Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

描かれた図から見えるもの⑨

2015-04-18 23:22:30 | ひとから学ぶ

描かれた図から見えるもの⑧より

国道153号与田切川橋

 

 前回はわたしの生まれ育った空間から見た図について触れた。田切地形の典型的な場所として知られる飯島町は、ちょうど東側にそびえる陣馬形山という山の頂上から手に取るようにそれら空間を眺めることができる。田切地形とともに天竜川とその支流、そして断層が造り上げた段丘の代表的な空間ともいえる。豊丘村のことに触れながら、同村では段丘を押したてたゆるキャラを作成するほど段丘の村を広報していることについて触れた。伊那谷そのものが段丘のメッカでもあり、その中でもこの飯島町で展開する段丘は、自らそこに暮らしたこともあって最も段丘と暮らしという視点で捉えられる地域だと考えている。何より前回示した与田切川を中心に配した図の下右寄りにある鳥居原礫層を見せる崖は圧巻とも言える。このことも以前何度か触れてきたことで、古いため図には示されていないが、この崖には現在国道バイパスが突き刺さるように開通している。以前も触れたことだが、かつてこの崖を毎日のように眺めていた者にとっては、信じがたい景観である。約60メートル近い直立した崖に向かって、橋を架けるなど神に刃向かうがごとく正気の沙汰には思えなかった。わたしの家から見て北側にあるこの崖は、わたしにとって北方を閉ざす道具になっていたことも事実である。まだ世間知らずの子供心に、あの崖の上はどうなっているのだろう、という思いもあったが、川から望むその崖は永遠の壁たと感じたものだ。自ずと西にそびえ立つ山々を象徴的に捉えたわけで、そもそもあの山より向こうのことを考えるまでに至らないのが、山という象徴なのである。

 わたしは飯島町から宮田村あたりにかけての中央アルプスの峰々が初夏にかけて雪形を見せる地域では、少なからず同じ思いを抱いているに違いないと思っていたものである。「長野県観光パンフレットライブラリー」で公開されているパンフレットで、現在も明確に山を正面に置いた構図のものを作成している自治体がある。ここにあげた宮田村である。7ページにあるGUIDE MAPを見てみよう。図に示された方位は右側を示して北方としている。南側の村境に天竜川支流の大田切川を配し、天竜川を下に左右に示した構図は、飯島町の旧パンフレット同様の構図なのである。宮田村にとってはやはり駒ヶ岳という中央アルプスの主峰が西にそびえる。実は駒ケ岳は駒ヶ根市には接していない。木曽町、上松町、そして宮田村の交点にある。いわゆる主峰に繋がる峰々である宝剣岳、中岳、駒ヶ岳のラインは宮田村と上松町の境にそびえているのである。宮田村にとって象徴的な山であることに違いはないのである。ただし、前述したパンフレットには、その象徴的な山の頂きまでは示されていない。ガイドマップという配置上からくるものなのだろうが、中央アルプスの主峰に自らの村が繋がっているという事実は、村民の誰しもが認識しうることだろう。比較的南北は短い村だけに、村民にどのような方位意識があるかはもう少し聞き取りが必要だろうが、パンフレットに示された事実は軽視できない。

続く


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