今日、衆議院平和安全法制特別委員会で、安保関連法案が与党によって強行採決されました。
私も日本国憲法を学び、日本国憲法に人類の夢と希望を見出して、弁護士になった者として、安保法制に反対しています。
さて、この憲法違反のとんでもない政権の暴走に対して、多くの人、団体、組織が声をあげています。
色々な声を読んだり、聞いたりしていますが、プレゼンとして秀逸なものにいくつか出会いました。
そんな素晴らしいプレゼンを紹介していきます。
まず、今回は、
「安保関連法案に反対するママの会」の記者会見!
これが感動的ですばらしい。
回りくどい表現があったり、敬語の使い方がちょっと?だったり、同じことを繰り返している部分があったりなど、プレゼン的難点はいくつも指摘できるのですが、
それでも、人を動かす力があります。
どこがいいのだろうかと、私なりに分析してみたところ、次のようなことに気付きました。
「だれのこどもも、ころさせない」というシンプルなメッセージを繰り返している。
・子どもという多くの人の共感を呼ぶ視点を設定している。
・一文が短い。
・わかりやすい言葉。
・ストーリー性がある。
・具体的な事実がいくつもちりばめられている。
・感動的なクロージング「7月26日は、ガーベラの花を手に、渋谷でお待ちしています。ガーベラの花言葉は『希望・常に前進』です。」
人を動かすプレゼンテーションには必ず理由がありますね。
誠実さ、真摯さ、本気度が伝わるすばらしいプレゼンテーションです。
すでに、ママの会のメッセージに多くの人が心を動かされ、安保法制に反対の行動をとるようになりました。
注意、興味、理解、合意、そして行動させたプレゼンテーションです。
逆に、安倍総理の「あそうくん」「すがくん」のいじめっ子の例え話によるプレゼンが、
聞き手をバカにしている、重大な問題を軽くみている、侮っている、舐めている、ごまかしているという印象を与えたことは、多くの人が感じたとおりです。
以下に、ママの会のプレゼンテーション全文を掲載しておきます。ぜひ、読んでみて下さい。
【以下、ママの会 記者会見スピーチの引用】
「安保関連法案に反対するママの会」の発起人、西郷南海子と申します。
3人の子どもと生活しながら、大学院で研究をしています。
そして今日、この記者会見に集まったママたちは、安保関連法案反対の思いでつながった仲間たちです。
「だれのこどもも、ころさせない」。これが、このママたちを結びつける、ただひとつの一致点、どうしてもゆずることのできない思いです。
一週間前、インターネットでの署名活動として、たった一人から始めた活動ですが、同じ思いをもつ全国のママたちの声が、ものすごい勢いで集まっています。
そしてついには、SNSからも飛び出して、東京・渋谷の街頭に大集合することに決めました。
「どこかの偉い人」ではなくて、子どもと日々泣いたり笑ったりするわたしたちが、街頭に集い、生身の人間としての声を響かせたい。
そう考えて、「7・26戦争立法反対!ママの渋谷ジャック!」を打ち出しました。
7月26日、日曜日、12時半から渋谷駅前で街頭宣伝をし、13時45分に宮下公園(未確定)からデモを出発させる予定です。
「だれのこどもも、ころさせない」。
この思いは、それぞれの立場を超えた思いです。
この思いを、渋谷で、そして全国のどの町でも響かせていきたいです。
「だれのこどもも、ころさせない」。
この合言葉を一致点に、さまざまな声を持つ人たちが出会い、そこからまた各自が、自由に活動を広げていく。
そういった、誰からでも、一人からでも、始められる活動を目指します。
この会の主人公は、「どこかの偉い人」ではありません。
主人公は、日々子どもと泣いたり笑ったりする、一人ひとりのママなのです。
「安保関連法案に反対するママの会」を立ち上げてから、まだたった一週間ですが、人々の声を「無視」することで成り立つ政治への、がまんできないというママたちの思いが、形になり始めています。
賛同署名と一緒に寄せられた、2000件ものメッセージには、けっしてひとくくりにすることのできない様々な声が響き合っています。
今日ここでは、その多様な声のひとつとして、わたし自身が「安保関連法案に反対するママの会」と、「7・26戦争立法反対!ママの渋谷ジャック!」に込めた思いを、わたし自身の言葉で表現したいと思います。
いま、わたしたちが暮らしている世の中では、専門家以外は意見を言ってはいけないというような雰囲気がただよっています。
発言の価値が、その人の所属や立場で決められてしまいがちです。
しかし、この雰囲気に流され、自分の意見を飲み込んでしまうことが、「民主主義」を空っぽのものにしてしまうのではないでしょうか。
こうしてただ、何年かに1度の選挙を待っている、あるいはやり過ごす、というやり方には、もはや限界があると思います。
こうした形ばかりの「民主主義」の行き着く先が、今の安倍政権なのかもしれません。
解釈改憲というやり方で、最高法規である、憲法を踏みにじってみせる。
強行採決をちらつかせ、人々に「自分が考えたり行動しても無駄だ」と思わせる。
そうやって人々に無力感をうえつけていく政治のあり方に、これ以上、引きずられていきたくはありません。
この、安保関連法案の成立をやめさせるだけでなく、自分が生きていきたい社会のあり方について、思い切り語り合える空間を、それぞれの手で作っていくときが、来たのだと思います。
そう考えて、わたしは、この会をたった一人から立ち上げました。
子どもと生活することで見えてきた、どうしてもゆずれない思いを表現したいのです。
子どもは、人間が生まれてくるということの、計り知れない「不思議」を教えてくれます。
その命が、誰かにとっての所有物のように扱われたあげく、むごたらしく使い捨てにされる。
その、最たる例が、戦争です。
これだけは、なんとしてでも止めたいのです。
人間が、生まれ、生きるということの「かけがえのなさ」を、わたしは他の誰にも奪われたくありません。
そして、この思いをもっているのは、わたしだけではありません。
サイトに寄せられた2000件を超えるメッセージには、「殺し、殺されるために、この子を産んだのではない!」という声があふれています。
誰かの「駒」になることでしか、人間が生きることを許されないような社会のあり方は、もう、終わりにすべきだとわたしは思います。
わたしは、あきらめません。
あきらめられません。
この思いを胸に抱えたママたち、仲間たちが、活動の一致点を探して見つけ出したのが、「だれのこどもも、ころさせない」という合言葉です。
殺されても仕方のない子どもなんて、どこにもいません。
また、「殺す」ということを、引き受けなければならない子どもも、いてはならないはずです。
そして、すべての兵士は、誰かにとっての子どもでもあります。
「だれのこどもも、ころさせない」。このひとつの合言葉で、全国各地、さらには世界の人々と、手を取り合えるとわたしは信じています。
子育てに追われ、なかなか家を出ることもできなかったママたちが、すでに社会に向けてメッセージを発信しはじめています。
「だれのこどもも、ころさせない」と。「7・26戦争立法反対!ママの渋谷ジャック!」では、この声を、首都の、ど真ん中で響かせます。
「どこかの偉い人」ではなくて、子どもと日々泣いたり笑ったりするママが、街宣車の上に登り、群衆に向かってスピーチをする。
誰のものでもない、一人ひとりの言葉で。こういう時代が、ついに、やってきたのだと思います。
歴史の分れ目を、こちら側へと引き寄せましょう。
7月26日は、ガーベラの花を手に、渋谷でお待ちしています。
ガーベラの花言葉は「希望・常に前進」です。
ご静聴、ありがとうございました。