Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

身勝手な世界

2009-11-26 12:37:38 | つぶやき
 民間の視点と言うがこれがなかなか怪しいと思うこともある。時に事業仕分け第二段が始まり、再び報道系はそれらを扱って賑やかなものであるが、そもそもこれだけそれらを扱って稼ごうとする人たちがいるのだからパフォーマンスであることは容易に解ること。だが、それを国民は支持しているのだからどうにも摩訶不思議的な感じは否めない。政権交代から騒々しい変化を口にする世の中、報道関係者にはネタがたくさんあってありがたいことだろう。そもそも事件事故ではないから関係者は増幅する。あーでもないこーでもないと画策することで人はエネルギーを消費する。これを無駄だと口にする人もいるが、そんな批判が届くはずもない。

 海外協力隊の交付金(国際協力機構運営費交付金)も削減されるという。人件費が高すぎると言う。もっとも危惧するのはこういうことを報道している人たちの人件費ってどのくらいなのだ、と知りたくなる。もっといえば仕分け人たちが持つ人件費の適正価格とは例えば国家公務員報酬ということになるのだろうか。そもそもここに事業効果を口にして一定の判断基準を示しているのならともかく、すべてが印象の世界でしかない。それでもって判断されるとすれば、好き嫌い的な要素が強まる。そして一定基準があるとすれば、それは仕分けのまな板の上に乗らなくとも自浄することはできるはずなのにそれが出来ないというのだから、いかに役人が無能なのか、あるいは縦割りになりすぎているかということにもなる。もちろん縦割りは害ばかりであらず、とわたしは以前日記に記したが、そもそも役所とはどうあるべきかということについて、共通の認識が無いのだからたかりの国民はすべて人(例えば役所)のせいにしてしまう。こんなむちゃくちゃな仕打ちを受けるのも納得いかないとすれば、いっぽうは放り出せば良いこと。確かに交付金に対する仕分け資料を見ると、すでに資料に機構の職員の給与が国家公務員に比較して130%余高いと記されている。それでもって渡航の際の航空券が実務に当たっている人はエコノミーなのに役員やら企画研究員はビジネスクラスだと資料には指摘事項があからさまにされている。前述したようにそこまで解っていて「なぜ仕分けなのか」と思うのは普通の人だと思う。来年以降は「無い」といっていた政権政党のトップも、近頃は国民の受けが良くてこの場を借りてイメージアップを図ろうと心は変転している。

 先日のサンデープロジェクトに出演した枝野氏など仕分け担当議員は、当然通るべくものが説明不十分でカットされたみたいなことを口にした。とくに最近話題に上がっているのはスパコンのことであるが、わたしなどに言わせれば他のものだって「これでいいの」みたいなものはある。世論で批判が上がれば「説明が悪い」と人のせいにする仕分け人の言い分を聞くと減滅するものだ。世の中は説明というかいかに騙すかみたいな時代だ。騙された方が損を被る時代だからこそ、等しい仕分けを望むのに説明ができなかったからといって除かれるのなら、もはや口の達者な人に任せば良いことになる。説明などなくとも実際の問題点を自らまとめあけでそれぞれに折衝すればよいことであって、こんな形で国民にあからさまにした裁判をする必要はないだろう。だいたいが仕分けしている人もそうだが、説明している側だって全部廃止にされたって食い扶持がすぐになくなるわけではない。むしろどれほど無駄だと思われている事業であっても実際にそこからはじき出されて食い扶持を失う人たちがたくさんいるだろう。ようはまったく当事者ではないのだから、好き勝手に言えるし、無抵抗でもなんら身に負担はない。役所の人たちにもそして国民にもそもそもが他人事なのだから。

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