唐突ですが…
さらに面白い本について。
面白い本の面白さ。
前回書いたのはこちら。
前回の記事では、自分で読みもしないで面白い本なんて分かるかよって話と、面白いの感覚なんて人それぞれなんだから、人の面白い本を聞いても、自分の面白い本が分かるとは限らないよというお話を書きました。
そういうお話を書いた…んだよね?
なんか、それだけじゃないような、そこまで言い切っていないような、そんな感じもするけど…。
まあ、書いたんだ、うん。
今日はまたそれとは別の、「面白い本」の話。
△とかなんとかやるのもどうかと思うので、思いっきりリンクで。
昔の光今いずこ:飢えてます
「面白い本を読んでいない」らしいです。
こちらは、読みもせずに「面白い本」を探しているのではなくて、読んだ上で「面白い本」がないと仰っていらっしゃるのですね。
ふむむ。
私は逆に、「面白くない本」がないんですが…。
これは、そもそも「面白い」の基準が違っているのかもしれません。
本の「面白さ」というのは、本全体に渡る問題なんでしょうか。
最初から最後まで、すべてが面白い本なんて、そうそうあるとは思えません。
そして、逆に、最初から最後まで、すべてが面白くない本も、そうそうあるとは思えないのです。
どこか1点、たった1点だけでも、ガッチリ心を掴む何かがあれば、それは面白い本だったってことになるんではないでしょうか。
そして、その1点すらも面白い部分が存在しない本なんて、この世に存在するのでしょうか。
この世には、「面白い本」が存在するんじゃなくて、本を「面白い」と感じる人間が存在するだけなんじゃないでしょうか。
そうだとするなら、その人間の読み方、感じ方次第で、「面白い本」は無限に存在することになるのではないでしょうか。
今そこにある本を読んで…
自分は何を思うのか。
何も考えずに本を読むことなんてできはしません。
言葉を読めば、情景が浮かぶ、絵を見れば、心情が浮かぶ。
浮かんだ情景は…感じた心情は、新たな情景を生み、心情を呼び起こす。
思考が広がる。
そこにある、ある一言から、無限に思考が発展する。
世界はどこまでも広がります。
そして、それは自然と行われる。
それは、「面白くなかった」という心情からでも変わりません。
あれは面白くなかった。
あれが、もしああなっていれば、面白かったかもしれない。
ああでもない、こうでもない。
色々考える。
それはすでに「面白い」ことなのではないでしょうか。
さらに、その本について他人の考えを聞く。
自らと考えを同じくする部分もあれば、違う部分もある。
そしてさらに考える。
面白さは、さらに広がります。
本の読み方も色々あります。
浅く読む、深く読む。
一気に読む、ちまちま読む。
何冊も読む、繰り返し読む。
再び読む、逆から読む。
飛ばして読む、斜めに読む。
縦読み、目次読み。
黙読、音読。
すべてにおいて、感じ方が違う。
同じ本でも、違う世界が広がる。
物語を読む。
辞書・事典を読む。
理論書を読む。
写真集を見る。
本の種類による違いも、また楽しみの一つ。
時には、辞書を物語のように読んでみるのも、面白いかもしれない。
もしかしたら、私の言ってることは、根本的な部分でずれているのかもしれません。
ですが…。
「面白い本」というのは、向こうからやってくるものなのでしょうか。
「面白い本」というのは、こちらから作り上げるものなんじゃないでしょうか。
そこにある本だって、読み方次第で、いくらでも「面白い本」になりうるんじゃないでしょうか。
うーん。
やっぱり何かずれているような気もするけど…。
何かを感じることが、そのまま「面白い」と繋がるかどうか…。
「感じたが、それがどうした」ってことなら、話は始まらない。
その「感じる」ということを、「面白い」ことだと思ってもらわなくては、この話は成立しない。
「面白くないと感じた」「つまらないと感じた」…
そのことすら、「面白い」と考える。
よく言いますよね。
「寒い」って。
「つまらん、寒い」と。
その寒さを感じること自体が面白いのではないのか。
ネタになる。
ネタにもならん。
愚にもつかない。
だが、そこが面白い。
そして、この考え方だと、極端に面白い本というものも、なかなか存在しないことになってしまいます。
すべて面白いのだから、面白くないものもでないけど、特に面白いものもなかなかでないのです。
特に面白い本。
それはやはり、何かを感じる部分が沢山あり、そして、その感じる度合いが大きい本ということになるのでしょう。
大きく心を揺り動かされる本。
それは、大爆笑であったり、超感動であったり、激鬱であったり…。
喜怒哀楽。
人間の感情を大きく揺り動かすことができるのが、面白い本ということになりますね。
しかし、何に反応するかは、人それぞれ。
やっぱり、面白い本は、皆違うもの。
ああ。また自分でもよく分かっていないことを長々と…。
さらに面白い本について。
面白い本の面白さ。
前回書いたのはこちら。
前回の記事では、自分で読みもしないで面白い本なんて分かるかよって話と、面白いの感覚なんて人それぞれなんだから、人の面白い本を聞いても、自分の面白い本が分かるとは限らないよというお話を書きました。
そういうお話を書いた…んだよね?
なんか、それだけじゃないような、そこまで言い切っていないような、そんな感じもするけど…。
まあ、書いたんだ、うん。
今日はまたそれとは別の、「面白い本」の話。
△とかなんとかやるのもどうかと思うので、思いっきりリンクで。
昔の光今いずこ:飢えてます
「面白い本を読んでいない」らしいです。
こちらは、読みもせずに「面白い本」を探しているのではなくて、読んだ上で「面白い本」がないと仰っていらっしゃるのですね。
ふむむ。
私は逆に、「面白くない本」がないんですが…。
これは、そもそも「面白い」の基準が違っているのかもしれません。
本の「面白さ」というのは、本全体に渡る問題なんでしょうか。
最初から最後まで、すべてが面白い本なんて、そうそうあるとは思えません。
そして、逆に、最初から最後まで、すべてが面白くない本も、そうそうあるとは思えないのです。
どこか1点、たった1点だけでも、ガッチリ心を掴む何かがあれば、それは面白い本だったってことになるんではないでしょうか。
そして、その1点すらも面白い部分が存在しない本なんて、この世に存在するのでしょうか。
この世には、「面白い本」が存在するんじゃなくて、本を「面白い」と感じる人間が存在するだけなんじゃないでしょうか。
そうだとするなら、その人間の読み方、感じ方次第で、「面白い本」は無限に存在することになるのではないでしょうか。
今そこにある本を読んで…
自分は何を思うのか。
何も考えずに本を読むことなんてできはしません。
言葉を読めば、情景が浮かぶ、絵を見れば、心情が浮かぶ。
浮かんだ情景は…感じた心情は、新たな情景を生み、心情を呼び起こす。
思考が広がる。
そこにある、ある一言から、無限に思考が発展する。
世界はどこまでも広がります。
そして、それは自然と行われる。
それは、「面白くなかった」という心情からでも変わりません。
あれは面白くなかった。
あれが、もしああなっていれば、面白かったかもしれない。
ああでもない、こうでもない。
色々考える。
それはすでに「面白い」ことなのではないでしょうか。
さらに、その本について他人の考えを聞く。
自らと考えを同じくする部分もあれば、違う部分もある。
そしてさらに考える。
面白さは、さらに広がります。
本の読み方も色々あります。
浅く読む、深く読む。
一気に読む、ちまちま読む。
何冊も読む、繰り返し読む。
再び読む、逆から読む。
飛ばして読む、斜めに読む。
縦読み、目次読み。
黙読、音読。
すべてにおいて、感じ方が違う。
同じ本でも、違う世界が広がる。
物語を読む。
辞書・事典を読む。
理論書を読む。
写真集を見る。
本の種類による違いも、また楽しみの一つ。
時には、辞書を物語のように読んでみるのも、面白いかもしれない。
もしかしたら、私の言ってることは、根本的な部分でずれているのかもしれません。
ですが…。
「面白い本」というのは、向こうからやってくるものなのでしょうか。
「面白い本」というのは、こちらから作り上げるものなんじゃないでしょうか。
そこにある本だって、読み方次第で、いくらでも「面白い本」になりうるんじゃないでしょうか。
うーん。
やっぱり何かずれているような気もするけど…。
何かを感じることが、そのまま「面白い」と繋がるかどうか…。
「感じたが、それがどうした」ってことなら、話は始まらない。
その「感じる」ということを、「面白い」ことだと思ってもらわなくては、この話は成立しない。
「面白くないと感じた」「つまらないと感じた」…
そのことすら、「面白い」と考える。
よく言いますよね。
「寒い」って。
「つまらん、寒い」と。
その寒さを感じること自体が面白いのではないのか。
ネタになる。
ネタにもならん。
愚にもつかない。
だが、そこが面白い。
そして、この考え方だと、極端に面白い本というものも、なかなか存在しないことになってしまいます。
すべて面白いのだから、面白くないものもでないけど、特に面白いものもなかなかでないのです。
特に面白い本。
それはやはり、何かを感じる部分が沢山あり、そして、その感じる度合いが大きい本ということになるのでしょう。
大きく心を揺り動かされる本。
それは、大爆笑であったり、超感動であったり、激鬱であったり…。
喜怒哀楽。
人間の感情を大きく揺り動かすことができるのが、面白い本ということになりますね。
しかし、何に反応するかは、人それぞれ。
やっぱり、面白い本は、皆違うもの。
ああ。また自分でもよく分かっていないことを長々と…。