平成20年9月24日(水)
谷川岳1963.4m、オジカ沢の頭1,880m
谷川岳の山頂(トマの耳)から西南を眺めると、一番目立つのは爼(まないたぐら)の豪快な山容だろう。もともと谷川岳という名称は、この爼に付いていたのだという。それがゆえか、この山の下を流れるのが谷川で、利根川手前に谷川温泉がある。さて、その爼だが、残雪期に阿能川岳や小出俣山を経由してここを通過し、谷川岳に至るという登山記録は結構散見するが、雪のない時期に歩いたという記録を見ない。25,000図ではオジカ沢の頭から爼を経由し、川棚の頭まで破線記号がある。今はともかく、かつてはちゃんとルートがあったようだ。
現在、谷川岳登山者の大多数が利用している天神尾根から見る主役は、やはり幕岩を張り巡らした豪快なこの爼だろう。でも、不思議にここを登ったと言う話を聞かない。ぼくは何回眺めたか知れない、この爼の山頂に立ちたいといつも思っていた。今年の春に阿能川岳に登ったので、この方面次はここしかない。秋分の日は次男の部活のアッシーがある。その次の日も晴天の予報が出ているので、残っている振替休日を取って、その爼を目指すことにした。
23日の夜に家を出て土合へ。その昔、上越線の土合駅下り地下ホームから600段以上の階段を上ることから谷川岳の登山が始まった。一体何回この階段を上ったろうか…。土合の駅周辺はことのほか想い出が多いが、その土合辺りも随分変わってしまった。土合駅舎と遭難者の慰霊碑と登山指導センターの建物はあの頃と変わらない。車両進入規制期間ではないので、指導センターから先、一の倉出合まで車が入れる。
今回は、ロープウェイの下を登って天神尾根経由で谷川岳に立ち、そこから爼をピストンしようと思っていた。西黒を登るより、その方が楽そうだ。でも、ロープウェイ駅周辺には車を停められる所はない。指導センター直ぐ上のカーブにある駐車スペースに車を停めて仮眠することにした。そうしたら、西黒を登った方がストレートに登りだから良いかな…と思いだした。西黒尾根も随分久しぶりだな…5年前に子供と谷川岳に登った時は厳剛新道だった(上で一緒になるからあまり変わらないけど)。
今、ここは雨が降っている。朝になれば止んで、晴れてくるという予報を信じましょう。アラームを5時にセットしてシュラフに潜った。
アラームが鳴る直前に目が覚めた。車が通過していったようだ。ぼくの車の後ろに、その車ではない、夕べはなかった別の車が停まっている。まだ少し薄暗い。雨は止んで、周囲の山は見えているが、北の方は黒っぽい雲が張り出していた。起きあがって外を見ていたら、その薄暗い道をキスリングザックを背負った人がゆらゆらと通り過ぎていった。今時、キスリング…歩き方といい、まだ眠い頭で一瞬、亡霊かと思った。薄暗くて顔が見えなかった…。(後で追いついたら、ご年配のハイカーでした)
パンをかじり、支度をして5時半に出発する。カーブを一つ上った先が西黒尾根の登山口だ。滑りやすい急な登りを快調に上がっていく。前回痛めた胸の打撲が、もう痛くないと思っていても、身体をよじったりするとまだ痛いのだった。送電鉄塔を過ぎ、延々と続く登りは懐かしいな。
送電鉄塔の直ぐ上で、キスリングザックを背負ったご年配のハイカーを追い抜く。しかし、そのキスリングは結構新しそうなのだった?まだ、売っているところがあるのだろうか。今時、ワンゲルの学生だってこれは背負わないね。でも、レトロな雰囲気はいい。最近の軽くて背負い心地の良いアタックザックと違って、振られるし、横に出っ張って通過しづらいのは難点ですが。ぼくもその昔、80㌢という特大のキスリングを背負っていたなあ。口が締まらなくて、開けたまま、細引きで縦結びにしていました。何だか知らないけど、それが昔は普通だった。とてつもなく大きなキスリングを、口が締まらない程にして背負うのが当時はカッコ良かったんだね。
西黒尾根を登っているせいか、昔のことばかり思い出してしまう。何だかこの辺りにぼくの青春が、まだ漂っているようだ。
単調なきつい登りが続く、しかし何回登ったか分からない道だから「もう少しであそこだ」と、先が読めるから楽だ。ラクダの背の手前で、天神平が見える。群馬県側は大きく晴天域になって頂上を雲に隠した武尊以外はすっきりと見えている。赤城山が遠くにシルエットになっていた。それに引き替え、行く手はラクダの背の少し先から雲に埋まっていたし、湯桧曽川上流は黒い雲に隠れていた。7時半に厳剛新道分岐に着く。氷河の跡辺りから雲に入る。
雲の中になった。それまでは登りで少し暑いくらいに感じたが、雲に入ったとたんに風が強くなって寒くなった。氷河の跡も濃いガスの中。さらに登って、ザンゲ岩から先は見通しも極端に悪くなる。立ち止まっていると恐ろしく寒い。
天神尾根分岐を過ぎ、8時41分に谷川岳山頂(トマの耳)に着いた。誰も居ない山頂には風が強く吹いていた。西黒尾根登山口から丁度3時間、結構ゆっくりペースだった。もちろん全く展望は無い。周囲10㍍程度の視界。今日の予報は午前中は曇りがちで、昼過ぎから晴れるというもの。まあ、この時間ではまだ仕方ない。
10分程山頂にいたが、余りに風が強くて寒いので、早々に肩の小屋に下る。肩の小屋には泊まったと思われる人が2人荷造りをしていた。まだ管理人が滞在中の様だ。長袖シャツでは寒いのでパーカーを一枚羽織り、9時10分再び外に出る。
視界が無い縦走路を万太郎方面に下っていく。矮化したカエデは赤黄色く色づき、紅葉が始まっている。下っていくと、少しガスが晴れて景色が見えてくるが、直ぐにまたガスに包まれて視界がなくなってしまう。中ゴー尾根分岐から先は縦走路も痩せて、岩を巻いて行くようになるが、時折もの凄い風で吹き飛ばされそうになる。極端に痩せた稜線の右は新潟で左は群馬。オジカ沢の頭まで、岩を巻きながらの登高になる。新潟側から突風が吹いている。オジカ沢の頭頂上に近づくと、視界は更に悪くなり5㍍程度しか見えない。立っていられないほどの風で、飛ばされないように姿勢を低くして周囲の岩や木々を掴みながら、10時15分にオジカ沢の頭に着いた。さて、今の状態ではこの先進むかどうか、判断できない。風が比較的弱い群馬側の斜面に荷を置いて、しばらく時を伺う事にした。
しかし、ほぼ寝ているに近い姿勢なのに、時折身体ごと持ち上げられそうになる。もの凄い風で、うっかり立ち上がると飛ばされてしまうだろう。周囲の草は草紅葉。風でなびいて波打つようだ。30分ほど待ったが、一向に風も収まらないし、パーカーを着ていてフードまで被っているのに寒くて堪らない。気温を見たら6℃。残念ながら、今日はこの先、道があるかどうか分からない、全く姿も見えない爼に向かうのは無理のようだ。しばらく晴れてきそうもない。這いつくばる様にしてオジカ沢の頭を後にする。下っていく、痩せた岩混じりの縦走路では、何度も吹き飛ばされそうになった。群馬側の笹の海に飛んでいってしまいそう。こんなに凄い風は初めて。
オジカ沢の頭を下りきって、少し風が弱くなるが、相変わらずガスが新潟側から吹き飛んでくる。丁度ここを雲が通り道にしているらしい。冷え切った身体を思わず縮こまらせてしまう。鼻水が垂れてくる。
谷川岳とオジカ沢の頭の鞍部付近で荷を下ろして休む。万太郎方面に向かう単独行のハイカーとすれ違う。そうして、寒くて縮こまっていたら、突然幕が開くように猛烈な風と共に雲が2つに割れ、陽が差してきた。ああっと思うと、新潟側の湯沢辺りの町が見え、雲がまるで白いカーテンの様にまくれあがり、その後一気に吹き飛ばされてあっという間に快晴の山になった。目の前のオジカ沢の頭は、紅葉した鋭峰を見せ。爼がこの日初めて姿を現した。しばらくは頂上付近に雲がこよりの様にまとわりついていたが、それも吹き飛んですっかり丸見え。谷川岳から一の倉岳・茂倉岳も次第に雲が吹き飛んで、全部すっきりと姿を現したのだ。もちろん、群馬県側は遠くまで快晴の空が広がり、赤城・榛名は言うに及ばず、はるか彼方に富士山まで見えるのだった。なんてこった…。時間はもうお昼近い。まあ、天気予報がジャストに的中と言えばそれまでだけど。
そんなわけで、諦めてしまった爼をこれから登り返すのもちょっと厳しいし。残念ながら、最近にない素晴らしいこの展望をゆっくりここで楽しむことにした。すっかり晴れ渡ったお天気で、それまで寒くて堪らなかったのが、一転して暖かくなったのだった。丁度そこを、朝抜いてきたキスリングのご年配の方が、軽く会釈をしてゆっくりゆっくり通り過ぎていった。
笹の平らな場所で店を広げて、カップラーメンを食べ、後は写真を撮ったり景色を眺めて少しばかりぼーっとしていた。
谷川岳に登り返し、ここでもこんなに眺めが良い谷川の頂上も初めてだなと思いながら、展望を楽しんだ。平日ながら、天神尾根経由でやってくるハイカーはそこそこ多いようだ。とはいえ、静かな山だった。14時丁度に谷川岳を降りる。天神尾根を下ろうかとも思ったが、真っ直ぐ下りる西黒の方が早いだろう。秋晴れの気持ちの良い下りを順調に降りて16時34分に西黒登山口に下る。やや薄暗くなり始めた土合を後に帰路についた。
帰りは谷川温泉の「湯テルメ谷川」で汗を流す。閑散として人も2,3人、広々した露天風呂はとても気持が良かった。どうも、このところ目的の山に登れない。宿題の山ばかり増えていく。今回の爼と前回の蝙蝠岳、それから高薙山や小出俣山等…困ったモノだ。
谷川岳1963.4m、オジカ沢の頭1,880m
谷川岳の山頂(トマの耳)から西南を眺めると、一番目立つのは爼(まないたぐら)の豪快な山容だろう。もともと谷川岳という名称は、この爼に付いていたのだという。それがゆえか、この山の下を流れるのが谷川で、利根川手前に谷川温泉がある。さて、その爼だが、残雪期に阿能川岳や小出俣山を経由してここを通過し、谷川岳に至るという登山記録は結構散見するが、雪のない時期に歩いたという記録を見ない。25,000図ではオジカ沢の頭から爼を経由し、川棚の頭まで破線記号がある。今はともかく、かつてはちゃんとルートがあったようだ。
現在、谷川岳登山者の大多数が利用している天神尾根から見る主役は、やはり幕岩を張り巡らした豪快なこの爼だろう。でも、不思議にここを登ったと言う話を聞かない。ぼくは何回眺めたか知れない、この爼の山頂に立ちたいといつも思っていた。今年の春に阿能川岳に登ったので、この方面次はここしかない。秋分の日は次男の部活のアッシーがある。その次の日も晴天の予報が出ているので、残っている振替休日を取って、その爼を目指すことにした。
23日の夜に家を出て土合へ。その昔、上越線の土合駅下り地下ホームから600段以上の階段を上ることから谷川岳の登山が始まった。一体何回この階段を上ったろうか…。土合の駅周辺はことのほか想い出が多いが、その土合辺りも随分変わってしまった。土合駅舎と遭難者の慰霊碑と登山指導センターの建物はあの頃と変わらない。車両進入規制期間ではないので、指導センターから先、一の倉出合まで車が入れる。
今回は、ロープウェイの下を登って天神尾根経由で谷川岳に立ち、そこから爼をピストンしようと思っていた。西黒を登るより、その方が楽そうだ。でも、ロープウェイ駅周辺には車を停められる所はない。指導センター直ぐ上のカーブにある駐車スペースに車を停めて仮眠することにした。そうしたら、西黒を登った方がストレートに登りだから良いかな…と思いだした。西黒尾根も随分久しぶりだな…5年前に子供と谷川岳に登った時は厳剛新道だった(上で一緒になるからあまり変わらないけど)。
今、ここは雨が降っている。朝になれば止んで、晴れてくるという予報を信じましょう。アラームを5時にセットしてシュラフに潜った。
アラームが鳴る直前に目が覚めた。車が通過していったようだ。ぼくの車の後ろに、その車ではない、夕べはなかった別の車が停まっている。まだ少し薄暗い。雨は止んで、周囲の山は見えているが、北の方は黒っぽい雲が張り出していた。起きあがって外を見ていたら、その薄暗い道をキスリングザックを背負った人がゆらゆらと通り過ぎていった。今時、キスリング…歩き方といい、まだ眠い頭で一瞬、亡霊かと思った。薄暗くて顔が見えなかった…。(後で追いついたら、ご年配のハイカーでした)
パンをかじり、支度をして5時半に出発する。カーブを一つ上った先が西黒尾根の登山口だ。滑りやすい急な登りを快調に上がっていく。前回痛めた胸の打撲が、もう痛くないと思っていても、身体をよじったりするとまだ痛いのだった。送電鉄塔を過ぎ、延々と続く登りは懐かしいな。
送電鉄塔の直ぐ上で、キスリングザックを背負ったご年配のハイカーを追い抜く。しかし、そのキスリングは結構新しそうなのだった?まだ、売っているところがあるのだろうか。今時、ワンゲルの学生だってこれは背負わないね。でも、レトロな雰囲気はいい。最近の軽くて背負い心地の良いアタックザックと違って、振られるし、横に出っ張って通過しづらいのは難点ですが。ぼくもその昔、80㌢という特大のキスリングを背負っていたなあ。口が締まらなくて、開けたまま、細引きで縦結びにしていました。何だか知らないけど、それが昔は普通だった。とてつもなく大きなキスリングを、口が締まらない程にして背負うのが当時はカッコ良かったんだね。
西黒尾根を登っているせいか、昔のことばかり思い出してしまう。何だかこの辺りにぼくの青春が、まだ漂っているようだ。
単調なきつい登りが続く、しかし何回登ったか分からない道だから「もう少しであそこだ」と、先が読めるから楽だ。ラクダの背の手前で、天神平が見える。群馬県側は大きく晴天域になって頂上を雲に隠した武尊以外はすっきりと見えている。赤城山が遠くにシルエットになっていた。それに引き替え、行く手はラクダの背の少し先から雲に埋まっていたし、湯桧曽川上流は黒い雲に隠れていた。7時半に厳剛新道分岐に着く。氷河の跡辺りから雲に入る。
雲の中になった。それまでは登りで少し暑いくらいに感じたが、雲に入ったとたんに風が強くなって寒くなった。氷河の跡も濃いガスの中。さらに登って、ザンゲ岩から先は見通しも極端に悪くなる。立ち止まっていると恐ろしく寒い。
天神尾根分岐を過ぎ、8時41分に谷川岳山頂(トマの耳)に着いた。誰も居ない山頂には風が強く吹いていた。西黒尾根登山口から丁度3時間、結構ゆっくりペースだった。もちろん全く展望は無い。周囲10㍍程度の視界。今日の予報は午前中は曇りがちで、昼過ぎから晴れるというもの。まあ、この時間ではまだ仕方ない。
10分程山頂にいたが、余りに風が強くて寒いので、早々に肩の小屋に下る。肩の小屋には泊まったと思われる人が2人荷造りをしていた。まだ管理人が滞在中の様だ。長袖シャツでは寒いのでパーカーを一枚羽織り、9時10分再び外に出る。
視界が無い縦走路を万太郎方面に下っていく。矮化したカエデは赤黄色く色づき、紅葉が始まっている。下っていくと、少しガスが晴れて景色が見えてくるが、直ぐにまたガスに包まれて視界がなくなってしまう。中ゴー尾根分岐から先は縦走路も痩せて、岩を巻いて行くようになるが、時折もの凄い風で吹き飛ばされそうになる。極端に痩せた稜線の右は新潟で左は群馬。オジカ沢の頭まで、岩を巻きながらの登高になる。新潟側から突風が吹いている。オジカ沢の頭頂上に近づくと、視界は更に悪くなり5㍍程度しか見えない。立っていられないほどの風で、飛ばされないように姿勢を低くして周囲の岩や木々を掴みながら、10時15分にオジカ沢の頭に着いた。さて、今の状態ではこの先進むかどうか、判断できない。風が比較的弱い群馬側の斜面に荷を置いて、しばらく時を伺う事にした。
しかし、ほぼ寝ているに近い姿勢なのに、時折身体ごと持ち上げられそうになる。もの凄い風で、うっかり立ち上がると飛ばされてしまうだろう。周囲の草は草紅葉。風でなびいて波打つようだ。30分ほど待ったが、一向に風も収まらないし、パーカーを着ていてフードまで被っているのに寒くて堪らない。気温を見たら6℃。残念ながら、今日はこの先、道があるかどうか分からない、全く姿も見えない爼に向かうのは無理のようだ。しばらく晴れてきそうもない。這いつくばる様にしてオジカ沢の頭を後にする。下っていく、痩せた岩混じりの縦走路では、何度も吹き飛ばされそうになった。群馬側の笹の海に飛んでいってしまいそう。こんなに凄い風は初めて。
オジカ沢の頭を下りきって、少し風が弱くなるが、相変わらずガスが新潟側から吹き飛んでくる。丁度ここを雲が通り道にしているらしい。冷え切った身体を思わず縮こまらせてしまう。鼻水が垂れてくる。
谷川岳とオジカ沢の頭の鞍部付近で荷を下ろして休む。万太郎方面に向かう単独行のハイカーとすれ違う。そうして、寒くて縮こまっていたら、突然幕が開くように猛烈な風と共に雲が2つに割れ、陽が差してきた。ああっと思うと、新潟側の湯沢辺りの町が見え、雲がまるで白いカーテンの様にまくれあがり、その後一気に吹き飛ばされてあっという間に快晴の山になった。目の前のオジカ沢の頭は、紅葉した鋭峰を見せ。爼がこの日初めて姿を現した。しばらくは頂上付近に雲がこよりの様にまとわりついていたが、それも吹き飛んですっかり丸見え。谷川岳から一の倉岳・茂倉岳も次第に雲が吹き飛んで、全部すっきりと姿を現したのだ。もちろん、群馬県側は遠くまで快晴の空が広がり、赤城・榛名は言うに及ばず、はるか彼方に富士山まで見えるのだった。なんてこった…。時間はもうお昼近い。まあ、天気予報がジャストに的中と言えばそれまでだけど。
そんなわけで、諦めてしまった爼をこれから登り返すのもちょっと厳しいし。残念ながら、最近にない素晴らしいこの展望をゆっくりここで楽しむことにした。すっかり晴れ渡ったお天気で、それまで寒くて堪らなかったのが、一転して暖かくなったのだった。丁度そこを、朝抜いてきたキスリングのご年配の方が、軽く会釈をしてゆっくりゆっくり通り過ぎていった。
笹の平らな場所で店を広げて、カップラーメンを食べ、後は写真を撮ったり景色を眺めて少しばかりぼーっとしていた。
谷川岳に登り返し、ここでもこんなに眺めが良い谷川の頂上も初めてだなと思いながら、展望を楽しんだ。平日ながら、天神尾根経由でやってくるハイカーはそこそこ多いようだ。とはいえ、静かな山だった。14時丁度に谷川岳を降りる。天神尾根を下ろうかとも思ったが、真っ直ぐ下りる西黒の方が早いだろう。秋晴れの気持ちの良い下りを順調に降りて16時34分に西黒登山口に下る。やや薄暗くなり始めた土合を後に帰路についた。
帰りは谷川温泉の「湯テルメ谷川」で汗を流す。閑散として人も2,3人、広々した露天風呂はとても気持が良かった。どうも、このところ目的の山に登れない。宿題の山ばかり増えていく。今回の爼と前回の蝙蝠岳、それから高薙山や小出俣山等…困ったモノだ。
こんなピークがあったんですよね。
今度行ってみたい山のひとつになりました。
しかし、天候ばかりはどうしようもありません。
そう言えば谷川岳は堅炭尾根を歩いていません。
谷川岳はまだまだたたのしむことが愛居合いありそうです
あんなに目立つ山もないと思うんですが…。
天神尾根から見る一番の主役だと思います。
でも、登った話を聞きません。
なんでかな?
あそこの頂上から見る谷川岳はどんなんでしょう。
昔、ここを濃霧の中で登って、うっかりルートを外し
(ルートはハッキリしてるけど、覆いかぶさる笹が深いんですね)芝倉沢の中を右往左往さまよって遭難しかけた事がありました。
いわゆるリンデワンデリング(くるくる回っていた)していたという事が後で分かったんですが。
11月初旬で、雪が降り始めて、マジやばかったです。思い出してしまいました。