Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

とっこ地蔵と道祖神

2008-05-12 12:33:21 | 民俗学


 「顔の削り取られた六地蔵」で触れた伊那市新山和手下へ、仕事で再び訪れた。地元の方に確認したいことがあって訪れたわけであるが、地域の最長老と言われる丸山さんに道端でちょうどお会いすることができた。仕事の件で確認後、さっそく六地蔵について聞いてみる。「六体とも顔が削り取られたように見えますが」と聞くと、「それは風化してなくなったんだろう」とあっさり回答いただいた。南向きに建てられているから、確かに風雨にもっともあたる場所ではあるが、それにしては「顔だけ」というのはどうなんだろう。再度確認はするが、特別に伝承はないようだ。先日畑で農作業をされていたおばさんにも聞いたことであるが、宝蔵の場所を難と呼ぶのか聞くと、「宝蔵」と言うらしい。建物も宝蔵であり、場所も通称「宝蔵」ということらしい。

 丸山さんは宝蔵に興味を示したわたしに、「とっこ地蔵」と「根あがり松」も見たら良いと紹介してくださった。とっこ地蔵は宝蔵から300メートルほど集落を上った久保田というところにある、とっことは根っこの意味で、実際このお地蔵さんそのものは根っこである。根っこに服が着せてあるから身包み剥がないとそのすべてを確認はできないが、お地蔵さんの身包みを剥ぐなどということはちょっと控えてしまう。地蔵堂の外に建てられている説明版には次のように書かれており、丸山さんが語られた内容とほぼ一致する。


 むかしむかし、ここ新山久保田に、あるお百姓さんがいました。ある日山へ行き「とっこ」を掘って来て、焚き物小屋の薪の上に積んでおきました。さて、翌日小屋へ行ってみるととっこが地面に落ちています。それでまた薪の上に放り上げておきました。さて、一晩たった翌日もまた地面にとっこが落ちています。お百姓さんは変に思いましたが、今度は囲炉裏の中に入れて焼いてしまいました。ところが翌朝、焼いたはずのそのとつこが、またまた焚き物小屋の中に落ちていたのです。不思議に思ったお百姓さんが行者にみてもらうと、そのとっこにはお地蔵様がのり移っているとのことでした。それ以来、そのとっこを「とっこ地蔵蔵」としてここにお祀りしています。
 このとっこ地蔵様は子供の護り神として信仰を集めました。子供が病気になったとき、地蔵様が身に着けている着物などをお借りして子供に着せ、病気が治ったときにはそのお礼参りとして新しい物をお返しする。


 現在お地蔵さんに着せられている物は、かなり時を経たもので、着物を借りていってお礼参りをするという信仰は継続していないようであるが、丸山さんが語るには、かつては盛んにこのとっこ地蔵さんにお参りをしていたものだといい、遠くからも訪れたという。現在は上新山区でお祭りをしているというが、かつてはとっこ地蔵さんの前で重箱など持ち寄り、直らいをしたというが、現在はその場では行わないという。

 さて、もうひとつの根あがり松は、このとっこ地蔵からすぐ北の尾根の上にある。尾根上は現在ゴルフ場になっているが、その突端に根の露出した太い松が生えている。幾重にもなった根は交差したように生え、とくに南側が斜面になっているため、根が露出している。丸山さんが言うには、根の中が洞になっていて、子どものころには遊んだものだという。伊那市の天然杵難物に指定されている。仕事中ということもあってこの松まで足を伸ばすかとまどいもあったが、行ってみて気がついたのは、松の根元に双体道祖神があったことである。松の説明にもあるのだが、この道祖神に年号は刻まれていないが、「久保田村」という字が刻まれている。とっこ地蔵のある場所も久保田というところであるが、この村はずいぶん狭い範囲だったのだろう。集落からみれば、山の上という場所に祀られていて、祭祀場所としては少し珍しい場所である。松と双体道祖神という設定に少し感激してそこをあとにした。


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