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湯西川日記

fbやツイッターで一年サボりましたが、やっぱりブログです。2016年から復活します。ツイッターの長い版みたいな感じです。

親逝きて、ついぞ死を思う、の意を知る

2011-06-03 21:48:17 | 学習

死を思え、なんていっても、実際に人の死を間近に見なければ、なかなか死を意識しないものである。しない、というより、できないといったほうがよい。そして、死を思うと、やらなければならないことが見えてくる。

今できることは、しっかりと自分の仕事をすることである。もし、万一に明日、自分が死んでも残るのは、自分がした仕事である。サッカーを見るのもいいと思う。旅に出るのもいいだろう。マラソンをするのもいい。趣味に生きるのもいい。だが、すべて根底は仕事である。仕事があってこそである。

自分の職業に誇りを持ち、そこに全力で打ち込まなければならない。全力で打ち込めば、能力もついてくる。不幸にして、そういうことができない環境であれば、打開策を真剣に考えるべきだろう。一度しかない人生なのだから。

もうひとつは、家族を大切にすることだ。人が死ぬということは、いずれは自分も逝くということである。そう思えば、家族と触れ合える時間も無限ではないどころか、意外と短いことが、おのずとわかる。これらはすべて、親を亡くしたことの代償として知るところである。