Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

上下伊那の違い

2008-03-17 12:17:13 | ひとから学ぶ
 本当に暖かい休日だった。「ところ変われば」でも述べたように、南へ向かえば、梅の花の香りが漂う。そしてわが家のあたりでも付近を歩いてみると、土の香りがしてくる。土手を焼く光景も見えて、枯れ草の焼かれた臭いもやってくる。野に人々の姿が見えるようになると、気持ちも和らぐものだ。

 土曜日は南へ、日曜日は北へ電車を利用した。わたしもこんなに毎日のように電車を利用するようになるとは、一年前には少しも思っていなかった。通勤は「車で」が当たり前だと思っていたから、その通りに車で伊那市まで通勤を始める。ところが渋滞があって、約1時間という車中は、いらいらの繰り返しであった。もともとがせっかちな方だから、渋滞は好まない。どうしても裏道裏道と右左折を繰り返す。まあ昔からのことで、どうということでもないのだが、たまたま飲み会の際に乗った電車。乗っている時間はちょうど1時間。車と変わらない。駅がそう遠いわけではないのだから、「電車でも充分」という印象を持った。加えて電車であれば運転しているわけではないから、車内で本を読むこともできるし、仕事もしようと思えばできる。それほど長い時間なのである。そしていよいよ電車を利用することになったわけであるが、おそらく伊那市ではなく飯田市へ通っていたら考えもつかなかった策である。それはどういうことかといえば、飯田市への通勤はそれほど混まないということなのだ。もちろん、距離も伊那市に比較すれば近いが、何より渋滞しないということは、安易に車を利用することになる原点なんだと自分の行動から察知したわけである。

 さて、土曜日の飯田への電車。3両編成ということもあるのだろうが、車内は短距離客はほとんどいない。なんとなくであるが、やはりという感じに長距離客である。したがって停まる駅での昇降客は極めて少ない。ローカル線いいてころで、これでよく「廃止」という言葉が出ないと思うくらいに客は少ない。飯田より南はもっと少ないのではないか、などと思うが、もしかしたら逆で、北側の方が高校生を除いた一般利用者は少ないのではないだろうか、などと思わせる。ふだん北へ向かっていると意識しなかったことなのだが、たまたまなのかもしれないが、この日の利用者の顔を見て、南行きの電車の現実を知ったような気がした。いっぽう北行きはどうだろう。天竜川の支流のためにU字状に蛇行する伊那福岡あたりまではともかく、その北ともなると、利用者は多い。もちろん沿線の人口に比例するのは当たり前のことだろうが、それを差し引いても、上下伊那郡境から南の人影が少ない。高校生そのものも飯田下伊那では利用者数が少ないのではないだろうか。それは何を物語っているかといえば、安易な車に頼る高校生が多いということである。もちろん自分で運転するはずもないが、「交通不便=親頼み」という図式が背景にあるような気がしてならない。そんな中で育つ子どもたちが、また車に頼った社会に出て行くわけである。この地域の悪循環は、そんなところにある。自分もそうだったわけだから言う資格はないかもしれないが、まだそれに気がついたことだけでも感謝である。
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