Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

水槽で蛍を飼う

2006-05-16 07:37:22 | 自然から学ぶ
 先日新聞に「水槽の魚から湖の環境考えないで」というサイエンス記事があった。水槽と湖の環境は異なるもので、水槽は強制的に浄化しないと魚が住めないが、湖は違うということを説いていた。湖なら汚濁の進んだ湖の方が魚の量は多いという。狭い空間で、一定の魚だけを住まわせていることじたいが強制的なんだから、強制的な浄化があって当然なのだろう。しかし、そうした空間に慣れてしまって湖も浄化が進むほどによいとは限らないということを教えてくれている。

 自然空間は人に見える生物もいれば見難い、あるいは見えていない生物もいる。そして美しく優雅なものはどうしても目立つ。自然界においては目立つと外敵に狙われるということもあって、自然界に同化させて生きている生物が多い。しかし、自然界を人工的にいじってきた人の目には、目立つものが「良いもの」という認識がどこかにある。「水が澄んでいるほどによい」という意識も、結局は見た目なのだ。確かに見た目だけではなく水質の浄化を示す数値はさまざまに設定されているが、一般人にとっては、見た目が第一、そして現実の数値も必要、ということになる。

 「蛍が飛べば良い空間」、だから蛍を呼び戻そうという発想も、そうした考えと変わりはしない。しかし、「ちょっと待てよ」と考えなくてはならないのは、蛍が飛ぶ空間には蛍だけいるわけではない。「多様」という言葉がこれほどまでに広まっても、相変わらずひとつを目指している人間の性なのかもしれないが、蛍が飛ぶ空間は、グッピーの泳ぐ水槽の中とは違うんだということをどこまでわかっているだろうか。どうしても環境を作ろうとしている人々と、それを目当てに見に行く人たち、そして迎える人たちは「人が集まる」ことに意識が片寄ってしまいがちである。「花を植えてきれいにしよう」とも共通する我々のまずい点なのかもしれない。

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