現金寄付はぼちぼちと千円単位で続けている。それでも気がおさまらず、おむつをひとパック、近所のドラッグストアで購入して、お茶の水のサッカーミュージアムに持って行った。サッカーファンの有志団体がとりまとめて仙台に運んでくれることになっていた。
行ってみて驚いたのは、もうあふれんばかりに若い人が集まって、集配や分類を手伝っていることであった。どうみても、人が余っているみたいで、駅や順天堂病院の角に道案内に立っているほどであった。おそらくは、作業への人の割り当てが十分になっても、それでも何か手伝わせてほしいという人たちが残って手伝っているのだろう。
みんな何か、役に立ちたいと思う気持ちがあるのだろう。とはいえ、直接被災地に行ってお手伝いをすることは難しい。被災地ボランティアなどといいうと、なかなか難しい面もある。かえって、被災者の人に迷惑になってしまったりする可能性もある。ワシも、節電して、買い占めやめて、おカネさえ寄付できればよいと考えていたが、理屈でわかっていても気が収まらない。
この点、直接的に人命救助や復興の仕事ができる技能のある方々はすばらしい。お医者さんや自衛隊や電設、建設関係のお仕事の技能のある方々だが、仮に自分が、そういう仕事に就いていて技能があっても、被災地で足手まといにならずにやっていけるかというと、やはり自分には難しいと思う。体力や気力の面で到底及ばない。
ボランティアの話はさておき、掘り下げて考えてみれば、現状自分ができることをできる環境で仕事をさせてもらっているわけで、適材適所的にいるということもいえる。立ち戻って考えれば、できることをしっかりやること。それしかない。ときどき募金や物資寄付を続けて、困っている人たちのことを思いながら。