KOfyの「倍行く」人生

バイクで人生を“2倍”楽しみたい。勝手気ままな日記代わりの備忘録。

父が79歳で永眠しました

2004年07月26日 | 自分史あれこれ
2004年7月26日、長らく自宅で在宅治療し、最後は病院に入院した父が永眠しました。

大正13年(1914年)9月25日に奈良で生まれた父は、
旧制大阪商大を卒業して、東洋紡績に入社し、何度かの転勤、出向などを経て、
旧の取引先に転職し、山を愛し、年に1回の海外遠征や山の会に入り、毎週末の山行きを楽しんでいました。


軽い、脳梗塞で倒れた後、精密検査をした方が良いとのことで、
国立循環器病センターでカテーテルを入れた検査をしましたが、
その影響で、脳梗塞を発症し、光視症が出て、寝たきり闘病が続き、
最後は、嚥下障害で口から食事ができず、母の懸命な看病が続いていましたが、
79歳の人生を終えました。


奈良県橿原市の墓で永眠していますが、翌年に、父が好きだった、
一緒に行った上高地、大台ケ原、そして、六甲山頂に散骨をしました。


オヤジの散骨(第一弾):大台ケ原 - KOfyの「倍行く」人生 2004年11月

オヤジの散骨(第二弾):六甲山 - KOfyの「倍行く」人生 2004年12月

父の散骨ツーリング(第三弾):上高地 - KOfyの「倍行く」人生 2005年8月



【旧ホームページからコピー】

父が永眠しました
at 2004 08/01 09:02

7月26日(月)午後4時15分に息を引き取りました。
母からの電話で急遽会社を飛び出して、バイクを飛ばして病院に駆けつけましたが、
病室に入った時には既に息を引き取っていました。

学生時代から山歩きが好きで、サラリーマンの現役時代から時間を見つけて山に行ってました。
僕は、高校2年のGWの時に学校を休んで初めて大台ケ原に連れて行ってもらいました。
以降、北アルプスなど3-4回一緒に歩きました。

63歳で現役を引退してからは、国内各地の山には毎週、
そして年に1-2回は海外遠征を楽しんでいたのですが、
1995年にカナダの空港で軽い脳梗塞になり、帰国後の12月に精密検査で
カテーテルを入れた時に本当の脳梗塞になってしまいました。

以来9年間8回ほどの入退院を繰り返し、嚥下障害、心筋梗塞、大動脈瘤、
類天疱瘡などの病魔と戦ってきました。
在宅介護から入院時までお袋の苦労は相当なものでした。

息子として十分なことをしてなかったことに大いに反省しております。

これから7日ごとの法要を行い、9月11日に49日の法要になります。
奈良の墓を整備し納骨する予定ですが、一部の骨は親父の好きだった山に
散骨してあげようと思ってます。
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