Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

住まいの変容

2005-08-21 00:39:17 | 民俗学
 同じ事務所に勤める昭和50年代に佐久市に生まれた女性から、自分の家は百年はたっていないが、それに近いのでは・・・と聞き、さらに彼女はこうした古い家を残すことも大事だという興味深いことを話した。その言葉にわたしも大変興味を持った。まずは、若い世代なのに、なぜそうした古い家が良いという印象を持っているのか、彼女自身はそこで暮らしているのか、といったこととともに、そう思う家の間取りはどうなのか、そんなことがわたしの脳裏に浮かんだ。そこで、まず間取りを聞いてみた。南側を玄関とし、玄関を入るとそこが居間だという。そして、居間の東側に茶の間があり、その北側に寝室、茶の間の東側に座敷、座敷の北側に奥座敷がある。座敷二間と茶の間と寝室が田の字型になっており、その左側手前に玄関、奥に部屋があるという。玄関左手に台所があり、台所の南側に浴室とトイレが続く。話の雰囲気では明治後期に建てられた家のようで、二階があるが現在は物置として利用されている。かつては蚕室として利用されていたようである。この配置と年代から想定すると、おそらく居間と居間の北側の部屋のある場所は、かつては土間であったのではないか、そんなことを彼女に聞いてみたが、そこまでは聞いていないようであった。仏壇が茶の間の北東側にあること、間取りの配置状況から、『長野県史』民俗編第一巻(一)東信地方 日々の生活(昭和61年3月発行)に間取り図として掲載されている、佐久市上塚原の小林宅のものによく似ている(P323)。南北の方向、田の字型の配置、現在の居間の位置、台所の位置など大変近い。彼女にはよく理解されていないが、台所の北側の北西の隅に物置があり、内側からも外側からも行き来できるという。おそらく、小林宅の事例にあるように、この物置とみられる部屋はミソベヤだったのではないだろうか。
 仏壇の位置も、小林宅の場合は、茶の間の奥のコザシキ側に飛び出た形で、彼女の家と同じ位置に配置されている。『長野県史』の間取り図事例に浅科村(現佐久市)矢島の間取りも載っているが、ここでも仏壇の位置は同じである。小林宅では、茶の間の北側の戸上に神棚が配置されており、これも彼女の家とそっくりである。
 彼女は子どものころ茶の間奥の寝室を使っていたが、その後それまで離れに住んでいた父母がこの部屋に入り、自分と入れ替わったという。離れは昔の建物ではなく、比較的新しいという。そんなこともあって、母屋の方の細かいところまであまり認識していない。さらに学生時代を家から離れてよそで暮らしたため、よけいに母屋の詳細は忘れてしまった部分もある。しかし、覚えている範囲で聞きながら、わたしはかつての間取りのありかたを想像してみた。彼女にしては、かつての間取りのことなどをあまり聞いていなかったことから、家の向きやかつての土間の話などを聞いて、新鮮な響きだったかもしれない。おそらく、彼女の父母の世代でも、詳細は語れないかもしれない。
 家とは、母屋の間取りだけをとっても、一世代のうちにも変化がある。ましてや、二世代三世代と引き継がれる家は、その都度修正されてきた部分があるはずである。電気が引かれる、水道が引かれる、ガスの利用、最近では下水道が布設されるなど、時代によってとくに水周りは変化してきた。もちろん水周りばかりではなく、新たな建材の普及により、建具は大きく変化してきた。そして、生業の変化である。彼女の家でも二階が蚕室として利用されていたが、現在は二階の必要性はそれほど高くなくなっている。そうした生業の変化は、家を建て替えれば以前のものとは大きく変わる。その時代、世代ごとにこの家がどう息づいてきたか、思い起こせば奥は深く、自らを知ることができる。彼女がなぜこの家を残したいのか、そこのところが今ひとつ聞けなかったが、これは次ぎの機会にしよう。
 住まいの変容を扱ったものとして、多々井幸視氏の『住まいと民俗―住意識の変容―』(平成14年4月 岩田書院)がある。このなかで、以前に調査した家が新築され、あらためて新築後の住まいを調査すると、以前の家と後の家に共通点が多いという。外観はことなっても、座敷の設置やお勝手の位置、神棚・仏壇の置き場所など類似点が多いという。わたしも間取りや家の配置などを、自ら家を建てる際にいろいろ考えてみた。そうしたなかから、自分が育った家と、自らが新たに作った家がどう関連しているか、まとめてみたこともある。いずれにしても、自分の育った、あるいは生活した空間で、何が印象として強く、どういう部分に癒されたか、あるいはまったく癒されなかったのか、というようなところまで、かなり身に染み付いていることに気がついた。最近の新築事情はことなるかも知れないが、十年程度前で、それほど奇抜な家が目立たなかった時代には、多々井氏がいうような共通点は、家を作る際にあったことは確かだと思う。しかし、現在はどうなのか、伝承が生きているのか、あるいはいないのか、興味深い点である。
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