Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

カメラマンたちの不幸

2005-08-17 19:20:01 | ひとから学ぶ
 わたしは10年ほど前まで、盛んに祭りの写真を撮って歩いていた。とくに狭い空間で、一時の瞬間を逃さずにカメラに収めることは技がいった。長野県でも南信といわれる地域には、そうした一瞬のチャンスしか収めることができない対象の祭りが多かった。年末押し迫った頃や、年始の時期に行なわれる湯立て神楽や、田楽など古風な祭りが南信、とりわけ伊那谷には多かった。それでもそうした地域に限られるものではなく、今の時期でいえば、まもなく始まる北信といわれる地域の神楽にも、独特な所作などがあって、一瞬のチャンスにねらいを定めるものは多くあった。
 湯立て神楽でいうなら、例えば下伊那郡の遠山谷で行なわれる霜月祭りでは、湯立ての湯をはねる所作があって、おもて(面)をつけた神に扮した者が、手で湯をはねる時を狙って、狭い舞堂の釜の前にカメラを手にした、いわゆるアマチュアカメラマンといわれる人たちが陣取る姿が、毎年、各所でみられた。時にはそうしたカメラマンと、見学にきた人々でもめることもしばしばあった。湯をはねる所作はテレビなどで放映され、少しはイメージがつくかもしれないが、カメラを手にした人たちが、われ先にと釜の前を争ったり、その瞬間にどう前に出たらよいかという駆け引きをするあたりは、ある意味人間の欲の世界を垣間見たりするのである。確かに、そこで確実なポジションをつかんだ人にとっては、不運さえなければ(湯をはねる前に湯煙があがってしまったり、突然お宮の関係者の手に持つ提灯がじゃましたり)よい写真が撮れることは確かである。こうした狭い空間での駆け引きを、自ら何年も行なっていた経験がある。それはカメラマンというひとくくりにすれば、その一員ではあったが、あくまでもこちらは、写真のコンテストなどを狙ってのものではなく、資料として残しておきたいという、当時として民俗芸能を研究していたというほどの大それたものではなかったが、多くの祭りを見ることで、地域性、あるいは類似性など知ろうというものであった。しかし、いうまでもなく、ひとくくりにしてしまえば、カメラマンとなんら変わりはしなかったであろう。こうしたカメラマンの動きは、こと祭りなどに見られるだけではなく、例えば撮影会といわれるものでも、モデルに対して、どういう位置にポジションを置くかで、けっこう争いがあるという。
 いずれにしても、写真は意図的(やらせも含めて)な部分で撮られているものが多い。それでも意図して作られたものはともかく、一瞬しか撮影できないものを撮る際のカメラマンの争いを、好ましいとは思っていなかった。そんなこともあって、今ではそうした写真を撮ろうという気持ちはなくなった。カメラマンのそうした世界を見たくないからである。また、昔にくらべると、そうしたカメラマンの視線を祭りの関係者はもちろん、見学者も意識するようになった。絵に比べれば表現しやすい写真であり、見る側もイメージしやすい芸術ではあるが、祭りを取り巻くカメラマンの姿をみるにつけ、新聞などに掲載されるコンテストの写真を、イメージダウンさせて見る自分が常にある。
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