Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

わたしにとっての日記

2008-05-25 10:49:03 | つぶやき
 地元のブログをときおり目にする。とはいっても意図的に探し出して閲覧しているわけではなく、地域に関するキーワードにヒットしたもので、気になるものがあったら芋づる式に閲覧してみる程度ではあるが…。

 そんななかの一つにヒットした。Iターンで農業を始めたというくらいだから、地方にはいないタイプの人である。けっこうわたしと同じようなこと(道路のこととか)を指摘していて目がとまった。行政批判に政治批判、そしてけっこう多いのが県政批判、というよりはそうした自治体のトップを市民オンブズマン的視点で批判し、最期はそんな人を選んだのは国民だ、あるいは県民だ、市民だと結ぶ。

 わたしと大きな違いは、知識量の差だろうか。それが文末にやってくる。わたしの場合は疑問符的な締めかたをするいっぽう、彼は結論的な締めかたをする。似ているものの大きく違う。もちろんわたしの知識が少ないのは言うまでもない。別の日記のタイトルにもあるように、「世の中いろいろです」というのがわたしの本音。きっとこれは間違いだろうと思っても、それを選択したりそれを推し進める力がある。加えて正論だけでは成り立たない社会。けしてそれは日本だけのものではなく、どこの国の人たちにだってあることなのだろう。どんなにグローバル化したとしても、それぞれの風習の違いまで考えて行動したり、考えたりしていくには、人間の力では無理がある。きっとそれをもクリアーできるほどの能力を持つ人はいるだろうが、そんなのは一握りの世界。加えてよそのことを気にするほど、余裕もなければ、それじたいを必要と思わない人たちだっている。結局狭い話に立ち戻り、自分たちは暮らしていかなくてはならなんい。本当に小さく、ささいなことからわたしたちは生活を始めるのである。そんな意味でも「平谷のゆくえ」で取り上げた小池筆男さんの話は、なかなか身近で親しみが持てるとともに、そこに実は大きなものが横たわっているように思う。だからこそ、あくまでも個人的な物言い、そしてそこからどう自分の生きる道を、方針を決めるかということになる。あくまでも自分のための学習なのである。

 さて、そんな目に留まったブログは、わたしのように必ず毎日更新されている。ちなみに違和感を感じたからここに記すことになったわけであるが、そんな違和感のひとつを記録しておく。前述したようにかなり政治的指向の強い意見を書かれている。そんななかにCO2削減についても頻繁に書かれているのだが、「2050年の目標である70%削減を前倒しするために一番必要なことは、自民党を政権から引きずりおろすことだと思います」「長野県は、CO2の削減は度外視して、森林吸収量だけに頼った内容となっています」と定量的にかなり詳しい指摘をされていながら、デシタルカメラが壊れて買い換えるにあたって、「ヤマダ電機のポイントは詐欺的」と批判している内容を読むと、「ふーんそこから(なぜ地元の店じゃないの)ヤマダ電機やらキタムラやら何度か足を運んでいるけど、どこかチガクない?」と思った。
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