東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

松江

2024-07-09 19:46:46 | 日記
 江戸時代の藩も怪しいって何度も書いてるけど、江戸時代の藩も怪しいんだよなあ。
 
 島根県にあった松江藩の藩主は松平氏だったみたいだけど、松江藩の最後の藩主は松平定安で、明治5年(1872年)に隠居して、明治10年(1877年)に再び家督を継いで、明治15年(1887年)に再び隠居して、その年に亡くなったらしい。次の松江藩の松平氏の松平直亮は松平定安の息子で、昭和15年(1940年)に亡くなったらしい。松平直亮の息子の松平直国が跡を継いだようだけど、ウィキペディアを見ても、そこまでしかわからない。
 
 島根県出雲市にある出雲大社の祭祀は千家家が行ってるみたいだけど、出雲大社教は設立時は神道大社教で、千家尊福という人が神道大社教の設立者で初代管長らしい。千家尊福は埼玉県知事や静岡県知事や東京府知事を務め、第一次西園寺内閣の司法大臣に就任したようだ。千家尊福は大正7年(1918年)に亡くなったらしい。
 
 千家尊福の次の出雲大社の宮司は千家尊紀で、千家尊福の弟らしい。千家尊紀は明治15年(1882年)に出雲大社の宮司を継いで、明治44年(1911年)に亡くなったらしい。次の出雲大社の宮司の千家尊統は千家尊紀の息子で、昭和22年(1947年)に出雲大社の宮司を譲り、昭和43年(1968年)に亡くなったらしい。次の出雲大社の宮司の千家尊祀は千家尊統の息子で、昭和22年(1947年)に出雲大社の宮司を継いで、平成14年(2002年)に亡くなったらしい。今の出雲大社の宮司の千家尊祐は千家尊祀の息子で、平成14年(2002年)に引き継いだようだ。詳しく知らないので、ウィキペディアで調べて書いてます。
 
 千家家の祖先は天穂日命で、天穂日命は大国主の国譲りの話に登場して、大国主のところに国譲りのために最初に送り込まれ、そのままいて任務を果たさなかったことになっているらしい。
 
 島根県松江市にある熊野大社の祭神は櫛御気野命で、スサノオのことらしい。松江市の熊野大社のHPを見ると、日本火出初社といってるようだ。出雲大社の宮司は代替わりする時、松江市の熊野大社に行って火継式という儀式を行ってくるらしい。鑽火殿で燧臼と燧杵で火を起こし、その火で調理した食事を神前に供え、自らも食事をするらしい。ウィキペディアで調べると、そのようなかんじだ。
 
 亀太夫神事というらしいけど、松江市の熊野大社の鑽火祭では出雲大社の宮司が燧臼と燧杵を受け取りに来る時に餅を持ってくるらしく、その餅の出来ばえについて、あれこれと文句を言うらしい。
 
 熊野大社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
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