Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

川の不思議

2008-05-04 08:52:39 | 自然から学ぶ
 ここ数日川の中を歩いている。小さな川でも一応は一級河川である。一級河川もいろいろで、天竜川のように広いものもあれば、底幅が1メートル未満の小さなものもある。1メートル未満なんていう一級河川は珍しいだろう、というより「何でこれが一級河川なの」と思うこともある。この季節、雪解けの増水が少し落ち着いてきている。流域の雪がとっくになくなっているような川は、すでに夏場のようにからからである。いや、もともと水のない川なのかもしれない。そういう川には、用水を頼れないということもあって、農業用水を期待していない。身近でなくとも水量が十分な川へ求めることになる。そして延々と遠くから水を引く歴史はたくさんある。

 それほど水量の多くない小さな川で、そのほとんどの水を農業用水として取水してしまって、本川の水がまるでなくなっても、不思議なもので、百メートルも下ると水が流れている。そこでまた農業用水が取水されているが、また少し下ると水の音が戻る。急流河川は、どこかしら水が集ってくるのだ。ところが、完全にコンクリートで囲われている河川ではそうはいかない。いったんすべて取水されてしまうと、排水でも入ってこないかぎり、河川内に水音は戻らない。あたりまえのことなのだが、固められているから、河川外の水が浸みだせないのである。それでもなんとか表へ出たいという水が、目地から河川内へ浸みだす。しかし、それでは水の音が戻るにはしばらく下らないとだめである。

 コンクリートで固められた水路がよく悪者にされるが、それだけ水を外へ逃がしたくないという意図がある。農業用水のように、漏水することで必要量が不足するともなれば、水争いにもなる。できうる限り水を逃がさないことにこしたことはない。そのいっぽう河川の水は、漏水しても差し支えない。最も低い場所を流れているから、漏水しても地下へもぐるだけ。あまり人目には触れないし、迷惑にもならない。そのあたりが両者の大きな違いである。河川にしても、コンクリートと固められているからといって魚が住まないわけではない。もちろん蛍が生息できないというわけでもない。しかし、まったく水の音がなくなった川に、すぐに水の音が戻るという光景を目にして、「川は不思議である」とつくづく感じる。やはりできうる限り止水されるような環境でない方が良い、とそんな時思うわけだ。
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