Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

自制意識の低下

2008-05-27 12:21:52 | ひとから学ぶ
 しばらく前のこと、自治会の総会が行われたものの、わが家はまったく開催されることを認識していなかった。自治会の集りなどを開催するにあたり、どう連絡して参集するかは地域によって異なるのかもしれないし、同じ地域にあっても詳細はそれぞれなのかもしれない。わが家の周囲では、とくに連絡はない。いわゆる有線放送というものがあって、その放送で流れるお知らせを聞いていないと逃してしまうのである。今回は、忙しくて家にいなかったために聞き逃したわけではない。有線の放送でふだん得る情報もないことから、音量を小さくしてあるのである。だからわが家には放送が流れないのである。有線電話が廃止され、放送だけを聴くシステムに変わってまだ間もない。その際にほとんど聞いていないこともあって、有線を辞める?という会話もあったが、ただでさえ地域のことを知らないわが家がますます無知な家になってしまうため、とりあえず加入を続けた。続けたものの、音の流れないただの置物に化しているから、大事な放送も聴けずじまいということになる。

 ふつうは有線放送に加入していない人もいるだろうから、別の連絡方法をとっているのが当たり前なのかもしれない。ところがわが隣組はとくにそうした連絡はしない。認識してないで欠席したことは今回初めてというわけではなく、今までにも1、2回あった。そのたびに「電話でなくても回覧板などで通知するべき」などと思っていながら、そのまま変わらずにいる。総会そのものも稀、加えて知らずにいたということも稀で、隣組の集まりでそんな提案も忘れていてできなかったわけだ。回覧板は頻繁に回ってくるのだから、そんな方法もひとつなのだろうが、とはいっても開催日が間もないと、回り終わらないうちに総会などということもあるだろう。もちろん組長がそのあたりを判断して連絡方法を変えることも必要なのだろう。

 さて、こんな連絡方法のひとつ電話。通常の電話ならそのつど通話料がかかる。ところが携帯電話登場以来、定額契約という方法が取られるようになって、通話してもしなくても電話料が変わらないということになってきた。「使った分を払う」という。時代では競争激化にともなってなくなってきた。もちろん通常の電子しかなかった時代にこういう競争があったら、定額利用料というものが設定されたかもしれない。今や飲み会といっても「飲み放題」というものがあってよく使われる。何度使っても値段は変わらないというサービスはごく当たり前にちまたに氾濫している。しかし、よく考えてみると消費の垂れ流しのようなもので、歯止めの無い消費
生んだり、懐を考えながら自制するという意識が低下する。ときおりそんな自制意識の低下による不合理を感じることがある。そんな自制意識の低下は、明らかに「使い放題」社会の生んだものだと思う。
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