Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

描かれた図から見えるもの⑧

2015-04-12 23:00:04 | ひとから学ぶ

描かれた図から見えるもの⑦より

 飯田市の風越山というマチの象徴的山を題材に触れてみたが、山国長野県だけに山を象徴として捉えるのは当たり前だろう。そういう意味では天竜川の右岸、中央アルプスの山々を象徴的に捉える地域はごくふつうにその山々を正面に置いた構図で空間を描くのも当然だ。

 わたしの生まれ育った飯島町はその典型とも言える。ところが残念ながら現在「長野県観光パンフレットライブラリー」公開されているパンフレットは、北を上にした図が掲載されている。観光パンフレットのほとんどがそうであるが、いつ発行されたかという記述がない。したがって明確な年代は示せないが、手元にある少し古い飯島町のパンフレットはおそらく5年ほど前まで配布されていたもの。このパンフレット「飯島素描」には2枚の略図が掲載されているが、いずれも山を正面に置いた構図である。「自然のフィールドは千変万化」というキャッチフレーズのページは、まさに山と川という伊那谷ならではの空間を展開したもの。正面中央に南駒ヶ岳を配し、この山塊から流れ出ずる与田切川をセンターに、そして最下に天竜川を置く。南駒ヶ岳という町にとっての象徴的な山をメインにしていることは図からよく理解できるだろう。そもそも昭和29年に合併した際に、「与田切」を冠した町名が候補にあがったというほど、山と並んで地元の人々には馴染みの川がここには描かれている。この構図はこれまで写真として日記の中で触れてきたもの(「飯島町のこと」)。そしてこの谷の中央に我が生家がある。当たり前のようにわたしもこの構図で空間を捉えていたわけである。けして北を上にするような空間イメージなど持ち得ないのである。もちろん他人にとっては見づらい構図かもしれないが。同じパンフレットにあるもう1枚の略図は全町を示したものであるが、こちらは意図的なのか、少し与田切川を左上から右下へと傾けている。斜めにすることにより全町を収めたいという、スペース的な配慮と思われ、本来は傾きを入れたくなかっただろう。いずれにしてもこのパンフレットを担当した人は、明らかに山を上に置いた構図で地域を捉え、また人にも紹介しようとしていたことは事実である。現在のパンフレットにはまったくない構図だけに、いかに時を経るほどに常識的な捉え方に変わりつつあるかが解る例といえる。

続く


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