東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

右翼

2024-06-28 17:19:02 | 日記
 アヘンですか・・・。
 
 明治以降の日本にはアジア主義といわれる人たちがいて、玄洋社という右翼組織があって、玄洋社から派生した黒龍会という海外工作機関もあったらしい。玄洋社は福岡藩の藩士だった人たちが中心になって結成されたことになってるらしい。
 
 明治維新の後に胆沢県ができて岩手県奥州市の水沢には胆沢県庁が置かれ、安場保和という人が来て大参事に就いたらしいけど、安場保和は熊本藩の出身で、水沢の地元の少年から選んで仕事をさせてたらしく、後藤新平も斎藤実も安場保和に見出された少年ということになってるらしい。本当か知らないけど・・・。後藤新平は安場保和の娘を妻にしたらしい。
 
 杉山茂丸という人は玄洋社の経済基盤確立のために安場保和を福岡県令に就かせたようだ。杉山茂丸は筑豊炭田の取得のために安場保和を福岡県令に就かせたらしい。福岡県令が福岡県知事になったようだけど、ウィキペディアで調べると、安場保和が福岡県令と福岡県知事だった期間は明治19年(1886年)から明治25年(1892年)のようだ。たぶんだけど・・・。
 
 日清戦争は明治27年(1894年)から明治28年(1895年)にあって、日清戦争の後に台湾は日本の統治になって、台湾総督府が置かれたらしい。児玉源太郎という人は台湾総督に就き、後藤新平を台湾総督府の民政長官に任命したようだ。児玉源太郎は明治31年(1898年)から明治39年(1906年)まで台湾総督に就いていて、後藤新平も、だいたい同じぐらい台湾にいたようだ。
 
 後藤新平はアヘンの撲滅を行おうとしたらしいけど、杉山茂丸という人とアヘン利権にも関わってたらしい。ウィキペディアに、そんなかんじで載ってる。
 
 日露戦争は第一次桂内閣の時の明治37年(1904年)から明治38年(1905年)にあって、児玉源太郎は日露戦争では満州軍の総参謀長を務めたようだ。日露戦争の時の日本の陸軍は満州軍というらしい。日露戦争の後に南満州鉄道が日本に譲渡され、後藤新平は明治39年(1906年)に南満州鉄道の初代総裁に就いたようだ。
 
 児玉源太郎は長州藩の支藩の徳山藩の出身ということになってるらしい。児玉源太郎は桂太郎の次の陸軍大臣で、第四次伊藤内閣と第一次桂内閣で陸軍大臣に就き、第一次桂内閣では内務大臣と文部大臣を一時兼任したようだ。児玉源太郎は明治39年(1906年)に亡くなったらしい。
 
 杉山茂丸という人は日露戦争では児玉源太郎の裏で動いていたようだ。ウィキペディアに、そんなかんじで載ってる。杉山茂丸という人は日韓併合にも関わったようだ。杉山茂丸という人は昭和10年(1935年)に亡くなったらしい。

 頭山満という人は玄洋社の設立に関わった人で、玄洋社の中心人物の一人だったようだ。頭山満は昭和19年(1944年)に亡くなったらしい。5.15事件で暗殺された犬養毅は頭山満の仲間だったの?。
 
 玄洋社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
この記事についてブログを書く
« 中国 | トップ | 秘密結社 »