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八日市場の霜月祭り(昭和61年の記憶④)

2019-11-30 23:37:33 | つぶやき

東栄町河内の花祭り(昭和61年の記憶③)より

 

昭和61年12月8日~9日撮影

 

 11月13日の信濃毎日新聞朝刊第一社会面に「霜月祭り2神社実質中止」という記事が掲載された。今年から湯立神楽を行わないという。その神社は八日市場と中立の神社で、両社は隔年で同じ氏子の方たちによって祭りが行われてきた。今年は中立の順番だったよう。あえて記憶を遡らないが、八日市場の霜月祭りを訪れたのが、わたしにとっては霜月祭りデビューだった。その後毎年のように八日市場、あるいは中立の霜月祭りを訪れていたが、それは10年ほどのことだったたろうか。とはいえ両社の祭りには思い入れがあったので、その後も何度か足を運んだ。どこの霜月祭りに行きたいか、と問われれば八日市場(中立)と答えただろう。

 初めて訪れたころは12月8日が祭日だった。当時は13社で霜月祭りを行っていた。霜月祭りの最初の祭りだったことから、必ず報道が入ったもの。ところが休日開催による日程変更などが各社にあって、一時ほかの神社に最初の祭りの座を渡していたが、曜日無関係に12月1日開催に変更したことによって、再び霜月祭りスタートの神社として知られていた。このことについては「遠山霜月祭り始まる」に記した。そして平成22年に中止した神社があって、近年は10社で実施されていた。これで8社となってしまうわけであるが、かつて「冬至を迎えて」で触れた通り、17社で実施されていた。今はわからないが、数年前に梶谷の神社を訪れた際に、国の重要無形民俗文化財の指定を受けた証が、壁に額に入れられてあったことを思い出す。

 記事によれば、現在氏子にあたる八日市場自治会は11世帯で人口25人だという。わたしの知人もここに暮らしているが、わたしが初めて訪れたころにくらべると、周囲の雰囲気は一変した。なにより、飯田市へ合併した以降の変化は著しい、とわたしは思う。前回「花祭り」について触れたが、霜月祭りに比較すると、花祭りの方が長時間の祭りをよく維持しているようにうかがえる。その違いは何か、と思いもするが、いずれにしても霜月祭りのこの後が危ういことにまちがいはないのだろう。

参照 「八日市場

 

 木沢の霜月祭り(昭和61年の記憶⑤)


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