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スピリチュアリズム・ブログ

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バーチさんの愚痴

2011-10-05 00:15:05 | 高森光季>スピリチュアリズム霊学
 シルバー・バーチさんの霊言は、日本でとても人気があります。近藤千雄氏のご尽力もあって、いくつものバージョンが出されています。国会図書館のリストから新装版の重複を除くと、以下のようになります。ただし異なる版元で内容が重複しているものもあるかもしれません。★はネットでも公開されているもの。 いやあ、すごい数ですねえ。読者がこれだけいるということでしょう。万単位なのかもっと上なのか。シルバー・バーチの . . . 本文を読む

考えない幸福?

2011-09-30 00:14:24 | 高森光季>スピリチュアリズム霊学
 私たちはだいたいいつも「考えて」います。 ただその大半は、あまり大したものでもないし、いいものでもありません。 普通に生活していれば、仕事のこと、まわりの人間関係、将来のこと、そういったことを考えるでしょう。 しかも、その多くは「まったくあいつは」「なんで俺は」といった愚痴か、「これからどうなるのだろう」といった取り越し苦労なのではないでしょうか。 そういった状況では、「考える」ことは苦痛でしか . . . 本文を読む

崇める幸福?

2011-09-28 00:11:52 | 高森光季>スピリチュアリズム霊学
 正直に言って、私がよくわからないことがあります。 それは「人を崇める」ということです。 人を熱烈に崇拝する。その人のなしたこと、なすことすべてが正しいと思う。 さらに行くと、その人の声をいつも聞きたい、その人の写真がほしい、その人が使った物がほしい、手が触れた物がほしい。 今の時代、こういった態度の表われは、アイドルの追っかけに見られます。高じると(というかこじらせると)ストーカーになる。 あれ . . . 本文を読む

群れる幸福?

2011-09-26 00:58:10 | 高森光季>スピリチュアリズム霊学
 宗教が提供するものは、いろいろとあります。本質的な主題としては、「生の意義の探究」「死後の探究」「見えない世界や存在の探究」「内面世界の探究」といったものがあるでしょうし、それとは別に、「悪霊祓い」「病気治癒」「運気上昇」などといったものを求める人もいるでしょう。 ところがどうも、そういったものとはまったく別に、今の宗教が人々に提供し、人々もそれを求めているものがあるようです。 それは、一つは「 . . . 本文を読む

私たちは神の子――ホワイト・イーグルの言葉より

2011-09-25 04:10:41 | 高森光季>スピリチュアリズム霊学
 前のエントリ「人は人を救えるか」で「スピリチュアリズムは救いを説かない」と述べました。なんかがっかりさせる表現だったかもしれません。 でも、「救いはない」というのは、「人間は勝手に苦しんでいろ」ということではありません。 逆に、私たちは誰もが皆、「見放されてはいない」ということ。 もっとはっきり言えば、私たちは皆、神の子だということです。私たちは皆、神のイデアのかけらであると。 人間は自由意志を . . . 本文を読む

“霊的哲学”を求めて

2011-09-21 00:51:04 | 高森光季>スピリチュアリズム霊学
 これまで繰り返し述べてきたことですが、現代の「知」の世界では、「不可視世界」(霊的存在や死後問題)は厳しく“排除”されています。(これは実体験した人にしかわからないかもしれません。) 実際のところ、現在の「アカデミー」世界で、「不可視世界」が語られるのは、宗教人類学や宗教学のごくごくわずかな領域です。ほとんど「数人」レベルで、しかもかなりぼかされてしか語られません。つまり . . . 本文を読む

人は人を救えるか

2011-09-19 03:20:48 | 高森光季>スピリチュアリズム霊学
 「救い」というのは広い言葉で、なかなか難しい問題です。 ここでは物質的・肉体的な領域のことはとりあえず除きます。 人を精神的に救う、霊的に救う。それはどういうことでしょうか。 私もよくわかりません。 悩んでいた時に、ちょっとした言葉を聞いて、吹っ切れた。落ち込んでいた時に、ちょっとした善意をもらって、前向きになれた。 こういうことはよくあります。 あるいは、心理療法家によって、長年抱えていた悩み . . . 本文を読む

内なる神:霊学的瞑想論 ④内面化の陥穽

2011-09-16 00:04:43 | 高森光季>スピリチュアリズム霊学
 「内的体験」の最大の問題は、他者に伝えることができず、結局それに関して議論や反論といったものが不可能であることです。 同じ個人がつむぐものであっても、「思想」というものは、一定の公共性を持ちます。それは前提・主題・合理的展開・傍証といったものを提示します。他者はそれを検討することができるわけです。 しかし内的体験は、そういったものから「非連続」的に体験されるものです。ある主題を詰めていって、そこ . . . 本文を読む

内なる神:霊学的瞑想論 ③内的体験の限定性

2011-09-14 00:21:48 | 高森光季>スピリチュアリズム霊学
 内的体験というものは、そこで体験されるすべてが当人にとっては意味があります。 特に聖なるものの顕現や至福の体験は、当人にとって何ものにも代え難い貴重なものです。 けれども、内的体験は万能のものではありません。 まず、内的体験は、当人以外には伝わらず、直接的には他者に何のメリットもないということです。 体験者がどれほど高い霊的世界に触れようと、どれほど深い真理に達しようと、それは他の人には伝わらず . . . 本文を読む

内なる神:霊学的瞑想論 ②霊学的に見た瞑想

2011-09-12 00:40:20 | 高森光季>スピリチュアリズム霊学
 脱魂でも究極的主体消滅でもない、瞑想というものはあるでしょうか。それはどのようなものでしょうか。そこで霊的世界や霊的存在と接触することはあるでしょうか。 様々な「瞑想の求道者」がいます。特に最近は、上座部系のヴィパッサナー瞑想や、ニューエイジ系の様々な技法などが注目され、それを探究し賞揚する求道哲学者がたくさんいます。 そういった探究とその成果を論評したり分析したりする能力や資格は私にはありませ . . . 本文を読む

内なる神:霊学的瞑想論 ①内面へ向かった人類

2011-09-09 00:13:34 | 高森光季>スピリチュアリズム霊学
 《神秘家たちは内在の神について語るが、これは誤った考え方である。〈神〉ということばは、〈至高精神〉、全生命の背後にある〈一大観念〉、純粋思念という観点からみた〈全体〉、つまり、存在の一部始終が一つの心的概念として生み育てられているところの〈本源〉を意味するのである。宇宙におけるあらゆる行為、あらゆる思考、あらゆる事実、あらゆる部分がこの〈全体〉の中に含まれている。その中にこそあらゆるものの最初の . . . 本文を読む

宗教批判

2011-08-21 01:07:01 | 高森光季>スピリチュアリズム霊学
 仏教についていくつか批判(言い掛かり?w)のようなものを書いてきました。こちらの勉強が不十分なこともあって、そろそろやめておこうと思いましたが、どうも私の内で、あるいはどこか上で、収まりきらないものがあるようで、もう少しだけ続けるかもしれません。 これまで、イエス論とかブッダ論(論にはなっていないか)の素描をして、キリスト教や仏教に対してある種批判めいたことを書いてきましたが、それは単に私が喧嘩 . . . 本文を読む

イデアについて

2011-08-20 00:18:49 | 高森光季>スピリチュアリズム霊学
 前回、いきなりイデア云々と書いたので、何言ってんだこいつ?と思われたかもしれません。 しかしですね、スピリチュアリズム霊学を探究していくと、どうも「イデア」論が正しいのかもしれないと思えるわけです。 イデア論というのは、言うまでもないでしょうが、プラトンが体系化したものです。後にプロティノスがそれをさらに精緻にし「新プラトン主義」と呼ばれる学派を作り、大きな影響力を持ちました。 イデア論は、イデ . . . 本文を読む

どんな人生にも意味がある

2011-07-01 00:05:27 | 高森光季>スピリチュアリズム霊学
 「どんな人生にも意味がある」というのは、ロゴセラピー・意味の心理学を提唱したヴィクトール・フランクルのモットーです。フランクルの『それでも人生にイエスと言う』を始めとする著作は、素晴らしいものです(人気もあります)。スピリチュアリズムとは関係ありませんが、唯物論的ニヒリズムに論駁したもので、お薦めできる本です。  ただ、フランクルの論は、スピリチュアリストの目から言うと、「不十分」だと思います。 . . . 本文を読む

現世をどうするか(3) スピリチュアリズムの「勧戒」

2011-04-22 00:24:50 | 高森光季>スピリチュアリズム霊学
 スピリチュアリズムを「自己謙遜による恩寵の期待」「受動的」と言いましたが、「何もかも神の御心に任せていればよい」といった消極主義、運命論であるように誤解されるといけません。  スピリチュアリズムの霊信は、人間が努めるべきこととしていくつかの見解を示しています。(もっぱら「こうした方がいいよ」=勧戒で、「こうしてはいけませんよ」=禁戒ではない表現です。)  たとえば『霊訓』のインペレーターは、次の . . . 本文を読む