いったいどれほどの災害だったのか。何となく、実はぼやけている。大変な災害であったことは、未曽有という言葉の通りなのだが。原発の問題が片付いていないということで余計にぼやけてしまっている。2万人を超えるほどの人たちが命を奪われたというのに。あまり実感として把握できない。そのことにものすごく危機感を抱いている。
20年~30年くらい前であれば、もう少し実感があったと思う。当時は生々しい写真が平気で報道されていた。いま、こうして災害の実感がわかないのは、ずばり、遺体が映されないからだろう。遺体がないから、人の死が実感できない。押し流される家々や建物、自動車。そういうものしかうつされない。がれきや残骸、市道に乗り上げた漁船など。たいへんなことはわかるが、人の死が伝わらない。想像するほかない。
半数近くの児童が犠牲になった、130人くらいの小学校。わが子をがれきに探す、若いお母さん。遺体を確認すべく棺を開けて回る遺族の方々。悲しみが想像でしかわからない。数少ない、身内の死の体験を思い起こすしかない。でもそれでは、彼らの悲しみはわからないだろう。
悲しみがないのに、復興だのチャリティだの。なんだか申し訳ない気になる。被災地にいない人間は被災地の皆さんの悲しみを想像するほかない。そのことが、いらだたしい。