Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

夏休みの宿題

2005-08-23 08:19:54 | つぶやき
 息子のことであるが、中学生にもなると、夏休みは忙しい。部活をやらなければよいが、運動系の部活だととくに忙しい。たいして強くもないが、時間だけはたくさんかける。卓球をしているのだか、どういう練習をしているか知らないが、時間の割には上達しない。そんなにいっしょうけんめいやらなくてもよい、という話をしていて、息子も部活の練習では上達しないことがわかっていて、できるならば部活には出たくない。しかし、レギュラーとしてここまでやってきた以上、それをはずされるのもせっかくやっているのに残念である。したがって、用事をつくっては、とくに自主練習は出ないようにして、正式な部活はなるべく出るようにしている。それでも忙しいのである。まあ、手が遅いので宿題が後回しになっていき、累積していくのはいつものことで、あらかじめ計画的にやればよいのに、結局隠れては好きな本を読んでいたりする。
 昨年の夏休みがそうだったのだが、ポスターの宿題は、下絵を描いたあとをお母さんが着色した。着色がうまかったかどうかしらないが、禁煙ポスターを完成させて提出したら、優秀賞とともに記念品までもらってしまった。もともと家では、勉強がおろそかになるのなら、そちらを優先して、工作や美術は母が手伝うという形になっている。とても絵が上手とはいえないのに、親が手をだしてはまずいかなー・・・なんて思うが、優先すべきものが何かを考えるとそういうことになってしまう。
 さて、今年はどうだろう。夏休みに入ってから登山があったり、体験学習といって福祉の仕事体験が何日もあったり、それに部活である。盆の間くらいは何もない日があったが、あとは毎日である。父親が一生懸命庭の草取りをしているのに、その脇を部活に、福祉にと、息子は自宅の草などほとんど取った経験がないくらい忙しい。
 最近、世の流れが、時間がかかっても個人個人のペースを尊重する傾向がある。どういうことかというと、とろくさいやつでも、せっかちなやつでも、時間の清算はしないという考えである。とすると、時間が清算されないので、できたものだけを評価すると、出来上がりのよいものがよいのはあたりまえである。芸術ならともかく、人間社会がそれだけでよいものだろうか。そういう時間的な部分を、学校では教えなくなっていないだろうか。若い人たちをみてそう思う。
 今年も、結局ポスターは間に合わず、今日で休みも最後というのに、部活に出て行った。イメージの下絵を描いてあって、それを尊重して、母が本番の下絵を描いた。少し修正したが、それは母のイメージが少し異なっていたからのもので、大差はない。それで誰が着色するの・・・という話になって、お父さんがやることになった。暇ではないが、物理的に無理なのでそういうことになった。着色前に、せっかくだからといって、お父さんのイメージが少し加えられた。結局素図そのものはたいした内容ではないが、出来上がりは、お父さんとしては満足であった。息子は美術は5をもらってくるが、とても才能はないし、へたくそである。受験にはほとんど関係ないから、まあいいか・・・、てな感じである。
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