Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

愚かさの先に

2019-12-01 23:56:14 | ひとから学ぶ

 「危うくとも、時を刻むだけ」に記した通りの状況に陥っている。事情説明などもはや不要な状況。無関係な地域では当たり前のように日常が過ぎていく。言葉では「迷惑をかけないようにします」と口にするが、すっかり迷惑をかけている。それどころか、その迷惑はこのままではずっと続く。そのままにしておけないから何らかのパフォーマンスをするが、「できないものはできない」。しかし、相手側からは容赦ない責めが飛んでくる。「よくやってるよ」、とは思うが、やらなければもっと大変な状況になるから、ただ、ただ最初に言われたことだけをやっていく。が、以前から積まれた未処理案件は、山のように積もる。仕事だけではない。すべてが回らない。毎年のように同じことを口にしたきたが、先のことを考えることはできない、いいやしない方が良い、という「今」なのだ。くだらない言葉には「煮えくり返るような」反論をしたくなるが、どこまでも抑えるのみ。

 「いつも通り」だと勘違いしている同僚たちもいる。納得できないのに動き出した先に、こんな状況は予想出来ていたのだが、そこに問題を描けない人々に、今の日本を見ているようだ。政治家は「やる」と言えば、それは当人がやるのではなく、人に「やれ」と言うだけのこと。これほどの力関係はない。にもかかわらず、「お世話になっています」なのだから、こんな立ち位置は受け入れがたい。にもかかわらず受け入れてきたのがこの国の法則なのだ。もはや、昔のように仕事はできない。身体を使って仕事をしない人たちが増えて、口だけが動く。そのため身体を動かす人々が、ただ、ただ無駄な動きもしなくてはならない。「その口を閉じさせろ」と言いたいが、そんなことを言ったら「終焉」だとわかっているのだが、どこかで糸が切れても不思議ではない、とこんな具合に記しているうちはまだ良いのだが…。気持ちを抑えられないから、日記では過去にふけって、事実を思い出さないように、口にしないようにしている今日このごろである。

 もともと計算不得手なわたしにとって、計算外などありえない。計算のない世界で愚かな積み木をしているようなものだ。崩れるのは容易い。


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