Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

続々・平成27年桜ファイル

2015-04-17 23:39:12 | ひとから学ぶ

 4年前に「桜の木のある場所②」を記した。その中に平成19年に信越放送株式会社が発行した『南信州の桜』に掲載された桜を一覧化したものを掲載した。ここにもう一度その一覧を引き出してみた。前回のものにそれぞれの標高を解る範囲で付け加えてみた。90箇所の桜があげられているが、うち27番までが上伊那エリア。以降63箇所は下伊那エリアのものである。以前も触れたように、飯田藩主脇坂候が弥陀の四十八願にちなんで領内四十八寺堂に桜を植えたことが飯田界隈で桜の古木が多い理由だとしたら、このエリアでは生業にも繋がらない鑑賞木を植える余裕があったということになるのだろうか。これも何度も触れてきたことであるが、上伊那が水田地帯が目につくとしたら、下伊那は果樹園が目だつ。水田地帯では畔にかつては木が植えられていたものだが、今はほ場整備によってそれらは撤去された。したがって水田地帯にはあまり支障物がないという印象をうける。それにくらべると区画の整理を伴わなかった畑(樹園地)地帯では、昔の光景がそのまま残される傾向だ。すっきりしない雑な空間イメージということになるかもしれないが、そのおかげで畔に木が残る景色が残された。

 藩主が寺堂に植えたものに限らず。この地域には一本桜の古木が目立つ。飯田市内に多いのも事実だが、周辺の山村地帯にも点々とそうした桜が点在する。豊丘村笹見平の桜のように、根元は墓地だったものも。そもそも垂れるものを庭に植えるのは好まれなかっただろう。それでも古い家にシダレザクラが植えられている光景を垣間見る。背景はなんだったのか、そんなことをしっかり伝えながら、この地の桜を語っていくのが良いのだろう。もうひとつ、2012年に信濃毎日新聞社が刊行した『信濃の一本桜』という写真本がある。本の紹介文は「「名桜」の数が全国一ともいわれる信州」と始まる。一本桜を120本紹介しているというが、一覧をみてみると、飯田市33本、下伊那12本、合計45本を飯田下伊那が占める。桜を押したてても通用するほど桜が多いのだ。あげられた一本桜以外にも多くの一本桜がある。ゆえに最近は、春を前に桜を特集したパンフレットが複数作られる。ようはよそから人を呼ぶだけの材料があるということなのだ。しかし、数百年の間には周囲の光景も変化していることだろう。植えられた当時から現在に至るまでの周囲の変化や、植えられた場所の背景、そしてその桜をずっと見てきた人々にとっての桜への思いも含めて訪れた人々に伝えられれば、多くの桜はリンクされることだろう。ようは共通点がみえてくる。

 さて、今は標高800メートルあたりの桜が満開のよう。まだまだ下伊那には900メートル級や1000メートル級の桜が控えている。


コメント    この記事についてブログを書く
« 親沢の人形三番叟を訪れて④ | トップ | 描かれた図から見えるもの⑨ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ひとから学ぶ」カテゴリの最新記事