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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

平谷のゆくえ

2008-05-24 13:08:59 | 歴史から学ぶ
 「尾根を挟んだムラ」で紹介した小池筆男さんの『山村の今昔』から教えられるものをまたひとつ。

 小池筆男さんはその本の中で平谷村のことに多く触れている。もちろん「すこやかひらや」という村の診療所の通信に寄稿されたものだから平谷村のことが多くなるのは当然なのだが、村のことといっても自治とか行政といった根幹の部分で触れているものが多い。そんな視点の一つに「観光」というものがあり、昭和から平成とい時代に入って今後の村がどういう方向に行くのか、そんな部分を不安を抱きながらもひとつの考えを持っておられたようだ。とくにそんな自治・行政、そして人々の意識の現実を踏まえながら、その背景的な村の歴史を紹介してくれていて、こんな旨い構成の本は、なかなか他に例をみない。読めば読むほどに平谷の人たちには、自分たちの意識の根幹を見透かされたように思うだろうし、平谷のことを少しでも知っている人たちには、小さな村ではあるもののそんな小さな村に展開した歴史と、またそこに暮らしている人たちの難渋の日々が見てとれるよな気がするのだ。

 観光を記した冒頭、どこにでもあった過疎の村の戦後の変化が綴られる。昭和28年から昭和36年にかけて何度か襲った災害により、離村者が増加し、1600人いた人口は半減していったという。そこに高度成長という波がさらなる摩訶不思議な意識を生んだわけで、観光立村という旗印に都会の人たちを招きいれようとしたわけである。これは平谷だけのことではなく、県内、そして国内の地方のどこでもしようとしたものだったはずだ。ただ、わたしの記憶には、そんな最中にこの「平谷」という名前はかなりニュースを賑わしていたことも事実である。とくに平谷湖を中心にした平谷開発なるものが、営業不振に陥って彷徨っているという報道は、子どもだったわたしの記憶にずいぶん大きく存在している。一度や二度の報道ではなかったはずだ。都会の人たちから経済的な恵みを、という焦りで「観光の根本的なことを考える余裕は村人にはありませんでした」と言う小池さんは加えて次のようなことを述べている。


 観光とは何か-観光によって村はどう変るか-村民の意識・文化はどんな影響を受けるのか-。などの基本的なことを考える余裕はなかったのです。
 ただただ都会からの客を呼び入れて、財政的な恵みを受けることが観光だと錯覚してしまったのです。これは平谷だけに限らず多くの村が陥った弊害でもありました。
 これを悪い言葉に替えて言えば、「女郎の身売り観光」に落ちてしまったのです。
 都会人の顔色をうかがいながら、都会人の所望に応じて、施設や物を作り売ってその場の金を儲ける。都会の人々の要求のままに、山の人々は犠牲になって都会人を喜こぼせ、金さえもらえば観光事業は成功だと錯覚してしまいました。
 山村ならでは出来ない観光資源の開発を忘れて、金を沢山置いて行ってくれる客ばかりを尊重しました。
 都会人が国道を大勢通る。この人々の客足をどぅ止めるかが、観光の力量と考えました。浮き身をやつして都会人の呼び入れに苦心し、都会人の顔色をみて右往左往する金もうけ主義の観光だったのです。


 このごろの田舎体験やグリーンツーリズムの考えは、そうした地方の空虚を見直そうとしたものであることは言うまでもないわけである。小池さんは、「本当の山村の観光事業を立ち上げようとした事例として浪合村のトンキラ農園のことを取り上げている。小池さんにとっての観光の失敗は、トンキラ農園のような山村そのままを利用してもらおうというものではなく、見世物的な施設建設に走った高度成長時の過ちが、実は後の村の風景を変えてしまう結果になったわけで、失敗は結局取り返しがつかないほど大きいものだったと暗示しているのである。このことは、次回に触れようと思っている「合併問題にもつながるものである。ちなみに小池氏がこの〝トンキラ〟農園の名付け親だという。そんな思いもあるのだろう、小池さんは「村のゆく方―観光」での暗示を、自治について触れた別の部分でも何度か記述することになる。

 続く

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