Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

中国と日本

2008-03-03 12:35:13 | 歴史から学ぶ
 中国の農民が相次いで土地所有宣言をしたという記事を拝見した。成長を続ける中国とはいっても共産国家である。にもかかわらず所得格差が生じるというその背景が不自然さを産む。中国では農地を農民全体の集団所有制にしているという。農業で生計を立てる国家ならそうしたやり方もひとつだろう。

 ここで日本に例えてみよう。日本の農業は戦後の食料難で戦後20年ほどは食糧増産に向かった。したがって農地の水田化はもちろん、山でも耕作地に変えられるところは開田されていったわけである。この百年、日本人は土地を大きく動かしてきたともいえる。開発、戦争といった大きな変化を土地に求めてきたわけで、その舞台の上で共存しているわたしたちにとっては、変化するのが当たり前というような意識さえ生まれていて、変化しない=遅れ、あるいは閉鎖的というイメージを抱いてきた。そうしてたなかでの環境破壊、あるいは農村の崩壊を見てきて、日本人も何かに気がついてきたことも事実である。しかし、その事実に制約をつけて変化しないということは簡単にはできないわけである。それは土地が国有地でないからである。中国のように農地の集団所有制ともなれば、個人のものではないから安易に変更するわけにはいかないだろう。もちろん土地なくしては生業にならない農家にとっては、土地が永遠にそこにありさえすれば、その上に展開される色とりどりの生産物は、作れば作るほどに自らの収入に結びつく。農家にとっては変化のない安定的な計算が成り立つわけである。

 ところがである。ここは中国ではない。土地は個人のものだから、人口が都会に集中すれば、住む場所かないから、都会の周辺に住処を求める人たちがやってくる。もちろん農業から工業へ、そしてサービス業へと転換していくこの国の動向は、そうした利便性のよい土地を、住処を求める人たちだけではなく、経営者も求めていった。都会周辺の変化は、けして都会で起きたのではなく、農村地帯で起きたのである。たまたま都会周辺であったという条件がそうさせたわけで、すでに農地などまったく見えなくなってしまった地域でも、もとはみな農地だったはずである。農業国家であって、こうした土地を公のものとして捉えていれば、土地の移動は個人にはできなかった。したがって土地を売って稼ぐ者もでなければ、土地成金なる者も生じなかったはずである。しかし、それでは経済大国にはなれない。みごとにその道を歩む環境が、中国にはあったわけである。

 日本に例えたように、今になってみれば土地を公のものとして捉えれば、農民の間に虫食いのように土地を商売のネタにする者は生まれなかっただろう。しかし、いっぽうで土地を公のものとして捉えているならば、土地を奪うことは簡単なことであり、それを理不尽だと騒ぐ中国の農民の気持ちも解るが、国の横暴もこんなときには好都合だったということになる。圧倒的な発展の影には、土地が個人のものではなかったという共産主義たる所以があったことになる。しかし、こうした行為に、農業をすでに見捨ててしまった国の姿勢が見えてくる。もちろん国がそうさせたかどうかと問えば、違うのだろうが、そうした横暴を暗黙で認めていたことは事実のようである。そして共産国家は形だけとなり、民有化されたものが増えれば、いずれそうした反動も出る。そうした流れを感じさせる農民の行動なのだ。とてつもなく大きな国、中国の行く末はすでに見えている。これほど農業が荒廃し続ける日本にあって、中国の土地政策との矛盾を認識さてくれるとともに、どちらもどらであるというところである。
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