審判(裁判)・執行の過程でも慎重にし、なるべく早い段階で精神鑑定も実施している。

実際に執行数はとても少なくなっている。

 

蔡英文政権になって、2人の死刑囚の執行をした。

2016年の執行はMRTで怒った大量無差別殺人事件、精神鑑定も行われて問題ないということで執行された。

2018年の執行は妻と子の二人を殺害した殺人事件

どちらも凶悪な事件で、世論の死刑にしろという声が強かった。

 

2006年以降、死刑執行は慎重になった。

死刑になる事件は、必ず最高裁まで審理が行われる。

判決が確定すると、訴訟記録はすべて最高検に送られてくる。

最高検で再審・非常上告の可能性を審査し、それらの可能性がないということになれば法務部長(法務大臣)のところに記録が送られてくる。

法務部長は参事に事件を審査させ、参事はその結果を法務部長に報告する。

さらに、実際に死刑を執行するためには、再度、再審、非常上告、憲法裁判の可能性がないか、精神状態に問題がないかの審査を行う。

そして、情状を考えて執行するかどうかを判断する。

総統には恩赦の権限があるので、総統にも執行に付いてお伺いを立てることになる。

そこまでして、すべて問題ないということになって、初めて執行される。

執行は、高等検察庁の検察官が担当している。

(実はこういう具体的な手続の流れは日本ではブラックボックスの中にあります。陳部長がスラスラと説明してくれたことは驚きでした。)

 

【黄俊棠矯正署長です。】

矯正署長から、死刑確定者の処遇について教えていただきました。

死刑確定者については、精神状態の安定のための処遇をしている。

教誨を実施し、民間の心理士、有識者、学者、弁護士などのボランティアが個別教誨を行っている。

団体での宗教協会も行っている。

動物を飼うことも認められており、それによって生命を重視するという教育を行っている。

また、刑務所で作成した生命に関する番組も見てもらっている。

図書を借りる制度もあるし、一般受刑者と一緒に音楽や書道といった活動にも参加している。

修復的司法も取り入れている。

テレビ・ラジオも持つことが出来るし、写経をしている人もいる。

医療については、一般市民と同じ健康保険が適用されている。

死刑確定者については外部交通は緩やかで、弁護士の面会には制限はないし、家族は週2回(1回30分)の面会ができ、必要があれば増やすこともある。

春節や母の日には特別な面会が認められていて、アクリル板や格子越しではなく、直接会うこともできる。

携帯電話での面会も可能だということです。

 

【ドラマに出てくるようなイケメン検察官です。東大に留学していたということで日本語ペラペラです。】

 

陳副大臣からは、執行のことについてさらに教えてもらいました。

執行する時期は秘密で、本人にも家族にも事前には知らせず、執行後に家族に通知し、マスコミに公表するそうです。(日本と同じです。)

死刑廃止連盟などから事前に知らせるように要望されているが、事前に知らせてしまうと再審や非常上告を出されてしまって執行できなくなる、だから知らせることはできないということです。

(とても正直な説明です。再審中、非常上告中は死刑は執行しないということです。日本でも事前告知はされませんが、その理由について説明されることはありません。また、日本では、最近は、再審請求中でもお構いなしに執行されてしまいますので、再審を出されると困るから事前告知しないという理由は通用しなくなっています。)

米国では本人に事前告知するし、執行時期が公表もされているということは承知しているが、台湾ではそのようにはなっていないと、海外のこともよくご存じでした。

(諸外国の死刑の状況について、法務部でいろいろと調査・研究されているのだと思います。)

7、8年前までは、執行後の臓器提供が出来たそうですが、臓器提供するとなると事前に医師に執行を知らせることになり、マスコミにも情報が漏れてしまうので、今は臓器提供ができなくなったということです。

 

【訪問記念に刑務所で受刑者が作成した魔除けの壁飾りをいただきました。シーサーみたいな感じです。)

 

そして、最後に、「法務部としては死刑廃止に進んでいきたい」とはっきりとおしゃっていました。

台湾法務部のHPを見ると死刑廃止に関する台湾法務部の方針」が公表されています。

基本方針の前文は次のとおりです。

「死刑は報復の理論に基づいており、国家権力が有罪判決を受けた犯罪者から生きる権利を奪い、社会から永遠に引き離します。

死刑は残酷であり、刑罰は教育を包含するべきであるという概念に反するため、死刑の廃止は徐々に世界的な傾向となっています。

多くの民主的先進国は、死刑を完全にまたは条件付きで廃止しました。

死刑を完全に廃止するかどうかは、社会の発展、法と秩序の概念の成熟度、国民のコンセンサスとサポートにかかっています。

近年の世論調査では、回答者の約80%が一貫して死刑の廃止に反対しています。

ただし、量刑の上限の引き上げや終身刑の仮釈放の条件などの補完的な措置が含まれている場合、反対は40%に低下します。

補完的な措置と教育を考慮すれば、報復としての死刑についての一般の支持は明らかに方向転換され、

死刑の段階的廃止について一般的なコンセンサスが形成される可能性があります。

 法務省は広範な議論と研究を用いて廃止に関する一般的なコンセンサスを形成し、しかる後、既存の法律に必要な改正を提案して、治安を維持しながら人権保護を拡大します。」

 

代替刑や教育刑について全社会的議論と研究を重ねて、国民の理解を促進して、法律上の死刑廃止をしようということですね。

台湾では、こうした死刑廃止の方向性を法務部が明言しHPで公表しています。

日本より相当進んでいます。

台湾は、中華人民共和国との関係があるため、国連に加盟することができていません。

正式な国家として国交のある国はわずかです。(最近もソロモン諸島、キリバスと国交が断絶されたと報道されています。)

そうであるからこそ、台湾は国際社会の中で国家として確固たる地位を確保するため、国連人権規約を国内法として整備し、国際的にもっとも進んだ人権水準を実現しようとしています。

戦後、間もなく世界の中で経済的に確固たる地位を築いてしまったがために国際社会の声に耳を傾けずガラパゴス的人権保障で良しとしながら、他方で国連の非常任理事国入りを常に伺う日本とはずいぶんと違います。

 

記念写真】

法務部のお決まりのポーズは右手親指を立ててGood!という感じですね。

でもイケメン検事は、そんなポーズをしてない....

 

 

今回の法務部視察は、前日にお世話になった政治大学の林超琦副教授のお兄様である林超駿教授(台北大学法律学院)のアレンジです。

私たちの視察スケジュールをご覧になって、死刑廃止を推進する立場の人ばかりから話を聞くのではなく、死刑を行っている側の人の話も聞いた方がいいでしょうとアドバイスをいただき、アレンジまでしてくださいました。

林超駿教授は、以前は台北大学法学院長(法学部長)として中央大学法学部と学術連携協定を締結されていますので、中央大学の方はご存じかもしれません。

林兄妹のお父様である林永謀氏は元大法官(最高裁判所・憲法裁判所の裁判官)だったということで、法曹の世界では一目置かれているようです。

ということで、私たちのためにわざわざ副大臣を筆頭にそうそうたるメンバーがお出ましいただき、厚遇していただくきました。

日本で、私たち京都弁護士会の死刑廃止検討委員会のメンバーが霞ケ関の法務省を訪問して、死刑について話を聞きたいと申し入れたらどうでしょう?

きっとまったく相手にしてもらえないでしょう。

理由付けて断られるか、返事すら来ないか、あれこれ厳しい条件を付けられるか、質問してもろくに答えてもらえないかというところでしょう。

それが、台湾という外国で、副大臣まで出てきて話をしてくれたということは本当に貴重な経験です。

林超駿教授、本当にありがとうございました。

 


台湾訪問記その13・死刑制度廃止検討委員会視察 2019.9.2.-9.4 -台湾事情

2019-09-21 14:36:44 | 日記・エッセイ・コラム

視察報告は少し休憩して、台北旅行をする人にも役立つ情報を。

 

【フライト】 

今回は、チャイナエアライン(中華航空)で、関西国際空港から台湾桃園国際空港へのフライトでした。

関西国際空港では、メインの第1ターミナルからの出発になります。

4階の国際線出発フロアに着いて、チェックインカウンターはどこだろうかと探すと、一番端っこのHカウンター、歩いて端まで行かなければなりません。

その位置を見て、ふと思い出しました。

ANAで働いていた当時、私は、昔の羽田空港に勤務していました。

成田空港が出来て、国際線はすべて成田空港に移り、羽田は国内線用の空港になりました。

ところが、チャイナエア1社だけが羽田空港に残って、ホノルル行きの国際線を飛ばしていました。

中華人民共和国と日本が国交を樹立したため、日本政府が配慮して、チャイナエアだけは羽田に残して成田には乗り入れさせなかったのでした。

関空でも一番端に追いやられたチャイナエア、やはり、同じような配慮が働いているのかもしれません。

フライトは快適で、あっという間に台湾桃園国際空港についてしまいます。

 

【台湾桃園国際空港から台北市内へ】

MRT(地下鉄)に乗って、台北市内中心部に行くことが出来ます。

値段は150台湾ドルですので約530円くらいです。

到着ロビーを出た目の前に案内所があり、そこで、チャージできるICチケット(悠遊カード)を買いました。

普通のカードタイプもあるのですが、キャラクターものもあり、私はおもしろがって、下のようなトイストーリのキャラクターをかたどったチケットを買いました。

キーホルダーになっています。

ICチケットを購入するのに100台湾ドル(私が買ったのはキャラクターものだったので150台湾ドルくらいしました。)かかるのですが、台北市内でMRTの乗車に使うと、運賃が2割引きになるということなのですぐに元は取れてしまいます。

MRTは、特急と普通があり、特急料金はかかりません。どちらも15分間隔くらいで来るので待つこともほとんどありません。

特急だと40分、普通列車だと50分で、台北駅に着きます。

私は間違えて普通に乗ってしまったのですが、まあ、そんなに時間に違いはありませんでした。

ただ、特急は、進行方法に向かって座るシートなのですが、普通列車はベンチシートです。

ちょっと待っても特急に乗った方が快適です。

 

 

【台北市内 MRT】

台北市内は、MRTが網の目のように走っています。

次から次に列車が来て、ほとんど待たされることはありません。

あと何分何秒で来るという表示が出るので、イライラすることもありません。

清潔で、安全な地下鉄です。値段も安い。

路線ごとに色分けがされているので、どれに乗ればいいのかというのもすぐにわかります。

どこに行くにしても、一番わかりやすくて、便利で、安いです。

 

【台北市内 タクシー】

黄色くて行燈のついたタクシー、一目でタクシーだとわかります。

間違えて、白タクに捕まる心配などありません。

メーターもついています。

値段もお手頃です。チップも払っていません。

ホテルから故宮博物院まで、結構な距離をタクシーで行ったのですが、280台湾ドルくらいでしたので1000円ほどです。

タバコ臭くもなく、車はきれいです。

ただ、渋滞したりするので、MRTで行ける場所ならMRTの方が早いです。

 

【台北市内 路線バス】

たくさん走っています。

旅行者には乗車はなかなか厳しいのですが、googleマップで、検索すれば路線も時間も出てきます。

故宮博物院から帰ってくるときは、路線バスを乗り継いで帰ってきました。

運賃は、MRTと同じ悠遊カードで支払えるので心配ありません。

でも、やっぱり路線は複雑ですね。

 

【アイスモンスター】

あちこちマンゴーとかき氷だらけなのかと思っていたのですが、意外に見かけません。

ちゃんとターゲットを絞って行かないと、美味しいものは食べられないようです。

視察後、みんなでタクシーに乗って「アイスモンスター」という一番人気のかき氷屋さんに行きました。

とても大きいので、一人で食べるのはハードルが高そうでした。

ので、二人で一個頼んだのですが、それでも十分。

そういう人も多いようで、お店の人も嫌な顔はしません。

確かにおいしかった。氷の部分もマンゴーです。

 

マンゴーかき氷に喜ぶ人々の様子です。

 

【足つぼマッサージ】

台湾と言えば、足つぼマッサージです。

私も視察の合間を縫って、3回マッサージに通いました。

快適です。

値段は、日本の3分の2くらいのイメージです。

足つぼ30分とかなら1500円くらいですが、全身マッサージ60分とかすると、4000円~5000円くらいはします。

大衆店から高級店までいろいろな雰囲気の店に行ったのですが、3件のうち、一番よかったのはここです。

中の上くらいの高級さでしょうか。でも、値段はどこもそれほど変わりません。

皇家巴黎(ロイヤル・パリ)という店です。

 

 

 

 

 

 

 


台湾訪問記その12・死刑制度廃止検討委員会視察 2019.9.2.-9.4 -台湾政治

2019-09-21 11:40:03 | 日記・エッセイ・コラム

死刑廃止連盟で死刑廃止に取り組む市民団体、裁判官、大臣、元死刑確定者から、充実したお話を伺った後は、

そもそも台湾とはどのような国なのか、どのような政治情勢なのかを知るため、

国立政治大学の林超琦副教授から、台湾政治のレクチャーを受けました。

 

 

会場は迪化街にあるカフェです。

迪化街は古い問屋街だそうですが、リノベーションされてカフェやレストラン、雑貨店などが立ち並んでいるおしゃれな場所です。

そして、カフェと言っても「台湾」、台湾茶のカフェです。

おしゃれなカフェで、台湾茶をいただきながらの優雅なレクチャーでした。

 

林副教授から、台湾政治の基本について教えていただきました。

(以下は、私が理解した内容ですので、歴史的事実として間違っているところがあるかもしれませんがご容赦ください。)

1945年、第二次世界大戦が終わります。

その当時、中国(大陸も台湾も)は、孫文が結党し、蒋介石が率いていた国民党による政府です。

1946年には憲法が作られ、1947年に総選挙が行われました。

しかし、中国では、国民党政府と共産党との内戦が続いています。

そのため、1948年4月、国民党政府は「動員戡乱時期臨時條款」を発動し、行政権に権力を集中させます。

憲法では議院内閣制であったにもかかわらず、蒋介石は自分に権力を集中させるために特別法で大統領制にしてしまったのです。

大統領の任期もないため、蒋介石は1975年に死ぬまで大統領であり続け、約40年にわたって国民党の一党独裁体制が続くことになりました。

(「動員戡乱時期臨時條款」というのは、自民党改憲草案の「緊急事態条項」と同じですね。これを使って、蒋介石は独裁者となり、一党独裁が続いたのです。緊急事態条項、怖すぎます。)

 

1949年、共産党に敗れた国民党政府は台湾に逃れ、台北に遷都し、政府を樹立します。

そして、台湾省には戒厳令が敷かれました。この戒厳令は1987年まで続きます。

国民党政府の立場としても、台湾島だけで一つの独立国と考えているわけではありません。

中国全土でひとつの国家であり、台湾は、中国の中の台湾省、首都台北のある省という位置づけです。

(「台湾省」と書かれた車のナンバーをよく見かけました。)

台湾省以外の中国領土は、中国共産党によって不法に占拠されているということですかね。

 

国民党政府には、国会に相当する国民大会という議会があります。

しかし、台湾省以外は、中華人民共和国の支配かにあるので、実際に選挙を実施することが出来ません。

そのため、1947年の総選挙で選ばれた議員の任期が延長され、終生議員をすることになりました。

そのため、車椅子に乗ったお年寄り議員が何人も国民大会に出席していたそうです。

選挙は、議員の死亡による欠員が生じた時にしか行われなかったみたいです。

また、国民党政府がくる以前から台湾に居住していた人が大勢いるのですが、選挙が実施されないため、国民大会に代表を送ることもできませんでした。

 

長らく一党独裁体制が続いていたのですが、

1979年 自由や人権を求めるデモが起こり、美麗島事件(高雄事件)が起こります。この事件をきっかけに、民主化を求める市民運動が高まっていきます。

1986年 国民党政府が来る以前からの台湾人が多くを占める民進党が組織されます。

1987年 蒋介石の息子である蒋経国大統領が政党結成を解禁し、民進党は正式に政治政党となり、これにより一党独裁体制が終焉を迎えます。そして戒厳令も解除されました。

1988年 蒋経国が死亡し、副大統領であった李登輝が大統領になります。ここに、蒋介石・蒋経国という親子による独裁が終わります。

李登輝はもともとの台湾人であり、大学の先生です。1977年に台北市長になり、また、国民党政府が台湾人の政治参加を叶えるために副大統領に任命されていました。

1990年 「動員戡乱時期臨時條款」の廃止を訴える大学生らによる「野百合学運」が起こります。学生運動ですね。

1991年 「動員戡乱時期臨時條款」が廃止されます。 

1992年 ここでようやく、国会の全面改選(総選挙)が行われます。

1996年 初の総統直接選挙が行われ、国民党の李登輝が初代総統になります。

2000年 二度目の総統選挙では、民進党の陳水扁が総統になり、初めて政権交代が実現します。

2008年 国民党の馬英九が総統になり、政権が国民党に戻ります。

2016年 民進党の蔡英文が総統になり、再び、民進党への政権交代が起こりました。

そして、現在に至っており、2020年1月には、次の総統選挙が行われます。

台湾が民主国家となったのは、日本だとほぼ平成に重なります。つい最近です!

 

こうした民主化の流れと、死刑の状況は無関係ではないようです。

台湾での死刑執行数は、

1989年 69名、1990年 78人 でした。

初の総統直接選挙が行われた1996年も22名、1997年は38名が執行されていました。

民進党への政権交代が実現した2000年には17名が執行されましたが、

2001年 10名、2002年 9名、2003年 7名、2004年 3名、2005年 3名と激減します。

そして、2006年から2008年までの4年間は、執行が全くありませんでした。

ところが、2008年に国民党に政権交代した後、2010年に4人が執行されました。

2011年から2015年は、毎年5,6名が執行されています。

再度民進党に政権交代した後は、2016年 1名、2017年 0名、2018年 1名という執行状況です。

一党独裁体制が終焉し、民主化が進む中で、死刑の執行は激減しています。

 2020年1月には、台湾総統選挙が行われます。

「死刑廃止」は争点にはならないようで、民進党・国民党のいずれが勝ったとしても、死刑廃止に向けての政府の大きな方向性は変わらないようです。

台湾総統選挙の一番の争点は「中華人民共和国との関係」です。

私の理解では、国民党は一つの中国、中華人民共和国ともうまく付き合っていこうというスタンス、民進党は台湾は台湾として独立した国家になろうというスタンスのようです。

 

林副教授が、興味深い、調査結果を教えてくれました。

台湾の人たちに、自分は台湾人と思うか、それとも中国人と思うかという意識調査です。

1992年の調査では、「台湾人でもあり、中国人でもあると思う」という回答が46.4%、「中国人であると思う」という回答が25.5%、「台湾人であると思う」という回答が17.6%でした。

ところが、

2019年の調査では、「台湾人であると思う」という回答が56.9%と多数を占め、「台湾人であり、中国人でもあると思う」という回答は36.5%、「中国人であると思う」という回答は3.6%しかありませんでした。

今の若い人は、台湾(中華民国)で生まれ、教育を受け、生活してきているので、次第に「台湾人」という意識を持つ人が増えているのだろうと思います。

また、中華人民共和国と中華民国がどのような関係であるべきかについては、

「現状を維持して将来に検討する」という人が30.6%、「永久に現状を維持する」という人が26.9%、「独立に向かうべき」という人が19.9%、「すぐに独立すべき」という人が5.8%ということがそうです。

「統一に向かうべき、すぐに統一すべき」という人は合わせても10.4%しかいません。

現状の体制での生活に特に不満がないことから、保守的な考えが多いということでしょうか。 

いずれにしても、台湾がこれからも平和であってほしいと思います。

 【カフェで記念撮影です。】

 

レクチャーの後は、林副教授にチョイスしてもらった、迪化街で有名な「稲舎」というレストランで懇親会をしました。

レストランに行くまでの街並みがレトロで雰囲気があり、おしゃれな雑貨屋さん、台湾の食材やお茶を取り扱うお店がいくつもあり、

ついつい引き止められ、遠くはない店なのですが、なかなかたどり着けません。

「稲舎」では、一番の名物だというアヒルです。

タロイモと混ぜてハンバーグのような感じ。

本来はお米屋さんだそうで、白ごはんが美味しいようです。(すみません、私はグルメでないので微妙な味の違いが判りません。)

結構なボリュームがあり、美味しくおなかいっぱいになりました。

「稲舎」HP

 

 

 

 

 


台湾訪問記その11・死刑制度廃止検討委員会視察 2019.9.2.-9.4 -死刑雪冤者

2019-09-20 18:42:22 | 日記・エッセイ・コラム

死刑廃止連盟での懇談会には、死刑判決が確定した後に冤罪であることが明らかとなり、再審で無罪となったお二人もお越しくださいました。

蘇建和さん(左)、徐自強さん(右)というお二人です。

お二人からは、台湾において死刑確定者がどのように処遇されているのかを教えていただきました。

 

 

蘇建和さんは、1991年、殺人事件で無実であるにもかかわらず死刑判決を受けました。

この死刑判決は1995年に確定します。

しかし、その後も一貫して無実を訴え、ようやく2000年に再審開始が認められ、2003年に無罪判決を受けました。

ところが、台湾高等法院はこの判決を覆して、2007年に再び死刑判決を下します。

それでもあきらめずに無実を訴え続け、ついに2012年に無罪判決が確定!

晴れて自由の身になった方です。

2014年には、アムネスティ日本に招かれ、日本にもお越しになっています。

その際には、袴田巌さん、袴田秀子さんにもお会いになったそうで、袴田さんがまだ無罪になっていないことが残念だとお話になっていました。

 

 蘇さんは、1995年に死刑判決が確定してからは台北拘置所に収容されていました。

この建物は日本統治時代のとても古い建物だったそうです。

死刑確定囚として過ごした17年のうちの前半は本を読むことしかできなかったが、後半になって、ラジオ・テレビが視聴できるようになったそうです。

本数の制限はありましたが、タバコを吸うことも認められていたそうです。

収容室は1.368坪の部屋に2,3人で一緒に暮らしていて運動もできないような状況で、しかもいつ執行されるかもわからないというストレスが強力だったということです。

驚くことに、収容中は、重さ二キログラムの足かせをずっとさせられていて、寝るときも、シャワーの時も外してもらえなかったということです。

鉄の足かせで冬は冷たくなってとてもつらかったそうです。

死刑廃止連盟の人たちが来て拘置所に抗議してくれたことで、ようやく足かせは外されたということです。

しかし、10年間も足かせをつけれらていたことで、外した時に体の重心がどこにあるのかわからなくてつらかったということでした。

再審無罪になって釈放された後も整骨院に通っていて、今も後遺症があるということです。

 

 

徐自強さんは、1995年に誘拐殺人事件で死刑判決を受け、この死刑判決が2000年に確定しました。

その後も、無罪を訴え続け、16年間を死刑囚として監獄ですごした後、2016年に再審で無罪となった方です。

2018年には、やはり、アムネスティ日本に招かれて来日し、狭山事件の集会にも参加されたということです。

徐さんによると、

自分が収容されていた1991年から2000年当時の処遇と今の処遇は変わっているが、

以前は、死刑確定囚は毎日2通の手紙を送ることができ、2日に1回は家族でも誰でも面会ができたということです。

拘置所から電話をかけることもできて、1週間に6回、1回6分間の通話が許されていたそうです。

本の差し入れも2冊までと決まっていたけれども、本が大好きだったので1回で300冊送ってくれといったら届いたこともあったということでした。

また、面会の時は、(アクリル板ではなく)珊だけの仕切りだったので、面会に来てくれた人の手を握ったりもできたそうです。

かつては死刑判決が確定すると3~10日くらいの間には死刑が執行される時代だったので、毎日面会をして、面会者と手を触れあうことも許されていたようです。

ただ、徐さんの死刑判決が確定したころには、すぐには執行されない時代になっていたので、初めのうちは特別な面会が認められていたけれども、一か月執行がなかった段階で、通常の収容者と同じ処遇に戻されたそうです。

 

 

いつ執行されるかわからない状態で、10数年も死刑確定囚として過ごすということはどれほどのストレスであったか、想像することもできません。

お二人の共犯者とされた人の中には、すでに死刑が執行されてしまった人もいるようです。

でも今は、お二人とも明るく当時のことをお話ししてくださいます。

釈放されてからは社会生活を送ることもできているようで、自作したお米を記念にいただきました。

ありがとうございます。

視察団みんなで、おにぎりを作っていただこうと楽しみにしています。  

上の写真は、徐さんの死刑囚として過ごした日々について記された「 1.368」という書籍です。

「1.368」というのは、死刑囚が収容されていた房の床面積のことです。

単位は「坪」です。

1坪あまりのところに、2,3人が収容されていたというのですから、とても過酷な収容状況です。

 

この本もそうなのですが、台北についてから、あちこちの不動産の広告に「坪」という単位で面積のことが記載されているのを見かけて、不思議に思っていました。

「坪」というのは、日本では畳二畳の広さという意味で、およそ3.3平方メートルのことですね。

この単位は日本独自のものだと思っていたのですが、台湾でも、日本統治時代の名残で今でも「坪」が土地の広さを表す単位として一般的に用いられているようです。

台湾の「坪」の広さは、日本と同じ3.3平方メートルのようです。

今では、日本でも土地の広さは「坪」で表すことも多いですが、マンションなど建物の広さは「㎡」が一般的です。

しかし、台湾では、今も「坪」の方がポピュラーなようで、マンションの広告はすべて「坪」で表記されていました。

帰国後調べてみると、台湾では「台制」と言って日本統治時代の尺貫法をベースにした単位があるそうです。

現在では公式にはメートル法やグラムが単位になっているようですが、坪、尺、寸、升、合といった台制の単位が用いられることも多いようです。