今度、どこ登ろうかな?

山と山登りについての独り言

御飯岳・破風岳・土鍋山

2006年02月05日 | 山登りの記録 2004
平成16年6月23日(水)

 御飯岳・破風岳や土鍋山は、わざわざこれを目当てに登りに行くほどの山ではないかもしれない。これらの山は志賀草津山塊に属しているが地図を広げてめぼしい山を拾っていった後に、あっここにもそこそこ標高の高い山があるなと見つけるような山だ。ただし名前が面白い、御飯だの土鍋だの生活臭のある変わった名前の山々だ。
 ミレニアム騒動の頃、土鍋山の標高が2,000㍍で手前の破風岳が1,999㍍なのをコジツケて、ハイカーが大挙して押し寄せたそうだ。その後はその前の静けさが戻っているということらしいが、登山道はしっかりしている上に笹藪の刈り払いもしているようなのでらくちんである(ハズだった)。

 毛無峠に着いたのは3時近くなってしまった。この分では寝る時間も無くなってしまいそうだ。白根火山から万座に下り、そこから長野県に出て幅員の狭い舗装路を須坂と書いてある方向に向かうと、下りになる道から更に分岐した行き止まりの林道の終点がここ毛無峠だ。
 標高にして1,800㍍程のところなのに変に暖かい。普通ならこんな真夜中、この時期ここいらあたりではもっと寒いと思う。やはり気温が高いのが普通になっているのか、半袖でうろうろしても一向に寒くない。ホトトギスやカッコウの声が闇に響いている。晴れていないらしいのは上空に星が見えないことだ。とにかく、こんな時間になってしまったが少しでも眠ることにして、一応携帯のアラームは7時にセットする。まあ、そんな時間まで車のなかでシュラフにくるまって寝ていられるわけはないと思うけど…。
 
 目が覚めたらもうすっかり明るくなっていた。まだ4時だ、とても眠くて起きられそうにない、でもう少し眠った。再び目覚めたのが1時間後、破風岳には朝日が当っていた。既に上天気だ。眠いけど、おむすびとあんバタパンを食べて準備する。
 と、一台の車が走ってきて少し先までこの道はあったのだが、目の前を通過して見えない向こう側に行ってしまった。誰かこんな日に登る人がいるのか、と思ったが、結局この人は間もなく去ってしまった。山登りでは無かったようだった。仕度して5時半に出発する。行く手の破風岳はよく見えているが、隣の土鍋山は下の方から雲霧が這い登ってきて登り始めて間もなくガスに包まれがちになる。登り始めたら天気が悪くならなくてもいいのに。すっかり見えていた山は、すっかり見えなくなってしまった。
 
 ジグザグを切ってある破風岳の上りを行くが、高い木はなく笹が斜面を覆ってところどころにモミやシラビソが生えている。枯れて骨のようになったシラビソも結構ある。稜線に当る斜面は風が強いのか風衝植生が発達していて、この高さでは珍しいハイマツが見られた。コケモモやツツジ類の灌木やガンコウラン等の矮樹が絨毯のように地面を覆っている。花季は過ぎたのか?コケモモの小さなベル状の花と、ゴゼンタチバナやほとんど散ってしまったイワカガミの残りなどが見えるが、種類は少ないし人目を惹くような花も見当たらない。すぐに土鍋との分岐になり、右手に回り込むようにして、笹の切り開きを上に向かうと岩頭の断崖になっている破風岳の山頂だった。
 ガスも少し晴れて、長野県側の展望はいくらかある。北アルプスが意外に感じるほど近い、白馬連峰なんか雪渓や残雪の形まで分かるほど、こんなに近いんだっけ?手前直ぐそこに北信五岳が並んでいる、唯一登り損ねている妙高山もよく見えている「あそうだ、斑尾山もあった」。  
 下界は長野県側も雲の下で雲海になっている。全体に天気が良いとは言えないが、北アルプスはくっきりと見えているし、上空は晴れているからそのうち晴れてくるだろう。

 破風岳の山頂は山頂と言うより絶壁のへりというところ。破風岳は地図で見ても分かるが全体には平頂といってよい、毛無峠から見た形は名前の通り破風屋根そのもので、その長野県側の破風がやや高くて山頂になっている訳だ。だから、ここから見渡すと広々とした山頂だが、矮樹や笹が覆い尽くして、裸地になっている崖っぷちの一部以外は実際には歩き回ることはできない。破風岳山頂というやたらにりっぱな金属製の看板があった。群馬・長野県境の山だが、こうしてここをみると山名板や看板類はみな長野県の麓の市町村で作ったもののようで、長野県側ではかなり親しまれて登られているようだ。信州100名山とかにもなっているらしい、おそらく直ぐ下の須坂あたりからこの山はよく見えるのだろう。
 残念ながら群馬県側は白い帳の向こうで全く見えない。そちら側からは次々とガスの塊が這い登ってきて視界を遮ってしまう。ここからは毛無峠が丸見えで車がよく見えている。この辺の山はみなゆったりとした丸い形の山が多く、ほとんどは火山だ。この破風岳も長野県側は絶壁になっている、火口壁のようにも見えるがどうなのだろうか?(後で見た資料によると爆裂火口の様だ、つまりは八ヶ岳の硫黄岳のお仲間か…)ずっと下に岩峰状の山も見え、その辺りの岩は赤くなっている。少しばかり写真を撮って、次の土鍋山に向かう。

 土鍋山へは一旦分岐まで下り、今度は平らなやや足場が悪く水たまりの多い道になる。笹はほぼ刈り払われて迷うこともなくルートもハッキリしているが…間違えてしまった。それはうるさいほどたくさん設置してある案内看板のせいもあり、下調べが不十分だったせいもあるけど、とにかく土鍋山に向かっているのに指し示すのは破風岳と五味池という地名ばかりで行ったり来たりしてしまった訳だ。
 この五味池というのは五味池自然園とかいう野外施設がある観光地で、レンゲツツジの隠れた名所として須坂や長野あたりではポピュラーな観光スポットらしく、それがこの山の下にあるらしい。乳山牧場という名前が多くの地図に書いてあるが、牛が出ないように設置されているトビラは必要が無くなったらしく、こわれたままで開けることも閉めることも出来ない、枠だけが残っていた。そこを通過し、モミやシラビソの樹林に入り今度は土鍋山の鞍部まで少し下る。そこから土鍋山が大きく望まれた。

 土鍋山は頂上まで樹林で覆われていて形こそ破風岳のような屋根型をしているが、展望は悪そうだ。別名乳首山・焙烙(ほうろく)山で、これはこの山の形から来ているのだろう、見る方向や位置によって形は変るけど、どっちにしても生活臭のある名前が多いのも、昔この下に栄えた硫黄鉱山があったせいらしいが?再びガスが去来するようになり展望は悪くなってきた。  
 向かう土鍋山も群馬県側の沢から途切れなく這い登ってくるガスが頂上部に絡みついて山体を隠し気味になってきた。笹は刈り払われてあって思いの外登りやすいが、濡れて浸み込んだ水が靴の中でぐちょぐちょして不快だ。ズボンを濡らすほど覆いかぶさってはいないので、その辺はまだマシだろう。土鍋山の山頂直下で岩場になり、左に回り込むと木の梯子が現れ、それを乗り越えると山頂だった。

 土鍋山頂は平らな笹原なのだ。長野県側の絶壁の縁がやや高まっていて、ここにも破風岳頂上と同じ金属製のりっぱな山名板の標柱があった。しかし、展望は全くない。少し東に進むと崖のへりでシャクナゲが茂っている樹間から少し展望があった。どっちにしても霞んでいて展望は良くない。それにしてもうるさいのはこのハエ等の小さい虫だ。かたまりでたかってきて、まったく座って休むこともできない、先月の御神楽岳の時もそうだったが多雪山地の夏はとてもじゃないがこういった虫の襲来に辟易する。その上今回はこの後の御飯岳でもいやという程の藪こぎとヌカカの襲撃で酷い目にあった。
 虫の攻撃に長居もできず、土鍋山の山頂もそこそこに辞した。天気がイマイチなのと虫が酷いのと濡れて不快なのとで、もしこのままこの山だけで帰ったら印象も悪くてつまらない山行だったろう。

 土鍋山山頂部は平坦だが、木々の上に時折姿を見せる四阿山方面に続く山道も刈り払われている。一応ロープで人止めしてあるが、「この先浦倉山まで登山道調査のため刈り払いをしてありますが、トレッキングコースではないので十分注意して下さい。 嬬恋村」の看板があった。浦倉山まで5,2㌔だそうだ、とても行けはしないが、少し先まで進んでみる。先も幅の広い刈り払い道で、成程これならもし浦倉山まで行っても大したことは無いだろうと思った。
 しばらく平坦な道だったが、やがて下りになってきたので引き返した。そこに二等三角点標石があった。地形図にある土鍋山の標高1,999.4㍍の標石に間違いない。山頂はここより一段高いから、本当の山頂の標高は2,000㍍を軽く越えているものと思う、つまりはミレニアムで大騒ぎされた標高2,000㍍ジャストではないのでは?どっちでもいいことだけど…。引き返し破風岳まで戻った。

 破風岳に戻るとタイミング良く晴れてきて、群馬県側の山も少し見えてくる。草津白根や横手山、笠ヶ岳や岩菅山などが雲の切れ間から顔を出し始めた。長野側の展望は更に良く、北アルプスや北信五岳は相変わらずよく見ている。破風岳はほんとに立ち去りがたいような展望も雰囲気も良い山頂だった。
 見下ろす毛無峠に車が停まり、登る人でも居るのかな?と思っていたが、しばらくするとその人物はラジコンヒコーキを飛ばし始めた。世の中には色んな趣味の人がいるものだ…こんな所に平日来るからって山登りの人とは限らないのだ。

 毛無峠の群馬県側下の方に小串鉱山の跡がある、既に建物は無くなっているが、あんなところに人が一杯居た時代があったものかと思う。毛無峠からは鉄塔の残骸を越えて毛無山が丸く、その向こうに巨鯨のような御飯岳が横たわっている。この時、まだ時間も早かったし、大きく盛り上がるこの山を見て本気で登ろうと決めた。茫洋としてはいるが、本当に笹の青い海を横切る巨鯨を思わせ周囲の山の親分といった風格だから登りたくなっても当然だろう。ただし、脇腹を道路が横切っているのが玉にきずか。毛無峠からの道もあるようだし、まあ楽勝だろうと思った(この時は…)。しかしこれは大きな誤算だった。

 毛無峠に停めてある車を素通りして、かつて峠を越えて採掘された硫黄を運ぶために作られたのであろう鋼索ケーブルを渡す支柱の赤錆びた鉄塔が5基並んでいる脇をすり抜け、花崗岩の小石の道を登る。毛無山はほんの15分程で登ってしまう、ここの景色は秀逸だ。毛無山の山頂には、文字通り高木はない。この周囲だけ近くの山々とは様相が全く違う、山頂部にはハイマツとガンコウラン、コケモモなどの矮樹しかなく、岩の間には白い花崗岩の小石やれきが見え、ここだけ写真を撮って人に見せたら南アルプスや中央アルプスのどこかの山頂と見間違えるだろう。たかだか2,000㍍に満たない山には思えない。とても感じの良い所だった。

 破風岳はここと似ているが周囲は笹が多くシラビソが点在する、土鍋山は樹林の中、この後登った御飯岳もまた樹林の中だった。硫黄鉱山の排煙のせいかもしれないが、或いはこの周囲より100㍍ほど低い鞍部だけが極端な風衝植生になっているからなのかもしれない。
 毛無山の頂上には何もない、この山が毛無山という名前なのも帰ってから知った。毛無峠の直ぐ近くの高まりだから毛無山なのだろうか?それとも山の名が初めなのかは不明だ。ここから見た御飯岳はゆったりと大きく途中の笹原の鞍部の向こうに意外に遠く見えている。コースははっきりしているし、特に歩きにくいということもなく鞍部を越えて御飯岳の登りに掛かるまではルンルン気分だった。

 途中の笹原は丈も低く、枯れたシラビソの樹がアクセントになって美しい所だった。直ぐ100㍍下を自動車道路が横切っているとは思えないほど、毛無山からこの辺り一帯は秘境の雰囲気に満ちた手つかずの自然がそのままといった所だ。ところが、いよいよ御飯岳の登りに掛かると、ゆるやかな前衛のコブまでは良かったが、背丈を埋めるほどの猛烈な笹藪に変わった。かつて人が歩いていた登山道はかなりハッキリとしていて、天気も良くて見晴らしも利くし、しつこいほどある赤テープで道を誤ることはないが、前進をはばむからみあった密な笹藪はここまでのペースを半分以下に落とした。とにかく前に進めない。足から踏み込んでも、からみついた笹は身体を通すことを阻止するのだ。標高が高い割に今日のここは気温も高く、濡れないようにカッパのズボンをはいていることもあってか、とにかく暑い。直ぐに全身汗びっしょりになった。

 一つ目のコブを越え、樹林に入ると涼しくなってやや笹は薄くなる。しかし、基本的にはシラビソの木々の周囲だけが少し笹が薄くなっている程度で、他は身の丈の笹が相変わらず前進を徹底的に阻むのだ。息は切れ頭がぼーっとしてくる、寝不足だから余計だ。足から入ろうとしても巧く進めない、へたをすると笹の長い茎が靴にからみついて身体ごと引きずり倒されてしまう、何回ひっくり返ったろう。
 そこで、身体をやや斜めにしてそれこそ笹の海を泳ぐようにすることを思いついた(横泳ぎだ)。この方法はいくらか有効だった。少なくとも足から強引に行こうとするよりも引きずり倒されることは少なくなった。しかし大したことのない高低差、大したことのない距離は少しもはかどらず、時間は過ぎるばかり。笹が刈られていないこの辺りの山が、たとえ踏み型のはっきりしたトレースが付いていてもいかに通行困難かが良くわかった。去年の天丸山の時程ではないが、しかしその分ここは距離が長かった。

 コブを越えてもその先にはだらだらと登りが続いていた。これがいけない、平坦に近いほど笹は深くなり、猛烈に邪魔をする。地図を出して現在地を確認するが、緩い登りがけっこう長く続いていて、地図では表せない小さなコブがいくつもある。その度に笹は深くなり遅々として進まない。3段目のコブを越えると大きな岩があってそこで休んだ。岩の上に乗って先を探るがシラビソの樹林がとぎれとぎれにまだ上に見え、その間には笹の原がサンドイッチのように挟まっている。
 さっき頂上と見えた高まりの向こうにまだもう少し高いシラビソの茂った稜線が見えている。この先何度引き返そうと思ったことか、こんな思いをしてたどり着いた山頂は樹林の中で展望も無いことをすでに知っていたし。
何しろ今日はピクニックのつもりだったのに、短い距離とはいえ今年一番のハードコースになってしまうとは…。登りや距離とは関係なく藪こぎで息も絶え絶えに疲れ果ててしまった。  
 少し脱水になっているのだろう、水をごくごく飲んで、少し休むと、また先に進む元気が出た。頂上に続く最後のコブを登り切ってからがまた長かった。そこにはまた平坦な笹原があったからだ。

 この山はなだらかな形をしていることが状況を悪くしている、頂上部は南側に緩く長く傾斜した広い面で、さらに悪いことにはその北側の一番端のほんの少し高いところが山頂なのだった。だから山頂は、笹をまた嫌というほど漕がなくては到着しないのだった。こうした絶望感を何度も克服しなくては、そこにたどり着けそうもない。そうして、全身汗びっしょり、それこそバケツで水を浴びせられたほどになって、ようやく樹林に囲まれた小さな笹の切り開きにぽっかりと出た。

 木の幹に御飯岳という錆びていびつになったプレートが付いていた。真ん中に二等三角点があった。所々の木々の切れ間から毛無峠や破風岳が低く見えたり、ここに来て初めて姿を見せた横手山や草津白根と志賀の笠ヶ岳がやっと藪の割れ目からのぞかれる程度だ。
  
 御飯岳に登頂できた喜びよりも、帰りの道のことが頭にあったから登頂できた満足感を得たのは毛無峠に戻ってからだった。帰りの時間も余り遅くなれないので、やっとこたどり着いた山頂だったが座って休む間もなく10分程で下ることにする。まあ、実際は展望もないし樹林に囲まれて何となく今日の天気ではむっとして圧迫感もあり、その上休んでいるとゴマのように降りかかるハエやその他の小虫の襲来で、とてもこんな所には長居は無用だった。ちくんと刺す虫がある、土鍋山辺りでもちくんとやられて嫌な予感がしていた。その虫は小さなハエの様で、昔越後三山で刺されてその後長い時間酷い目にあって忘れられない「あの虫」ではないか?
 予感は当ってこのヌカカの猛烈な痒み地獄を帰宅後何日もまた再現されてしまった。
  
 帰りは早かった。一度人が通った藪は嘘のように楽に通過できるのだ。2段目にさしかかる辺りで登ってくる人にあった。平日こんな藪山に登るなんて何という変人だ。(自分のことは棚に上げて…)しかし彼は若く(後で下ってきてからよく見たら30代くらいだった)かなり余裕で登っているように見えた。

 先行者がいる藪山を追従するのはズット楽だ、たぶんぼくの半分くらいの大変さでしか無いのではないか?下りがあまりに楽々すいすいなのでそう思った。毛無山まで飛ばしてあっけないくらいの早さだ。毛無山まで戻ってくると、天気は下り坂なのか少しずつ黒い雲や、あまり好天をイメージさせない雲行きになってきた。

 振り返る御飯岳は茫洋としている、苦しんだ笹は緑の海のようで美しい。やっと登頂できた喜びが小さくこみ上げてきた。今日は破風岳と土鍋山に登れれば良いと思っていた、ネットで得た情報から破風は楽勝としても土鍋は少し苦戦かな?御飯は予定に入れてなかった。だからこそこうして休んでいる気持ちのいい庭園のように美しい毛無山山頂は格別の別天地だった。 

 咲き残りのイワカガミとゴゼンタチバナ、コケモモ、ヨウラクツツジなど種類は少ないがかわいらしい花の絨毯を作っていた。毛無峠には観光客でもいるのか人の声がしている。
 
 毛無峠に予想したより大分早く到着した。靴の中まで濡れ、ズボンもびっしょりだった。でも、そんなことはもうそれ程不快でもなく、疲労も心地よかった。この静かな峠を吹く風に幸福感さえ感じていた。達成感や満足感がこうして快感になるから山登りは容易に止められないのだろう…。カップそばを食べ終わる頃、もう途中ですれ違った彼が戻ってきた。ミラーグラスにストックといういでたちは?だったが、足取りは軽かった。軽トラックに乗ってやって来たようだ長野ナンバーの隣の車に乗り込んだ。もう少し早く出てくれば良かったと笑った。出くわしたときに感じたほど若者ではなかったが、静かな山を好む自分より若い人たちが居ることはうれしい。
 それ程急ぐ必要はなかったが、後は時々睡魔に襲われそうになりながら帰途についた。草津の湯に入りたかったが、入浴料がやや高めなので小野上までがまんして温泉センターで汗を流した。ここはとても雰囲気のいい落ち着いた日帰り湯で安いしとてもお気に入りだ。

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