Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

毎日の繰り返し

2005-08-04 20:55:46 | ひとから学ぶ
 わたしは今の事務所にきて、一年余である。毎日午前中の早い時間に、臨時の女性職員が「今日はお弁当とりますか」と聞いてくれる。わたしは毎日弁当を自宅から持参のため、まずこの問いかけに対して、「○○の弁当をとってください」という返事をすることはない。「いりません」という返答を毎日しているのである。
 いまどき女性にお茶を入れさせるのも問題ありかもしれないが、こうして弁当の注文を聞くのも、この事務所に来て初めて経験した。問題あり、という指摘をうければそれまでたが、わたしはそんな是非を問うわけではない。ふつうなら、「こんなこと自分でしろ」といわれるものをしていただいているのはわたしたちにはありがたいのだが(その理由に彼女たちも弁当をとるついでということもあるが)、ほかの事務所で働いた時には、弁当持参で毎日「いりません」を繰り返していると、この人には聞く必要はない、と知らない間に聞かれることはなくなった。ところが、一年も「いりません」を繰り返していても、必ず聞いてくれるのである。こういうのが、ある意味平等性だとおもうのだが、どうだろう。くだらないことといわれてしまえばそれまでだが、一言「もうわたしには聞かないでいいです」といってしまえば、それで済むかもしれない。でもいつかは頼むこともあるのかもしれない。そのへんの微妙な世界で、あくまで、否定されようが問い掛ける、そういうあたりまえのようであたりまえでない繰り返しが、今の世の中から失われているような気がする。
 最近では、みなさん知恵がついて、自ら不合理と思えば合理的に変化させていく。しかし、どこかそれをできない部分もある。しかし、不合理であろうが、人とひとのかかわり中には、その不合理がつながりを持たせてくれたりするものである。「もう聞かなくていい」という言葉を発していない自分、そして、そうはいっても毎日聞かなくては、と思う問い掛ける側、そうしたなんでもない、そう深くは考える必要のないものであっても、あらためてその空間につながりを見出したとき、ほっとすることもあるはずである。
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