今度、どこ登ろうかな?

山と山登りについての独り言

・南アルプス、光岳

2007年10月09日 | 山登りの記録 2007
平成19年10月6日(土)
光岳2,591.1m イザルガ岳2,540m 易老岳2,354m

 先週、登山口の易老渡まで入りながら、ざーざー降りの雨に涙のリタイアで「お預け」を喰った光岳。登山口の易老渡は秘境「遠山郷」の更に奥、家から一般道を6時間半も掛けて辿り着いた所だ。長野県は広い。先月登った北アルプスの七倉辺りから直線距離でも130㌔もある。南信濃村は隣の上村と共に現在は飯田市になったが、「千と千尋の神隠し」のモデルになった霜月祭りや、日本のチロルと呼ばれる山上の下栗集落など奥山秘境の雰囲気に満ちた所。ぼくはこういう所が大好きだ。

 南アルプスの主稜線で、最南端に当たる光岳はアプローチが遠くてなかなか行けなかった。南アルプス(北部)は北アルプスに比べると家から距離が近いため、結構登っている。南部は随分前に茶臼や上河内・聖などは登ったが、茶臼以南はまだ残っていた。

 今年5月に深南部の大無間山に登り、北に遠くなだらかな稜線が続く光岳を見ると、登り残しているこの山がずっとこの頃気になっていた。ぼくは南アルプス南部というと、静岡側から入ることばかり考えていたが、南信から入ればリムジンバスに頼る静岡側から登るより、ずっと自由度が広がって、そう、日帰りも可能なハズだ。日帰り登山しか選択肢が無いぼくとしては、これで何とか光岳に行ける事が現実味を帯びたモノになった訳だ。登山口までのアプローチが非常に長い事と、かなりのハードピストンになることを除けばだが。

 それが、先週はリタイアだ…2週続けての遠征は結構大変だけど、登らなくては気が済まない。幸い3連休の前半は晴れの予報(今度はホントかな?)で、金曜の夜に再び易老渡に向かう。先週走ったばかりだが、今回は碓井・麦草・杖突・分杭・地蔵と5つの峠を越え、下栗の山上集落を過ぎて再び易老渡の駐車場に着いた。やっぱり6時間は掛かって午前2時半の到着。先週と違って3連休なのでか?駐車場は結構一杯だ。直ぐにシュラフに潜って仮眠する。今のところ、星が出て晴れていた。

 5時にアラームで目覚める。駐車場はほぼ満車。まだ薄暗いが、支度をしている人、既に出発する人と賑やかだ。百名山を巡礼みたいに登っている「百名山ハンター」も当然多いだろうから、この山を登りたい!という気持でここに来ている人ばかりで無いのは事実だろう。光岳は百名山でも最後に残して登る人が多いという話を聞く、この先の便ヶ島から聖岳と両山一緒に登る人が効率を考えて「…ハンター」には多いのだともいう。易老渡から光岳への登山道は、昔は一般路では無かった。光岳は静岡側から入って茶臼を経由して登るというのが、ぼくにとって光岳へのアプローチだったから、そこは「遠い山」だったのだ。百名山ブームに併せてこのコースが整備されたという事実も否めない、だとすれば、アンチ百名山派のぼくとしても、今回はその恩恵に浴する訳か? まあ、そんな事はどうでもいいことだけど…。

 5時半に易老渡の駐車場から、橋を渡っていきなりの急登が始まる。易老岳に一直線に登っている尾根の面平という平坦な地点まで、取りあえず一気の登り。晴天の予報だが、霧が谷をフタしているのか、今のところ空は曇っている。ヘッドランプを点けているけれど、間もなく要らなくなり、ひたすら登る登る。面平は檜からコメツガ林に繋がる平坦地で、6時41分に通過。この先もずっと急な登りが延々と続いている。

 樹間から聖岳が姿を現した。やはり朝霧が谷をフタしていたようで、基本的には晴れて行くようだ。ほぼ一ヶ月のブランクと、寝不足のせいか、一向に調子が出てこない。汗でびっしょりになる。それでも、先行する人を1人2人と抜いていく。2,254mの三角点峰付近で山岳マラソンみたいないでたちのシニアさんにあっさり抜かれる。息も切らせず、なんともお元気で…。その後一度この方はお休みしていたので、抜き返したが、またあっさり抜き返された。(光岳の頂上付近で引き返してくるこの方と会いました)木々の切れ間から、尾高山から奥茶臼への稜線が見えるが、谷も雲、上空も雲のサンドイッチの間に見えていた。

 2,254m三角点から痩せた岩混じりの尾根になって、最後の急登で濃いガスに巻かれた易老岳山頂に9時5分に到着した(易老渡から3時間半の所用時間でした)。霧に巻かれて良くわからなかったから、到着した方面標識しかない三差路の地点が山頂と思ったが、帰りに10㍍程茶臼岳寄りにちゃんと山頂標識と御料局三角点がある「山頂」を確認した。
 残念ながら、動かない濃い霧に包まれている。こんな天気で最後まで展望が全くなかった例が過去に何度もあったから、ちょっとイヤな気分に支配されがち。それにしても、今日はピッチが上がらず、何だかもの凄く眠くて居眠りでもしそうなくらいで、このままここで眠ってしまいたかった。霧のせいか、気温がグンと下がって半袖ではいくらなんでも寒くて長袖シャツを着る。

 易老岳では休まずに先に進む。緩い下りから平坦なシラビソの立ち枯れが多い稜線を進み、そこでちょっと一休み。チョコとおかきを食べていたら、後続の40代くらいの方(所沢ナンバーの方)が来て先行された。少し休んで霧に目隠しされた樹林をどんどん下っていく。遠山川に向かった北西側がガレになった所は平坦な小広場になっていて、晴れていれば展望が良いところ(帰りには眺めがあった)。「携帯がつながります」なんて看板があった(帰りにここから妻にメールを飛ばす)。

 三吉平を過ぎ、イザルガ岳の西側の窪を登るようになる。ガレで登りにくい。周囲の山肌は少し紅葉し始めているが、霧のため幽玄な景観?。相変わらず眠くて、少し朦朧として惰性で登っている感じだが、天気の所為もあって気分はふさぎがち。先行した2人連れの人を抜いて、登り着いた所が静高平で二重山稜の窪の小平地だった10時50分。ここには水場があって冷たくて美味しい水が流れ出していた。

 美味しい水で少し気分を取り戻し、ハイマツの間を緩く登っていくと、目の前に視界が開けセンジガ原に出た。湿原の真ん中に木道が敷かれているが、乾燥して特に花も見えない。亀甲状土で、少しもこもこした地面がお盆状に広がっている、周囲はハイマツに囲まれた所。ベンチまであるここはイザルガ岳への分岐になっていた。センジガ原を10時57分に通過した。霧に見え隠れするハイマツの小山から鋭い鹿の遠音が聞こえ、静かさを一層際だたせる。

 相変わらず霧が巻く先に木造の光岳小屋が見えてきた。まだ新しい小屋はもう営業を終えて無人の避難小屋になっている。小屋の裏に回って光岳への道を進む。小屋の裏はテン場になっていた。ここまで登ってくると静岡側の方はガスが切れて霞みがちながら、いくらか展望があった。うっすらと懐かしい大無間方面が見えていた。

 シラビソとダケカンバの樹林が続く道が小屋の裏手の小山に登っている。その小山が光岳の山頂部だ。ダケカンバは太いモノが多いが、丈は低くうねるようにねじくれて盆栽で作った樹のようだ。この辺りの気候が厳しい様子を物語っていた。先行していたシニアさんと、登りでは会わなかった(ぼくより早立ちした人)が2,3人降りてきてすれちがった。イザルガ岳方面の展望が木々の間から眺められ、寸又峡・信濃俣への分岐を過ぎると北側から樹林を詰め上げ、樹林の中の狭い光岳山頂に11時25分に着いた。丁度6時間掛かったことになる。終始ピッチが上がらなかったこともあって、平均的な歩行時間だろうか?

 光岳山頂には静岡県が作った(笊ヶ岳と同じ)黄色いがっちりした山頂名標識が立ち、三角点標石、環境庁(当時)の大井川源流部原生自然環境保全地域の地図入りの大きな看板が立っていた。シラビソに囲まれて展望はない。直ぐ先で声がするので、先に進むと、易老岳の先で先行した所沢ナンバーの方が降りてきた。そこは御料局の三角点標石が岩陰にある展望台だった。一人きりになった山頂で静かな一時を過ごす。

 時々霧が晴れてきて、周囲の山が見えてくるが、直ぐにまた白いベールに包まれてしまう、こんな事をしばらく繰り返していた。湯を沸かしカップ蕎麦を作った。直ぐ下に光石が原生林から頭を突き出しているが、それも出たり消えたり、色づいてきたダケカンバの黄葉を散らして白い光石はきれいだった。光石と同じ石灰岩の岩頭に今座っている。

 この山はハイマツの南限と言うことになっているが、ハイマツそのものはずっと南の丸盆岳にもあるし、大体、光岳の山頂部にはハイマツは無かった。細いシラビソとダケカンバの矮樹がそこにあった。昔読んだ深田久弥の『日本百名山』光岳の記述に「御料局の三角点の傍らで休んだそこに、ハイマツ…」とあったが、そこにはハイマツは無かった。御料局三角点がある石灰岩の岩頭は、シラビソとダケカンバの矮樹しか見あたらないのだった。おそらく、深田さんは後から記憶を辿ってこれを書いたのでは無いでしょうか?事実には反するこの事実。光岳小屋周辺やイザルガ岳周辺は大きくハイマツ帯になっている。残念ながら、光岳山頂部に限っては、ハイマツは無く、イザルガ岳やセンジヶ原まで大きく含めたこの山一帯を光岳とすれば、ハイマツ帯が有ると言うことのようです。遠くからこの山を見ると、なだらかな一つの山体に見えるから、全体を光岳とする方が自然かも、でも、「光石」から山名が付けられたということからすれば、これはちょっと無理があるのかも知れない。光石が駿河湾から見えたというのも、どうも無理のようです。この角度では、向こうの池口岳方面の稜線に隠れてしまうだろう。まあ、これも、どうでもいいことですが…。

 しばらくすると、静高平で抜いてきた2人連れが上がってきたが、ここは素通りして光石に下っていった。蕎麦を食べながら、随分昔から憧れだった光岳の頂上に今一人きりで居るんだなあ、と実感。ぼく好みのとても渋い山で満足だった。アルペン的な山が好みの人には物足りないかな。

 12時丁度に山頂を降りた。後から入れ違いに単独行の人が山頂に到着した。光小屋に下るまでに2,3人登ってくる人もあった。光岳小屋のテン場にはテントが一つ張られて、小屋にも人が入っているようだった。朝立ってきた人たちが、続々と到着し始めた様だ。小屋に下ってくると、青空が広がり初め、センジガ原の向こうに雲から頭を出した聖岳と兎岳が見えた。陽が当たりはじめると暖かくなって、気分も晴れてきた。ハイマツの間を緩く下ってセンジガ原に降り、分岐からイザルガ岳に登る。丁度イザルガ岳から下ってきた所沢ナンバーの方も、晴れて眺めがあったことを喜んでいた(大変な思いをして登ったご褒美だもの…)。

 12時31分イザルガ岳に到着。ここは周囲をハイマツに囲まれた小石の原が広がって大変眺めの良いところだった。山名を切り抜いた鉄製看板が立っていた。足元の小石は石器のように鋭利に尖り、崩壊した砂岩だ。古い枯れきった木片が良く見るとそれに混じっているから、以前はもっとハイマツが頂上部を覆っていたのだろうか?とにかく、遮るモノもない360度の大展望台だ。

 残念ながら、晴れてはきたが、南アルプスの主稜線の山々は雲に頂上部を隠されていて、雲が切れると少し見える程度だったが、富士山も中央アルプスも時々見えた。深南部の山々も霞がちながら、雲の切れ間から見え隠れした。天空は真っ青な青空で、秋雲がたなびいていた。
 遠くの山はそんなわけで良く見えなかったが、直ぐそこの光岳はゆったりとしたスカイラインをセンジガ原の上に見せている。

 どうにか最後に展望もあって、晴れた気分でイザルガ岳を12時46分に下る。そのまま秋晴れのセンジガ原を後に静高平に下り、再び美味しい水をボトルに満たして光岳を後にした。

 復路は随分沢山のパーティーとすれ違う。やはり3連休、百名山と言うことでしょうか?今夜の光岳小屋とテン場は賑やかな様だ。易老岳直下の西側が開けた薙の展望台で妻にメールを飛ばす。背後にシルエットになった光岳がずんぐりとした大きな山容だった。遠山川の本流付近は矢筈山辺りが遮って見えないが、易老渡から便ヶ島に続く林道の一部が小さく見えている。その上に稜線を雲に隠した尾高山が見えていた。

 易老岳まで上り返して、今度は易老岳の山頂を踏んだ。易老岳14時24分着。ここで小休止して、後は一気に降るのみ。易老岳を14時33分に立ち、転げ落ちるような下りを下りに下って、15時23分に面平を通過し、尚も下り続けて16時28分に登山口に到着した。下りは2時間で終了。易老渡の駐車場は満杯の盛況。

 易老渡から林道を慎重に下り、下栗の山上から下って152号線に降りた。南信濃の和田集落にある「かぐらの湯」の広々した風呂で、汗を流し一日の疲れを癒した。ここは人も少なくて、露天風呂も大きく、硫黄の臭いがするとてもいい温泉でした。すっかり暗くなった山あいの集落に、一軒だけの小さなスーパーでおみやげに「遠山ジンギス」と信州リンゴを買い込み、帰路につく。さすがに帰りは一般路を戻ったのでは午前様になりそうなので、飯田で食事をして中央道・長野道・上信道と繋いで、高速道路で帰還した。それでも、家に着いたら午前12時を回ってしまいました。

 長年の憧れ、光岳はお天気こそそこそこだったが、深々とした原生林と、伸びやかな山稜で、ぼく的にはとても良い印象の山だった。

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