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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

中央自動車道上にある西天竜水路橋

2016-04-30 23:38:14 | 西天竜

中央自動車道上から見る西天竜水路橋(伊那IC方面から伊北ICへの区間)

 

 

 先日「分水工を探る」其の18において『伊那谷自然友の会報』に掲載された久保田賀津男さんの「西天竜用水と円筒分水工群」について触れた。『伊那谷自然友の会報』の183号(2月1日発行)の同記事内にコラムが5編掲載されたが、その中に久保田さんが自ら書かれた「中央道の上に水路があった」というものがある。高速道路建設の場合、交差する道路との立体交差化のために盛土をして天井道路にするのが一般的だ。しかし山間地を走る道路の場合道路を掘り下げて交差する道路を橋で跨ぐというケースも多い。そんな中に水路橋もあるわけで、とりわけ農業地帯では水路橋が多くなる。久保田さんはこんなに大きな水路が中央自動車道の上を跨いでいるんだ、ということを知らしめる意味でコラムに採用されたのだろうが、確かに規模としては大きな水路橋である。そしてあの西天竜の水路が頭上を通っているという意識は、通過されるほとんどのドライバーが持たないだろう。

 この水路橋、箕輪町の深沢川右岸の段丘上にある。そもそも深沢川の谷を越えるために、西天竜幹線水路は水路橋で谷を跨いでいた。このことは「分水工を探る」余話⑤で詳しく触れた。漏水に悩まされたためか、建設後間もない昭和13年にサイフォン化して水路橋は現在道路橋として利用されている。そのサイフォン出口から中央自動車道建設のために水路は道路公団名古屋建設局によって補償工事が行われたのだ。これら迂回水路が竣工したのは昭和51年のこと。すでに足掛け40年という構造物である。この水路橋の前後取り付け区間は、上が広く、底が狭い、いわゆる台形断面の水路である。これはもともとの西天竜幹線水路が台形断面だったということによるものだう。西天竜幹線水路が大規模改修(更新)されたのは昭和52年から平成6年にかけてのこと。開渠部分のほとんどがこの時更新された。唯一残っていた建設時の開渠が辰野高校南側にあったが、これも平成19年に更新されて、現在台形断面で残っているのは、取り付けのために造られた高速道路関連部分などほんのわずかである。

 さて、西天竜水路橋の断面は図に示した通り。上部を車が通れるような構造になっているのだろうが、実際ここを車道として利用はできないようフェンスで囲まれている。橋の長さは40.5メートル。中央道に対してかなり斜めに渡っている。本来なら直角に渡せば建設費が抑えられるのだろうが、迂回を余儀なくされたため、流れを考慮して斜めに渡すよう西天竜関係者の希望があったのだろう。とはいえ架け替えがあるとしたら短かった方が良かった、と思う時が、もしかしたら今後あるかもしれない。

(参考) 最後に更新された台形断面の水路(辰野高校南側にあった2号開渠)

 


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