東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

チベット

2021-08-15 23:07:41 | 日記
 密教ですか・・・。
 
 明治維新の後に河口慧海という黄檗宗の僧は日本人で初めてチベットに行ってきたらしく、チベット仏教を学んできて、帰国後にチベットの旅行記を書いたり、仏教関連の書籍をたくさん書いたようだ。後に僧籍を返上して在家仏教信者になったようだ。河口慧海という人に影響を受けてチベットに行った人もいたみたいです。
 
 なんで、禅宗の僧がチベット仏教を学びに行くんだ?みたいに言われても、知らんよ、俺は。
 
 多田等観という人は岩手県花巻市に疎開してたらしいけど、多田等観はチベットに行ってチベット仏教を学んできたみたいです。多田等観は浄土真宗本願寺派の法主だった大谷光瑞の金銭支援を受けてチベットにいたようだけど、多田等観はダライ・ラマ13世とも懇意にしてたみたいです。
 
 チベットは昔は吐蕃といったようだけど、7世紀の初めにソンツェン・ガンポという人が統一したようだ。8世紀の後半の頃にはサムイェー寺という寺が創建され、シャーンタラクシタという人がインドから招かれ、パドマサンバヴァという人は密教を伝えたようだ。サムイェー寺の宗論というようだけど、この頃に禅と密教のどちらが優れてるか?みたいな論争が行われ、密教が勝利して、この頃からチベットの仏教は密教が主流になっていったみたいです。
 
 サムイェー寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
この記事についてブログを書く
« 吉野 | トップ | 京都 »