Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

戦争の背景から

2009-08-16 23:07:07 | 歴史から学ぶ
 最近、戦争時の兵事係を扱ったドラマが流された。今までもいわゆる赤紙を届ける役割は戦争に関わる映画やドラマには必ず登場したものであるが、届ける人本人を主役にしたものは見たことはなかった。どうやって赤紙が書かれ、どうやって届けられるかがこのドラマからよく解った。考えてみれば兵事係は捉え方によってはつらい立場である。戦況が正確に聞かされないなか、しだいに戦死を知らせが増え、止むことがない。「いったいどうなっているんだ」と思う国民が増えるのも当然のことである。それでも勝ちを信じて身内を送り出していくわけだから、赤紙という価値はしだいに変化をしていくのだろう。そういう仕事をしていた人たちがいて、そして最も最前線で家族の顔色をうかがっただけに、携わった人たちの思いは深いはずである。最近は戦争は否定的だったというイメージで捉えた発言が多いような気もする。8/16付信濃毎日新聞の「戦争動員の残像」でこの兵事係だった人のコメントが掲載されている。「一番らかったのが、召集令状の交付と戦死を知らせる公報の伝達だった」と言い、「令状を受け取った村民に動揺する様子はなかったという。「今とは気持ちが全然違う。みんな覚悟していた」と表す。ここから戦争に対してできうることなら関わりたくないという本音がうかがえる。今とはまったく異なる情報の少ない中ではあるが、なぜこうも異論を唱えることが無かったのか、現代人には不思議でならない点である。教育、そして世間というものがそれを戒めてきたのかもしれないが、病とも思える精神世界がそこにあったのだろうか。

 核廃絶の問題に必ず浮上する被爆国と原爆を使った国という対比。アメリカの当事の軍人が原爆の悲惨さを知ってもそれは意味のあるものだったと繰り返す背景が解らないでもない。戦争末期に至って始まった特攻作戦は飛行機だけに限らずさまざまな方法で自殺行為の攻撃を行った。相手にとってこれほどの恐怖は無いはず。このまま続けば日本国民全員が死ぬまで戦うのではないかと思われたかもしれない。「戦争を終わらせるため」という理由がこの原子爆弾投下の判断として適正かどうかという部分についていつまでも結論はつかないだろうが、それほど日本の戦いは異常だったのではないだろうか。戦争そのものが異常だと思えなかった時代のことを、今の人間が語るのも適正ではないのかもしれない。

 ドラマが適正にその人物を描いたのかどうかは解らない。しかし兵事係を務めた人のこころの中が、しだいに変化していったことは予測できる。当初は誰もが「お国ために」と喜んだのかもしれないが、死を告げる人という役割はしだいに厄介な存在になっていったことだろう。末期から戦後の流れの中での戦争観で平和を唱えるのも良いのだが、わたしたちは同じ人であっても戦争の間にこころの変化をもたらしたということをもっと意識して捉えなくてはならないのではないだろうか。二度起こしてはならない事実であるが、変化していくこころの模様を描いてみると、実は同じようなことは二度も三度も、そして現代にも起きているのではないかと思えてくるわけである。後から思い起こせば「なぜ」と思うことは多いのである。
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