Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

風呂敷も贈る

2008-05-01 19:53:44 | 歴史から学ぶ
 風呂敷が見直されている。そしてそんな風呂敷をテーマにした小規模な催しも見受ける。風呂敷といえば、2003年に松本市立博物館において、「世界大風呂敷展」が開かれた。各国の風呂敷が展示されていて、その絵柄に魅了されたものであるが、そんな魅了されるような風呂敷を利用してみるのも楽しいに違いない。この世界大風呂敷展は、国立歴史民族学博物館の特別展として企画されたもので、地方の博物館に巡回したものである。だから、どこかで展示を拝見した人もいるのだろう。

 風呂敷の語源については、「風呂場に敷いて脱いだ衣服を包んだり、入浴後の足を拭いたり、濡れた衣服を包んで持ち帰る布」というものが一般的に言われる。その後「風呂で敷く布」から、「包む布」として行商人たちによって全国に広められていったという(『ウィキペディア(Wikipedia)』)。かつての風呂敷というと、泥棒が盗んだものを包み込む場合に利用されるものというイメージがあった。漫画はもちろん、テレビのバラエティー番組でもそんな光景が頻繁に流れたものである。ところが、最近の漫画、あるいはテレビではどうだろう。泥棒=唐草模様の風呂敷という図式は通じなくなってきているように思う。それだけ風呂敷そのものが日常から消えてしまったため、風呂敷というものを認識していない人も多いのかもしれない。

 ところで見直されているという理由は、環境問題とかかわる。レジ袋が環境に優しくないということで、マイバックなる買い物袋を持って買い物に行く時代である。その代用の一つとして風呂敷も見直されているというが、食料品などを買って風呂敷に包む人はあまりいないだろう。やはり食料品は「包み込む」よりは、「袋に入れる」方が似合う。実はわたしは書類などは風呂敷に包むのがよいと思っている。袋に比較すると重くなるかもしれないが、人に渡してしまえばあとはたたんでコンパクトになる。風呂敷のメリットは、中身がなくなれば手ぶらに近くなるということにある。だから仕事でも時おり利用させてもらうことがある。とくに相手がたに渡してしまったら「無」になる場合には利用する。地味な紺色の風呂敷が仕事には似合うが、プライベートなら、模様のあるものを持つのも楽しいだろう。

 松本市立博物館の企画展の際に、倉石あつ子氏による「風呂敷が入った―婚姻儀礼と風呂敷―」という講演があった。日本の各地に嫁入り風呂敷というものがあるという。茨城県古河市の事例が紹介されて、「婚礼の前日、娘の家では懇意にしている家の人々・組合・娘の友人などを招いて立ち振る舞いを行う。「このたびどこそこへ嫁に行くことになりました」と報告し、暇乞いの宴を開く。簡略にする家は、組合に家々を回って嫁ぐ旨の挨拶をし、半紙や風呂敷を配って済ませた」という。長野県内でも娘ををもらいに行くとき、あるいはハシカケが手土産の風呂敷を娘の家に贈るということが行なわれた。よく言われるのは「風呂敷で包み込む」というもので、その気持ち、イメージはよく解る。基本的に贈答品は風呂敷から出して渡し、風呂敷を持ち帰るわけだが、風呂敷が見直されたりするなか、再認識のためにもそのまま風呂敷も贈る、という考え方もよいかもしれない。いつかやってみたいものである。その前に、贈って喜ばれる風呂敷を探す必要がある。
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