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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

伊那市諏訪形の御柱祭

2022-10-02 23:27:46 | 民俗学

 

 昨日は、長野県民俗の会例会を少し早めに抜け、帰路の途中にある伊那市諏訪形へ立ち寄った。ここではいわゆる御柱祭が行われる。「諏訪形」というだけにそこには諏訪神社が祀られている。上伊那地域では小宮の御柱祭は数少ない。もちろん小野の弥彦神社はよく知られており、4月にここに記した宮木諏訪神社御柱祭を含めた辰野町の御柱のほかは、規模は小さく実施個所も少ない。そうしたなか西春近諏訪形の御柱は規模の小さな集落ながら、そこそこの御柱を建てている。そして実際に見てみて思ったことは、コロナ禍でありながら通常に近い形で御柱祭が実施されていたことだ。このことは前述の宮木諏訪神社御柱祭でも触れているが、意外に上伊那地域ではコロナ禍にあって通常に近い形を探った様子がうかがえる。

 この秋季祭典が実施されるこのごろ、相変わらず自粛傾向は強い。とりわけ上伊那地域の秋季例祭に芸能を伴うところはほとんど聞かない。大御食神社でかろうじて獅子舞が行われたという話はうかがったが、小さな神社ではことごとく「神事のみ」が多かったようだ。そうした中での諏訪形の御柱である。あまりに祭りの実施例が聞かれなかったため、例会をそこそこに諏訪形に向かったわけである。聞けばいつも通り御柱当日の午前中には騎馬行列が行われ、長持ちなども奉納されたようだが、わたしは御柱曳行が始まって1時間半ほど過ぎた午後3時半過ぎにようやく現地に着いた。ちょうど諏訪形集落センターに御柱が到着した時間であった。いわゆる諏訪形のメイン通りを麓にある神社に向かって曳き上げる形になる。この後大きな難所を控える。集落内の道をまっすぐ西に向かうと、伊那西部広域農道に出る。ここをクランク状に2度直角に曲がることになり、柱を直角に方向転換させるのが難儀であり、梃子方がおおいに力を発揮する場面。もちろん広域農道はこの時間帯は通行止めとされる。地域の幹線道路を通行止めにして行うという面では気を遣う場面でもある。午後4時10分から50分ほど通行止めになるものの、余裕をとっているだろうが、けっこういっぱいいっぱいの曳行である。加えて迂回させられるこの時間帯は、周囲では渋滞が発生したとも。

 午後2時に曳行を初めて1キロほどで諏訪神社に着くが、参道から神社の鳥居をくぐるには階段を上る。この階段を曳きあげのも梃子方の大仕事である。階段を曳き上げられるといっきに柱建ての場所まで曳き寄せられる。ちなみにこの日曳かれるのは一の柱のみ。これは毎回の例のようで、4本ある柱のうち、二から四の柱は山出しの日に担当地区責任で建てられるという。そして最も太い一の柱だけは氏子全員が関わって曳くのだという。柱建ての場所に曳き寄せられた柱は、建て方によって冠落としが行われ、午後6時半近くにようやく柱建てが始まる。もちろんこの季節のこの時間は、既に暗くなっている。柱には建て方から選出された2名が乗ったまま始まる。ウインチで曳き上げられていくが、狭い境内だけにバランスをとるのが難しいようだ。建てるにも時間を要し、とりわけ柱に乗る2人には見ていてもきついのではないかという印象を受ける。諏訪の御柱でも建て御柱における事故がよく発生する。「固唾をのむ」とはまさにこのことだろう、あえて柱に人が乗ったまま建てるべきかどうか、この後そういう議論をする時が来るのかもしれない。建て始めてほぼ1時間で根元が転圧され柱建ては終了した。柱に上った2人が無事降りて来てみなが安堵し、拍手である。この後、木遣り方による柱建て御礼の木遣りが披露され、さらに万歳三唱が行われて御柱建て一切が終了した。午後7時半であった。


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