敬老の日の3連休、ずっとブログも更新することなく、原稿執筆に奮闘してました。
ある裁判員裁判でお世話になった立命館大学文学部の廣井亮一教授に声をかけていただき、同教授が編集される「加害者臨床」(仮題)(日本評論社刊)の一部を執筆しています。
廣井亮一教授 http://www.ritsumeihuman.com/members/read/id/16
私は、「弁護士から見た加害者」 というテーマで書いています。
原稿を書きながら、これまでに弁護人を務めた事件を振り返って、頭を整理していると、いかに被告人のことを見ていなかったかがよくわかりました。
ただ、それは、私だけの問題ではなく、刑事裁判の宿命とも言うべきもので、裁判ではこれまで被告人という人間や事件の動機というものが重視されていなかったのです。
刑事裁判では、被告人がどんな行為をして、どんな結果が生じたのかということで刑罰はほぼ決まり、動機や被告人のキャラクターというのは付随的な事情とされています。
このことは、犯罪に対して公平に刑罰を科し、人権を侵害しないためには必要なことでした。(行為と結果はたいしたことはないが、危険な性格だから、もしかしたらまた何か犯罪をするかもしれないという理由でずっと刑務所に入れておくという考え方は否定されていたのです。)
ところが、裁判員裁判が始まり、裁判員となった一般の人は、被告人の人となりに注目し、その人格的傾向や動機といった内面的な事実まで解明することを求めるようです。
このことは人の気持ちとしては当然のことで、裁判員裁判では、こうした裁判員の気持ちを前提として私たちも弁護活動をしなければならなくなってきています。
被告人の人格的傾向や動機に理解を得ることができなければ、
被告人は凶悪なモンスターとして恐怖と排除の対象とされ、
どんどん重罰化してしまうからです。
これからの裁判では、精神医学や臨床心理の知見が
ますます重要になってくるように思われます。
と、こういう観点で執筆しています。
年内くらいには発刊予定のようです。私以外の執筆者はみなさんは、各分野のスペシャリストで、タイトルだけ見ていても興味をそそられます。
発刊された暁にはまたご案内しますので、楽しみにお待ちください。