Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

地震の特異日

2009-11-27 19:15:52 | 民俗学
 『あしなか』287号(山村民俗の会)の表紙絵は「ぢ志ん乃辨」というもの(藤沢衛彦著『日本民族伝説全集』第二巻・関東篇[昭和30年]口絵)。龍らしきものが日本国を取り囲む、というか飲み込んだような図で、解説されている岡倉捷郎氏によれば「地震は龍の仕業」という意味のようこの図が版行されのは安政2年のことで、安政大地震が起きた年である。この安政大地震では瓦版によって鯰絵が流行したということで、そのころから地震を引き起こすのは鯰と言われていたわけだ。それこそ最近は「鯰のせい」などと口にする人は少なくなったが、わたしの子どものころはまだまだ子どもたちの間で鯰がまことしやかに語られていたものだ。

 さて同誌では松崎チヨ子氏が「地震・噴火と予知」と題して寄稿している。同誌にしてはそぐわない「災害と民俗伝承」というテーマ。そこにまたなんとも感覚的なものが寄稿されていてちょっと違和感を覚えるものの、内容としては興味深いもの。松崎氏は昭和56年に関東で起きた地震を期にお天気日記ならぬ地震日記を記録し始めたという。そして数年、スクラップされた記事が特定の日に膨らむことに気がついたというのだ。そこで今回の寄稿にあいなったわけであるが、松崎氏はそんなスクラップからみる特異日を取り上げている。たくさん上げられているからその中からマグニチュード8クラスのみ上げてみると次のようである。

 1/1~4
 2/1~4
 3/25~8
 4/3~7
 4/16~18
 5/10~14
 5/23~26
 6/12~17
 6/26~28
 7/23
 7/29
 8/6~9
 8/13~17
 8/22
 9/12
 10/10~14
 10/28~29
 11/4
 11/10
 11/24~25
 12/7~9
 12/15~18
 12/26~28

 前後2、3日を含むと注釈してしており、特異日と言うよりも地震のあった日を羅列したくらいに例が多く、これでもって特異日と捉えられるかどうか疑問もある。その中からとくに松崎氏がコメントされているのが、①1/13~15と②5/23~26、それと③12/28である。①は阪神淡路大震災が平成7年の1/17に起きている。いわゆる2、3日の前後に入る例であるが、ほかに平成5年1/15に釧路沖地震、昭和53年1/14に伊豆大島近海地震が起きている。国外の例も含めて特異日だと言う。②は昭和35年5/22のチリ地震、そして昭和58
年5/26の日本海中部地震、平成15年5/26の宮城県沖地震といったもの。③は平成15年12/26に発生したインドネシア・スマトラ沖地震、古くは元禄16年11/23の元禄地震もあるという。このあたりになると現在の暦と異なっているのではないかと思うが、ただ日が一致しているからと言って江戸時代の暦日を特異日とは言い難いかもしれない。

 いずれにしても太陽と地球といったような宇宙空間の関係が特異日をもたらすということはなんとなく解るような気もする。松崎氏は前兆現象として雲の形を取り上げている。これもまた地球上に発生するエネルギーの仕業だろう。ダムを造ることで地震を誘発するということが言われるが、ダムなんていうモノはそもそもちっぽけなもので、巨大地震を引き起こすような代物ではないだろう。むしろ宇宙規模の力関係がその背景にあると思う。そういう意味でも現代においては地震予知などという科学的なところに頼ろうとするが、そうした予知が不可能だった時代にしてみれば、こうした前兆現象に限らず、特異日を察知していたであろうことは想像にたやすい。「毎日の中から生まれた自然への観察力・洞察力の凄さに驚嘆するばかりです」と松崎氏は先人の伝承の重さを指摘する。岡倉捷郎氏は「大正大地震(関東大震災)と村の子ら」の中で、静岡県田方郡の震災被害数を一覧にしている。岡倉氏も指摘するように現在伊東市に編入されている宇佐美村の被災数に驚くべき結果が見られる。当時の伊東町では死者65名、負傷者250名、行方不明者30名を数え、周辺でも熱海町同55名、21名、33名の被災者を出している。にもかかわらず宇佐美村ではそれぞれの数値が0なのである。家屋の被害はそれらの地域と同等に出ているにも関わらずである。その理由について「古くからの言い伝えに従った子供らの機敏な行動である。たとえば、「地震が来たら竹やぶへ逃げろ」、「津波が押し寄せたら高台に上がれ」との教えを、大人たちのみならず、子供たちの多くが反射的に思いおこし、すばやく対応している」と子供らの体験作文から読み取っている。過去に大きな地震や津波に襲われて被害を被った経験が伝承として生きた結果だったというわけだ。「忘れたころにやってくる」と言われる天災であるが、いかに伝承として生かされるかが後々まで影響する事例と言えるのだろう。ここから気がつくのは、民俗とは記録されて埋もれるものではなく、いかに伝えられるかということなのだろう。

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