Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

顔の削り取られた六地蔵

2008-05-05 16:58:36 | 民俗学




 かつて丸掘りのお地蔵さんといえば、頭が飛んでいたり、飛んでいなくても違う頭が乗っていたり、割れて分離している姿というものを頻繁に見受けたものである。それらを悉皆調査をしてあるわけでもないから、印象でしか語れないが、このごろちまたにそうした首を刎ねられたようなお地蔵さんの姿をとんと見ない。これは意識しなければ気がつかないことである。なぜだろうと考えてみるが、自分なりの印象でしかない。明治期の廃仏毀釈の際に、ちまたの仏様が粗末にされたが故の姿とかつて説明を受けたこともあるし、地元の人もそう語ったものである。丸彫りの像ともなると、当然のように首が細く、棒でぶった叩かれれば、弱いものである。そういえば地元のお寺の参道にあったお地蔵さんも首が割れていたものだ。その後の経緯を考えるに、モルタルで補修されて割れているのが目立たなくなったともいえる。それでもちまたには首のないものも相当数あったように記憶する。そうしたお地蔵さんが処分されたのか、それとも移転されたのか定かではない。

 首の刎ねられたお地蔵さんというイメージも、今は昔といったところなのかもしれない。

 さて、写真は伊那市新山の和手下というところの四つ辻である。四つ辻のど真ん中に地域で「宝蔵」といわれる建物が建っていて、その周囲がこんもりしていて石神仏何体か建っている不思議な空間がある。なぜ辻のど真ん中に建物が建っているのか、そしてその一帯は何なのか、などという疑問の湧く不思議な場所である。その宝蔵の脇に建つ六地蔵のうちの一体が下の写真である。見てのとおり、見事に顔は消えている。意図的に削り取られたものなのか、自然と風化したものなのか、他の部位から想定するに、意図的に削られたという印象を受ける。実はこの一体だけではなく、六地蔵すべてがこのように顔が消えている。ところによってはムラに起きた何らかの現象を、お地蔵さんのせいにして制裁を加えたなんていう伝承もある。六体が六体すべて削り取られたとすれば、よほどのことである。違和感を覚えるど真ん中に宝蔵の建つ四つ辻、そして削り取られた六地蔵、映画の舞台になりそうな物語を秘めているような気がしてならない。

 ということで、周辺で聞いてみた。ど真ん中に建物が残ったのは、かつて新山行きのバスはここが終点になっていた。その際、ここを回転場にしたため、ロータリーのように真ん中に土地が残った。そこにたまたま宝蔵があったということになるのだが、むしろたまたまというものではなく、ここが集落の中心であって、終点になるべくしてなった場所だったということなのだろう。石碑群の中を調べてみると道祖神が祀られている。ここの道祖神はまさに集落の中心にあって、そして正月飾りを焼くドンドヤキもここで行なわれるという。お地蔵さんの顔が削り取られた理由は聞けなかったが、これはまたの宿題としよう。ちなみに「宝蔵」は地区の共有物という。何のお宝が納められていたかという、集落の共有物だという。例えばかつては集落ごとに葬儀の道具を所有していたもので、そうした道具が入っていたという。このあたりではお堂が和手下でいう宝蔵の役割をしていたもので、そうしたお堂はあちこちで見ることができるが、宝蔵という蔵の形のものは始めた見た。
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