飯田市山本七久里神社裸祭り(平成3年10月2日撮影)
先ごろ「伊那市諏訪形の御柱祭」で触れたように、いまだ祭典と言えば自粛ムードが強く、以前のような祭典を行うところは少ない。かつてのようには戻らない、という言葉を聞くところもあれば、その日を待ち遠しく語る地域もある。そういう意味では御柱年に実施された御柱祭の取り組み方は、地域によってさまざまだったことは、これまでにも何度か触れた。辰野町の三社御柱はよくぞと思うほど芸能も含めて実施されたのは、「諏訪に近い」という思い入れの違いのようにも受け止められた。
この秋の祭典では、上伊那南部ではことごとく「神事のみ」というところが多かった印象である。いっぽうで祭典があれば盛んに事前報道をする下伊那地域の新聞『南信州』において、自粛下にあっても盛んに祭典の様子が記事として掲載されている。ここみにあげた写真は、平成3年に撮影したもので、飯田市山本の祭りでのもの。三国花火の下、桶振りが行われることでよく知られ、通常開催ならとても賑わう祭りである。したがって新聞でも取り上げられており、「来年を期して」という言葉が見える。これで3年間三国花火下での祭典は中止されたよう。
とはいえ、祭典については所によっては芸能が復活しており、そうした報道が多くされるようになれば、復活の後押しにはなるのだろう。あとはその地域の人々の気持ち次第である。このコロナ騒ぎによって、長い間実施していないと、復活させるのも容易ではない印象を受ける地域もある。とくに山間の戸数の少ない地域ではこれを機会に途絶える可能性は高く、そうした地域をあげれば候補はたくさん浮かぶ。果たして来年はどうか…。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます