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講演会「平野啓一郎さんが語る死刑廃止」に参加しました。2019.12.6

2019-12-10 11:35:28 | 日記・エッセイ・コラム

大阪弁護士会主催の講演会「平野啓一郎さんが語る死刑廃止」に行ってきました。

平野さんは、京都大学法学部在学中に「日蝕」で芥川賞を受賞された作家さんです。

今、ちょうど上映中の映画「マチネの終わりに」(福山雅治、石田ゆり子主演)の原作者でもあります。

(恥ずかしながら、今まで平野さんの作品を読んだことがなかったので慌てて買ってきました。)

  

平野さんは、もともとは死刑存置派だったそうですが、フランス生活での様々な出会いや執筆活動を通して、死刑廃止という考えになったそうです。

平野さんは法学部出身ではありますが法律家ではなく、文学者の立場からのお話にはたくさん気付かせていただくことがありました。

私の受け止めた範囲ですが、平野さんの話をご紹介させていただきます。

(あくまでも私の理解した内容ということであり、速記録のようなものではありません。)

【講演要旨】

30歳ころまでは死刑存置という立場だった。

理由は心情的なもので、殺された人、その遺族が一番かわいそう、被害者は殺されて人生が奪われたのに、加害者が生き続けることはアンフェアだと思っていた。

フランスに住んでいた時に、周りの作家や編集者、芸術家はリベラルな人が多く、みんな死刑廃止派だった。

自分もリベラルな考え方だと思っていたが、死刑の点については、彼らと違っていた。

90年代後半に、震災やオウム事件が起こったり、バブル崩壊があって、世の中も終わりというような雰囲気になっていた。

その中で、被害者について書くことにして、犯罪被害者の会に行ったり、被害者やいろいろな司法関係者に取材をした。

それで書いた作品が「決壊」という小説。

でも、その小説を書き終わったときに死刑制度が嫌になった。

  

死刑制度が嫌になった理由は、

1つ目は、警察の捜査に疑問を持ったこと、えん罪があるということ

2つ目は、国が人を殺すのは間違っていると思ったこと、人を殺してはいけないというルールは絶対に守るべき

3つ目は、ペネルティを科す側は、ペネルティを科される側よりも、倫理的に優位に立っていない、同じレベルでもいけないはずだと考えた。

加害者は人を殺したから死刑にする(殺す)ということは、国と加害者が倫理的に同じレベルになっているということ、それは許されない。

 

加害者(殺人をした人)も、成育歴や精神疾患などいろいろ問題のあることが多い。

悪(加害者の原因)を解体してバラバラにしていったら外部的な要因ばかりで、加害者個人の責任として残る部分は少ない。

環境に抗う自由意志というのはあると思うけれども、人との出会いなどで左右されることが多い。

一番好きな日本の作家は森鴎外だけれども、彼はアンチ自己責任論にあると思う。

犯罪について、社会にも責任がある。社会が様々な問題を放置してきた怠慢に責任があるのに、そのことを考えないで個人に責任を取らせることはどうなのか。

事件が起きたら司法が死刑にすることで社会を維持することには疑問を持つ。

 

殺されるという恐怖を感じて初めて加害者は被害者が抱いた恐怖心を理解できる、真に反省するという人もいるが、それもどうなのか。

恐怖心で何かをさせようという考え方に疑問がある。

自分は北九州出身だけど、北九州というところはすごく荒れていた。

学校でも、教師の体罰が日常的だった。

教師らは、体罰には悪い体罰もあるけど、良い体罰もあるんだと言っていた。

でも、良い体罰をしているという教師は、だからと言って、悪い体罰をしている教師を止めることはなかった。

暴力で人に言うことを聞かせることは簡単な方法、話し合いは大変な苦労を必要とする。

でも、死刑の恐怖心で反省させるということで本当にいいのか?と思う。

 

死刑廃止=許すことではない。

許すことを遺族に求めることはあまりに酷だと思う。

でも、自分がもし殺されて、あの世から自分の家族を見ることができるなら、

犯人を憎むことにエネルギーを使ってほしいとは思わない、許せとは言わないが、もっと自分の人生を楽しむことにエネルギーを使ってほしい。

死刑にすることで本当に被害者の癒しになっているのかという疑問もある。

あまりにもデリケートな問題なので、その点について取材したジャーナリストもいない。

 

遺族が、加害者を死刑にしてほしいと望むのは当然のこと。

だけど、国の制度がそれを実現していいのか?と思う。

当事者の声と制度の間には、ワンクッションを置くべきだと思う。

フランスでは死刑制度を廃止したことで、加害者を死刑にすべきとはあまり考えなくなった。

 

日本の人権教育が失敗だと思う。

まず、人権というと嘘くさい、人権派弁護士というとうさんくさいというイメージがある。

子どものころ、人権週間とかで、人権に関する作文をよく書かされた。

その時、人の気持ちを考えましょうと教えられる。

いじめをしたら、いじめられた人はどんな気持ちになると思いますか?と問われ、かわいそうだからいじめをしてはいけませんと教えられる。

「かわいそう」という主観的な理由で人権を教えてはいけない。

(かわいそうじゃない人は、いじめてもいいことになってしまう。)

そういう教え方をしているから、貧困家庭にマンガ本が置いてあったり、生活保護受給者がタバコを吸ったり、パチンコに行ったりするとバッシングが起こる。

憲法が定めているから人権を守る、人権が絶対的なものだということ、殺人はダメだということを教えないといけない。

死刑も犯人がかわいそうだから廃止しましょうではなく、人権の問題として考えるべき。

だから、死刑を回避した判決が、反省しているから、更生の余地があるからという理由をつけてることにも違和感がある。

【以上、講演要旨】

そのほかにも、2000年代以降の格差社会、自己責任論、新自由主義、災害、財政問題などいろいろな観点からお話しいただきました。

 

平野さんは、若くして芥川賞を受賞し、その後も多くの素晴らしい作品を執筆されています。

そして、福山雅治・石田ゆり子という超人気俳優の主演する映画の原作者です。

とても気難しくて、偉い人ではないかと勝手に想像していたのですが、とても気さくな感じ、ソフトで丁寧な語り口の方でした。

京大のキャンパスで楽しげに友達と話をしている、普通の兄ちゃんという感じです。

講演後の質疑応答にもすごく丁寧にお答えになっていました。

とても分かりやすく話してくださいますが、その内容は深い思考からくるもので、いくつも気付きを与えてもらいました。

森鴎外好きというのが京大文系学部出身者ですね。東大とは違うところです。

確かに、舞姫、高瀬舟、山椒大夫、どの主人公も環境と運命に翻弄される人たちです。

企画していただいた大阪弁護士会の皆さま、ありがとうございました。

京都にもぜひお越しいただければと思います。

年末年始は、平野さんの作品に溺れてみよう。

  

講演会後、大阪弁護士会館から外に出ると、すっかりクリスマスイルミネーションでした。

 

 

 


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