Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

貧困の国

2005-08-02 18:13:19 | 農村環境
 今日の朝日新聞の「思潮」に日本の貧困について記事がある。OECDが発表した日本の貧困率は15.3%であり、世界で5番目に貧困率が高い。そのうち、先進国の中では3番目に高い。もちろんこの上位国にアメリカも入っている。アメリカは貧富の差があたりまえの国であるから、さほど珍しくもないが、日本が貧困率が高いことに、多くの人は気にはならないだろう。それほど貧困率が高いといわれても、実感するまでたどりつかないのだ。それは、いわゆる一億総中流時代の名残りなのであろう、なかなかその現実を認めたくない国民性もある。誰が飛び出るでもなく、平均的であった時代は、平和であったからである。しかし、これほど事件、事故が多くなろうとも、また、課題が次ぎから次へと出てきても、それほど身近な現実とは捉えようとしていない。
 貧困率とは、平均所得の50%以下の世帯の比率だという。その中には生活保護世帯も当然入るけであるが、この生活保護世帯というのが、現在わたしの家のまわりにあるかどうかはわからない。好き好んで生活保護を受けています、なんていえるものではない。かつて自分が子どものころ(30年ほど前)、友達に生活保護を受けている世帯があった。父親は働いていないわけではなかったが、農村地帯にもかかわらず農地はなく、石屋をしていたが、高齢であったこともあってすでにそれほど働くことはできなかったようである。当時は田舎に働き場というのはそれほど多くはなく、職人が最も一般的な働き口であった。そして、多くは、農閑期などの農業の補完的な意味で金銭を求めて働きに出ていた時代である。したがって、職人だけで食べるとなると、一人前にはたらけないと苦しい。もちろん、当時は片親の家庭はそれほど多くはなかったが、母親世帯には同様に生活保護を受けている友達がほかにもいたように記憶する。それにくらべれば、今の方が環境は整っているように思うが、実は、生活保護の敷居が意外に低いのである。
 生活保護は、最低生活費よりも収入が低いと受ける対象になるようで、この最低生活費というのが、農村の生活費からみるとけっこう高いのである。身のまわりにも正規社員ではない人たちが働いているし、そうした人たちの中には親の面倒を見ている独身者もけっこういる。そうした人たちにとっては、おそらく、生活保護の対象になってもおかしくない人たちがけっこういるように思う。にもかかわらず、必ずしも生活保護を受けているわけではない。それは、生活保護への抵抗というものがあるだろう。かつて、友達の家について、まわりの家の者が「生活保護を受けているくせに」という言葉を裏で話すことを耳にしたことがあった。いかに保護を受けるということが恥かしいかということが、うかがわれる。だからといって生活保護を受けやすい社会にしよう、なんていうのも聞こえが良くないし、社会状態として正常ではない。いっぽうで、扶養控除が改正されていき、ようは夫婦共働きをしなさい、という社会になりつつある。にもかかわらず、雇用状態はよくなく、ますます低賃金で働け、ということにつながる。そして、子どもが少ないから産めるような環境を作ろうなんていう。悪循環は土壷にはまっていく。貧富の差があるんだから、金持ちが子どもをいっぱい産めばいい。ニュースなんかで、子どもを産んでいてもおかしくないような女性キャスターが、いつまでも金を稼ぐんじゃなくて、ちゃんと結婚して、子どもをたくさん産んでからえらそうなことを言え、なんて思う時がよくある。こんなことを言うと、差別だとか言われるのだろうが、冷静に考えて身のおきどころを判断したいものである。
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