Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

じんがさま

2008-05-14 12:37:51 | 民俗学


 友人とともに巡った場所のリストに伊那市羽広の仲仙寺を入れた。ここもまた久しぶりに訪ねる寺である。すっかり記憶から消えていたが、寺の入り口まで来て思い出したものがある。参道のサワラの木に「じんがさま」と言われる藁で作られた作り物が祀られている。かつて訪れた際には認識していなかったこともあり、拝見したのは今回が初めてである。この「じんがさま」は、『伊那市史』によると〝羽広の人林宗賢(文化文政、医家)の記録によると「天明四年六月の天台密教の加持祈藤の際の飛竜の故事より発した」ものとなっている。以前は地類といわれた仲仙寺地域内に住む数軒の人たちによって継承されてきたのであるが、その後戸数も三軒ばかりに減り手不足となったので、寺の行事として行なっている〟という。藁で作られた作り物は、見ようによっては蛇とも竜とも見えるが、同史では「竜・むかで」と記されている。また、このことを地元では「じゃ(蛇)」と呼んでいるともいう(『長野日報』)。そして「じんがさま」については、家内安全、人馬長久、悪魔払い、疫病除けにあらたかという。写真であらためてよく見てみてると、わたしには蛇ではなくムカデに見える。

 この「じんがさま」は、正月の6日に作られ、8日まで庫裏の床に鎮めておいたというが、現在は正月の3日に作られ、その日のうちに飾りつけか行われるという。じんがさまの背にはスズタケで作られた御幣を十二本建てるというが、写真のじんがさまは十三本の御幣が建てられている。今年の正月3日に行われたじんがさまについての新聞報道でも十三本と報じていることから、今年は十三本だったようである。これは伊那谷で行われるニューギ、あるいはオニギの習俗で通常は「十二月」と書くものを閏年には「十三月」と書くのと同様に、閏年には十二を十三にしているのではないだろうか。写真を見ていて気がついたもので、現地で確認できなかったのは残念である。ニューギ、あるいはオニギ、またオタッシャギなどと言われるものも玄関先に供えられるわけで、じんがさまと同じような意味を持つのだろう。『上伊那郡誌』によれば、南箕輪村大泉においては、オニギに平年は消し炭で十三本の筋を引き、閏年には十二本引く、などという記録もあり、大泉の例は珍しい例である。なぜ十二本なのか、ということについては、高遠町芝平では「一年は十二月だから十二の線を引く」といっており、「悪者が入らないように」という意味を持つという。

 ところで道の上にこうして祀られる藁製の作り物を見ていると、「道きり」の習俗を思い浮かべる。道きりにおいても蛇が象られたものが道上に飾られて、厄神の進入を防ぐという意味を持たせる場合が多い。蛇ではなくワラジであったり人形であったりすることはあるが、いずれにしても厄神や悪霊の類をそれらが通せんぼをするということになる。前述した「十二」の類似例としてあげたオニギも、「悪者が入らないように」といっているように、両者は同様の意図があったのだろう。
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