Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

先生と呼ばれること

2008-03-11 12:32:50 | ひとから学ぶ
 ときおり「○○先生はいらっしゃいますか」という電話がかかってくる。教えを請うたり、依頼されたりするときにそんな「先生」という言葉に出くわす。講師を紹介する際もおおかた「○○先生」という具合に紹介される。そんな経験はほとんどないのだが、学校の先生たちの間では、日常「○○先生」と同僚のことを呼ぶから、ときに同じような環境下では、学校の先生でなくとも「○○先生」と呼んだり、紹介する。一般人には聞きなれない言葉だから、本当のところは違和感が派生する。

 妻は学校の先生の娘であるとともに、そうした先生との付き合いも広い。だから学校の先生をみて「○○さん」とは絶対に言わない。このあたりの感覚は、けっこう学校の環境に慣れているという感じである。わたしなどは常に「○○さん」というのがあたりまえだから、時に学校の先生でも「○○さん」と呼んでしまう。あとで「まずかったかな」などと思うこともしばしばで、大勢の人が集っている際には、呼び方に気をつけることにしている。妻を見ていて、よくもまあ完璧に呼称を変えることができると感心してしまう。

 ということで、わが家に「○○先生いらっしゃいますか」という電話が来ると、妻は「うちには先生はいません」と言う。それは正しいことなのだが、「○○」という名前を聞く限りわたしのことを言っていることは確かなのだが、そう言うのである。妻にとっては学校の先生でなければ先生ではないのだ。今では妻も面識があって親しい知人として話しのできる友人が、初めて電話をしてきたころは、「うちには先生はいません」を繰り返したものだ。その相手がよく電話をくれるわたしにとって親しい人だと解ってからも、しばらくはそんなやり取りをしていたものである。端で聞いているわたしもそのやり取りをおかしく聞いていたもので、それほど妻にとってはわたしが先生と呼ばれるにはそぐわない人間だと認識しているからだ。

 もちろん妻の認識は正しいだろう。わたしも「○○先生」などと紹介されると、違和感を覚えてしまう。できればふつうに「○○さん」と言って頂きたいのだが、先生ばかりの空間にわたしのような部外者が混ざって行動していると、そう呼ばれることもしばしばである。ときには自ら「わたしは先生ではありませんので」と断わりをしたりするが、わざわざそんなことを言うのも相手に失礼だろうし、わざとらしい。だから最近はあまり気にしないようにしているのだが、先日もある会議で少し話をする際にそう紹介されて、どうも冒頭から調子が乗らない。ごくふつうであって欲しいのだが、そんな言葉に惑わされるあたりが、まだまだということなのだろう。それにしてもその世界の人たちは、迷うことなく「さん」と「先生」を使い分けられるのだろうか。わたしには妻は特別だと思っているのだが・・・。
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