Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

座便器のもたらした変化

2006-05-15 08:17:36 | ひとから学ぶ
 〝わたしにとっての「便所」〟の第4章である。

 「オンナの身体論」において、日本女性の出産や月経が重くなっているといわれる要因として、かがむこと、しゃがむことをしなくなったことがあると、鈴木明子氏は説いた。男は大便はしゃがむものの、小便は立ったままする。それにくらべれば女性はどちらもしゃがむわけで、男性に比較すれば日常で否応なくしゃがむ回数は増える。和式といわれる便器は、しゃがむことで用を足すわけだ。その和式便器は世の中からどんどんなくなっている。当たり前のようにしゃがむ必要性が減少する。

 和式というからしゃがんでする便器の形が日本式なのかと錯覚を覚えるが、ヨーロッパでもしゃがむ姿勢の便器は一般的だったようで、フランスではしゃがむ形式の便器が多いという。紀元前1370年のエジプトの便器は腰掛ける形のおまるだったという。ずいぶん昔のことでありながら、今でもそう形式がかわっていないことに、生理的現象であって、それほど人に見せるようなものではない影の世界は、大きく変化していないということを改めて認識させられたりする。

 そんな和式便器はあくまでも男にとっては大便専用だし、女性にとっては両用である。しかし、水洗化が当たり前になるとともに、世の中からは便座式の洋式トイレというものに変化してきた。加えて便座式の方が身体には負担が少ない、あるいは痔にならないなんていう情報が与えられて、それを日本では受け入れてきた。このへんの変化のニュアンスがなかなか個人差があっておもしろいと思うのだが、あまり触れられていない。ホテルはもちろん、個人住宅のトイレにおいても水洗化されることによって、便器は従来の和式のように、大便用と小便用という分離式ではなく、便座式の便器がひとつだけ置かれるようになった。便座式の便器は、大も小も兼ねられるという利点はあったのかもしれない。狭い住宅事情という日本特有の環境は、トイレのスペースを縮小するには洋式は都合よかったこともある。

 ところが便座式のトイレで立小便をするというのは、それまでの分離型のトイレに慣れていると大変抵抗があるものだ。前にも述べたが、男にとっては立小便は気持ちのよいものだ。ところが、立小便の場合は、とりあえず便器の方を向きさえすれば、少しは便器の手前へしずくを落とすことはあっても、いいかげんでも便器が小便を受け止めてくれる。ところが便座式の便器で立小便をするとなると、そんないいかげんな足しかたでは、小便を受け止めてくれないからだ。しっかり便器の穴へ向けて用を足さないと大変なことになってしまう。飲み屋かなんかで酔っぱらいが便座式で立小便などしていたら、そのトイレに入って大便などいささかしたくなくなる。もちろん、女性と男性が共用だったら女性にとってはかなりつらい空間となってしまうだろう。こんな話を友人ともしたことはないし、他人ともしたことはない。しかしながら、和式から洋式、分離型から共用型という流れの中では、誰しもそんな戸惑いを持ったはずである。初めて便座式トイレへ入ったとき、どうやって小便をするのかわからなくてあきらめた覚えがあるのはわたしだけだろうか。これからの子どもたちはどうも思わないかもしれないが、かつてを知っているものほどその違和感は持って当然である。

 このごろの若い人たちは、男性も便座に座って小便をするという。そうなる布石はさまざまにあったのだろう。共用することになったことも要因であるだろうし、若い男性(もうずいぶん前からだから、若くなくてもそういう男性はいるが)には、小便をするにもズボンのベルトを緩めて用を足す者が多い。いわゆる「社会の窓」を使わないのだ。わざわざそういう若い人たちに問いただしたことはないが、彼らにとって、便座式のトイレで小便をする方法はどうなのか、そしてもしそこで立小便をするとすればどう思うか、そこが微妙なのだ。

 わたしは自宅を新築する際に、水洗トイレを設置するにあたり、やはりスペースを省くためにトイレは一室と考えた。ところがわたしも便座式のトイレは小便がしにくいし、衛生上も芳しくないと思っていたし、それをもっと強く感じる妻は、共用に対して抵抗があったようだ。そこで、一室ではあるが、そのひとつの空間に便座式と小便用の便器を並べたわけである。さて、会社のトイレも各階に備え付けられたトイレは一室に便座式の便器がひとつ置かれている。気分的なものなのだが、わたしはそのトイレをあまり使いたくない。だから小便専用トイレへ向かう。「立小便は連れションが気持ちいい」なんていう言葉をよく若いころに言ったが、小便の風景というものは独特な世界があったように思う。もちろん男性だけに許された特権のように。ところが、男性が便座に座って小便をするようになってしまっては、かつてのそんな独特な世界は消えてしまう。生理現象だけに、環境に左右されるとなるとストレスがたまる。そう思うのだが、かなりくだらないことなのだろうか。

 写真は北佐久郡望月町(現佐久市)で撮影したもので、古い便所である。この地でとれる鉄平石を利用していてるところが特徴的である。

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  第1章「わたしにとっての〝便所〟
  第2章「用を足したくなる環境
  第3章「用便後に尻を拭く

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