Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

荒廃する農村

2008-05-20 12:33:48 | 農村環境
 わたしの家の周囲は、元は果樹園、そして今は荒地という風景である。いや、元は果樹園というのも正しくはないかも知れない。大元は山だったと言ったほうが正しいかもしれない。そしてここで言う山とは、いわゆる遠くに高くそびえる山ではなく、平地林のことである。この言い回しも、最近は地方においても説明しないと理解されない。だからヤマと表示した方が良いのか、それとも平地林と表示した方がよいのか知らないが、わたしにとっては「山」である。

 先日隣地の荒れている土地の草が刈られたことに気がついた。隣地の境界付近には石が集積されていて機械(このあたりでは機械といっても手持ちの草刈機ではなく、常用の除草機である)では刈れないため、そのまま刈られずに残ることになる。その延長線にわたしの家があるのだが、わたしの屋敷も、こちらは裏側になるため、あまり除草に手間をかけない。ということで草が見事に生えている。隣地の草が刈られると、この境界あたりがみごとに草が生えていて目だってしまう。ということで、この機会に草取りをすることになる。わが家が先に草を取るか、隣地が先に草を刈るか、いつもどちらか、という感じなのである。荒地があちこちにあるなかには、こうした管理もされない土地は多い。まだ隣地を刈ってくれるだけ、こちらもありがたいことなのである。刈るのはその家の主が刈るのだが、忙しくて手が出せないと、その家のおばあさんが鎌で刈り倒してくれる。わが家の方は宅地であるから刈るのではなく、草を取るのである。隣地の草の影響か、こちらの草はみごとな勢いである。そんなこともあって、隣地側の残った草もわたしは手で取る。その方が次の草が伸びてくるまでに時間を要す。

 草を取るとともにその間にある小さな用悪水路もさらったりする。わが家のあたりではこうした水路の管理を共同ですることはほとんどない。果樹園地帯ということもあって水路が少ないということにももよる。だから最寄りの水路は最寄りの家が管理するということが必要なのだろうが、なかなかそんな手間をかける人はいない。果樹園地帯の農村社会で生活上のつながりの無さを現す一つの現象である。ようは水田地帯では同じようなサイクルでで農業を営むため、かつての社会組織が継続するが、比較的新しい考え、ようはそれぞれの農家が換金作物へどう転換していくかとしのぎを削るようになると、そこに「共同施設」、あるいは「共同空間」という意識が薄らいでいくわけである。わたしの印象では、おそらく水田主体地域に比較すると、果樹、あるいは野菜主体地域は明らかに共同作業が少ないと思っている。

 わたしが水路を浚った翌日、隣地を持つ家の老夫婦が、その土地の反対側を流れる、やはり用悪水路を暗くなるまで浚っていた。若い者は忙しいということもあるのだろうが、ちまたで働くのは年寄りばかりである。通勤途中にある家は、毎日おばあさんが朝も、また暗くなった夕方も畑を耕す。草一つない畑は、除草剤で草がないわけではない。だいたいがそうした人たちの年齢は、70代後半以降である。ようは昭和一桁生まれ以前の人たちなのである。畑を鍬で、あるいは草掻きで耕したり除草する風景は珍しくなるとともに、こうした働く風景は絶滅寸前といえるのだろう。いや風景だけでは、その精神も・・・。
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