平成20年8月22日(金)
貴ノ峰1,585m、鬼面山1,889.3m
南アルプステント泊の予定が、日帰りピストンになってしまい、2日目は鬼面山に登ることにした。鬼面山は伊那山脈(南アルプスと伊那谷の間にある山脈)の最高峰だ。南アルプスと中央アルプスに挟まれて伊那山脈は地味で目立たないが、鬼面山は地元の人たちには親しまれている山らしい。
奥茶臼に登った時に車で通過した地蔵峠の標識脇に、『鬼面山→』という文字を見て初めて知った山だ。後で調べたら、一等三角点の山で、頂上には櫓が建ち、大変眺めが良いと言うこと。名前の由来は知らないが、鬼面山とは何かいわくのありそうな興味を惹く名前で気に入った。この方面の山に登った時にチャンスがあれば登りたいと思っていた。2時間程度で登れる山だから、わざわざ家から遠いこの山をメインに登りに行くと言うほどのモノでもない。それが今回、意外に早く叶ったわけだった。
地蔵峠から先、旧上村方面の道路が崩壊したらしく、現在通行止めだった。地蔵峠の鬼面山登山口手前道路脇のスペースに駐車して眠り、5時半頃目が覚めた。シュラフを被っていたら暑くて夜中に何回か目が覚めた。それでシュラフを被らずに寝たら寒くて目が覚めたと言う訳。
朝から良く晴れて青空が広がっている。パンを食べて支度をし、6時20分に出発した。地蔵峠の看板がある所から道が始まるが、特に鬼面山登山口とかの案内はない。地蔵峠は大鹿村と上村(現飯田市)の境で『大鹿村』の村界標が立つ。その標識の回りには、幾つもの看板が立っているが、『地蔵峠・地蔵菩薩像』という看板の隅に、手書きで『鬼面山→』と書かれているだけ。
『日本一美しい村大鹿村』というイラスト入りの真新しい看板が面白い。きっとそう思っている『村』は日本中に沢山あるんだろうなあ…NPO法人『日本一美しい村連合』に加盟しているそうです。他にも『地蔵まで、道を届けて虫の声』と彫られた石碑なんかもあった。
踏跡を入ると、直ぐに小屋掛けされたお地蔵さんがいた。お地蔵さんの脇から、やや痩せた尾根沿いに道はずんずん登っていく。雑木の道は段々傾斜が増してきて背後に鳥倉山や前茶臼山が見えてくる。作業小屋らしいトタン作りの小屋が道を塞いでいる脇をすり抜ける。上村川・遠山川の谷の向こうに特徴有る熊伏山が見えている。シカが多いので、この辺りの山は下草がほとんど生えていない。登るにつれて大きなブナも見られた。痩せた岩混じりの急な登りが終わると、7時21分に前衛峰の貴ノ峰に着く。ここから見上げる鬼面山は、まだ大きくて高い。
貴ノ峰から一度下り、後は広い尾根を一直線の登りになる。ダケカンバやシラビソが出てくると山頂の一角に出た。南に少し稜線を辿り、8時半に木製の櫓が建つ山頂に着いた。一等三角点と登頂者記名のノートが入ったポストが立っている。このポストは反対側の豊丘村で設置したモノだ。早速櫓に登って周囲を見回した。
丸太作りの櫓は、足元の丸太に隙間が空いていて何とも不安定で危なっかしい。落ち着かない所だった。周囲の木々が伸びているから、櫓に登っても西と南以外は余りよく見えない。伊那谷沿いの町々は良く見えた。残念ながら、中央アルプスは雲がすっぽりと覆っていて全く見えなかった。一直線に伸びている伊那山脈の北と南は同じ様な高さの山が並んでいる。その山並みの上に沿って、帯状に雲が乗っかっていた。東は高く伸びた木の上に奥茶臼が近くてシルエットになっているが、その向こうの南アルプスは雲に隠れて見えないのだった。期待したほどの眺めは無い。
櫓を降り、湯を沸かしてカップラーメンを食べた。地味な山ながら、この静かさは好ましい。9時33分に鬼面山を下る。来た道を坦々と下って11時3分に地蔵峠に着いた。途中で登ってくるおじさんとすれ違ったが、その方のお連れの方は、地蔵峠の先に停めた車でお待ちのようだった。やはり、その様子から南アルプスのついでに登った様だ。
帰りは夕べ入り損ねた小渋温泉『赤石荘』に寄って、眺めの良い露天風呂に浸かった。独り占め、貸し切り状態で、なんとも気持が良かった。昨日の借りはすっかり返しました。
休みはまだ半分残っているが、今回はアルプス日帰りと、里山の一山。登れなかった蝙蝠岳は、ぜひ近日中に再挑戦をしようと思う。
急ぐこともなく、少しずつ途中で休みながら帰路についた。天気予報は当たり、金曜の夜からはずっと雨が続いたのだった。でも、強行すれば登れたろうな。
貴ノ峰1,585m、鬼面山1,889.3m
南アルプステント泊の予定が、日帰りピストンになってしまい、2日目は鬼面山に登ることにした。鬼面山は伊那山脈(南アルプスと伊那谷の間にある山脈)の最高峰だ。南アルプスと中央アルプスに挟まれて伊那山脈は地味で目立たないが、鬼面山は地元の人たちには親しまれている山らしい。
奥茶臼に登った時に車で通過した地蔵峠の標識脇に、『鬼面山→』という文字を見て初めて知った山だ。後で調べたら、一等三角点の山で、頂上には櫓が建ち、大変眺めが良いと言うこと。名前の由来は知らないが、鬼面山とは何かいわくのありそうな興味を惹く名前で気に入った。この方面の山に登った時にチャンスがあれば登りたいと思っていた。2時間程度で登れる山だから、わざわざ家から遠いこの山をメインに登りに行くと言うほどのモノでもない。それが今回、意外に早く叶ったわけだった。
地蔵峠から先、旧上村方面の道路が崩壊したらしく、現在通行止めだった。地蔵峠の鬼面山登山口手前道路脇のスペースに駐車して眠り、5時半頃目が覚めた。シュラフを被っていたら暑くて夜中に何回か目が覚めた。それでシュラフを被らずに寝たら寒くて目が覚めたと言う訳。
朝から良く晴れて青空が広がっている。パンを食べて支度をし、6時20分に出発した。地蔵峠の看板がある所から道が始まるが、特に鬼面山登山口とかの案内はない。地蔵峠は大鹿村と上村(現飯田市)の境で『大鹿村』の村界標が立つ。その標識の回りには、幾つもの看板が立っているが、『地蔵峠・地蔵菩薩像』という看板の隅に、手書きで『鬼面山→』と書かれているだけ。
『日本一美しい村大鹿村』というイラスト入りの真新しい看板が面白い。きっとそう思っている『村』は日本中に沢山あるんだろうなあ…NPO法人『日本一美しい村連合』に加盟しているそうです。他にも『地蔵まで、道を届けて虫の声』と彫られた石碑なんかもあった。
踏跡を入ると、直ぐに小屋掛けされたお地蔵さんがいた。お地蔵さんの脇から、やや痩せた尾根沿いに道はずんずん登っていく。雑木の道は段々傾斜が増してきて背後に鳥倉山や前茶臼山が見えてくる。作業小屋らしいトタン作りの小屋が道を塞いでいる脇をすり抜ける。上村川・遠山川の谷の向こうに特徴有る熊伏山が見えている。シカが多いので、この辺りの山は下草がほとんど生えていない。登るにつれて大きなブナも見られた。痩せた岩混じりの急な登りが終わると、7時21分に前衛峰の貴ノ峰に着く。ここから見上げる鬼面山は、まだ大きくて高い。
貴ノ峰から一度下り、後は広い尾根を一直線の登りになる。ダケカンバやシラビソが出てくると山頂の一角に出た。南に少し稜線を辿り、8時半に木製の櫓が建つ山頂に着いた。一等三角点と登頂者記名のノートが入ったポストが立っている。このポストは反対側の豊丘村で設置したモノだ。早速櫓に登って周囲を見回した。
丸太作りの櫓は、足元の丸太に隙間が空いていて何とも不安定で危なっかしい。落ち着かない所だった。周囲の木々が伸びているから、櫓に登っても西と南以外は余りよく見えない。伊那谷沿いの町々は良く見えた。残念ながら、中央アルプスは雲がすっぽりと覆っていて全く見えなかった。一直線に伸びている伊那山脈の北と南は同じ様な高さの山が並んでいる。その山並みの上に沿って、帯状に雲が乗っかっていた。東は高く伸びた木の上に奥茶臼が近くてシルエットになっているが、その向こうの南アルプスは雲に隠れて見えないのだった。期待したほどの眺めは無い。
櫓を降り、湯を沸かしてカップラーメンを食べた。地味な山ながら、この静かさは好ましい。9時33分に鬼面山を下る。来た道を坦々と下って11時3分に地蔵峠に着いた。途中で登ってくるおじさんとすれ違ったが、その方のお連れの方は、地蔵峠の先に停めた車でお待ちのようだった。やはり、その様子から南アルプスのついでに登った様だ。
帰りは夕べ入り損ねた小渋温泉『赤石荘』に寄って、眺めの良い露天風呂に浸かった。独り占め、貸し切り状態で、なんとも気持が良かった。昨日の借りはすっかり返しました。
休みはまだ半分残っているが、今回はアルプス日帰りと、里山の一山。登れなかった蝙蝠岳は、ぜひ近日中に再挑戦をしようと思う。
急ぐこともなく、少しずつ途中で休みながら帰路についた。天気予報は当たり、金曜の夜からはずっと雨が続いたのだった。でも、強行すれば登れたろうな。
突然の書き込みで失礼致しました。
特に文献とかはありません。というか、ぼくは基本的には地図を見るのが好きなので、あちこちの山を地図で見て楽しんでいます。今はパソコンで見られるカシミールなんか便利です。
山に関する書籍は沢山持っていますが、特にこれというものはないですね。
地図で見たり、実際登った山から見た印象に残った山とかが登りたい山の候補になっています。
今はネットで検索すれば、沢山山行記録などがヒットしますから、資料を揃えるのは便利になりました。
でも、基本は地図で見つけています。
山行を重ねることで行きたい山を見つけることが
できるというのは、たしかにそうですね。
それと私ももっと地図を見よう!