東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

東京

2024-01-29 23:13:20 | 日記
 明治維新の話は嘘の気がするし、明治天皇の前に天皇が日本にいたと思えないんだよなあ。
 
 大正天皇は柳原愛子という女性の息子らしい。たぶんだけど・・・。柳原前光という人の妹が柳原愛子らしいけど、柳原前光と柳原愛子の墓は東京都目黒区にある浄土宗の寺の祐天寺にあるらしい。祐天寺の山号は明顕山のようだ。
 
 柳原前光の息子が柳原義光で、柳原義光は明治27年(1894年)に家督を継いだようだ。次の柳原氏の柳原博光は大原氏から養子で入った人で、柳原博光は海軍の軍人だったらしいけど、太平洋戦争の終戦後の昭和21年(1946年)に家督を継ぎ、その次の年に華族制度が廃止になったようだ。
 
 柳原家は柳原義光の頃から柳原白蓮という人を含め、スキャンダルまみれになってったらしい。柳原白蓮という女性は柳原義光の異母妹らしいけど、白蓮事件というみたいだけど、歌人で結婚していた柳原白蓮は大正10年(1921年)に失踪して恋仲だった男性と駆け落ちしたようだ。
  
 昭和8年(1933年)に不良華族事件という華族の人たちの恋愛不倫事件があって、柳原義光の娘の徳子はダンスホールの主任教師に女性客を斡旋していたようだ。ダンスホール事件ともいうらしい。柳原義光は、その前に男色相手の男に手切れ金を脅し取られる事件が発覚したらしい。
 
 白蓮事件で柳原家は世間を騒がせたということで柳原義光は議員辞職に追い込まれ、「先帝に畑を提供した」とか「やめてやるから金をくれ」みたいな暴言を放ったようだ。詳しいことは、わからないけど、ウィキペディアに、そう載ってる。
 
 明治天皇に畑を提供したんだってさ、柳原家は。
 
 明治神宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

東京

2024-01-29 23:12:20 | 日記
 江戸時代の藩も怪しいし、江戸城には、どういう人たちがいたんだろう?。
 
 徳川家の菩提寺は東京に天台宗の寺の寛永寺と浄土宗の寺の増上寺と2ヶ所あるみたいだけど、寛永寺の山号は東叡山で、増上寺の山号は三縁山で、増上寺は三縁山広度院増上寺というらしい。
 
 ウィキペディアで調べると、増上寺には徳川幕府の2代目の将軍の徳川秀忠の霊廟の台徳院霊廟があって、太平洋戦争の時に焼失して、昭和33年(1958年)に新築されたらしい。その時に徳川秀忠の遺骨は調査が行われたらしく、圧し潰されたようなかんじになってたらしい。徳川幕府の話も怪しいんだけど、誰の遺骨なんだろう?。
 
 寛永寺と増上寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

静岡

2024-01-29 22:51:29 | 日記
 徳川幕府って本当にあったの?。
 
 明治維新の後の徳川家は田安徳川家の人が継いでいて、徳川家達という人が継いだようだ。徳川家達は貴族院の議員になって、明治36年(1903年)から昭和8年(1933年)まで貴族院の議長を務めていたようだ。徳川家達は第一次山本内閣の後に総理になる話もあったらしい。徳川家達は昭和15年(1940年)に亡くなったらしい。次の徳川家の徳川家正は徳川家達の息子で、徳川家正の時に華族制度が廃止になったようだ。
 
 田安徳川家は徳川家達の弟の徳川達孝が継いだらしい。徳川達孝は昭和16年(1941年)に亡くなったらしい。次の田安徳川家の徳川達成は徳川達孝の息子で、徳川達成の時に華族制度が廃止になったようだ。
 
 徳川幕府の最後の将軍の徳川慶喜は水戸徳川家の出身ということになってるようだけど、ウィキペディアで調べると、徳川慶喜は明治維新の後は静岡県に移住して、幕府の関係者だった人たちにも、ほとんど会わず、趣味に没頭した生活を送っていたようだ。静岡にいた時の徳川慶喜は経済的にも徳川家達の管理下に置かれ、立場も徳川家達のほうが上だったようだ。
 
 徳川慶喜は明治30年(1897年)に東京に移住し、東京に引っ越してからは明治天皇に会ったり、皇太子だった大正天皇とも交遊を深めたようだ。徳川慶喜は明治35年(1902年)に公爵になり、徳川家の本家とは別で徳川別家を興し、公爵になったことで貴族院の議員にもなったようだ。徳川慶喜は明治43年(1910年)に家督を譲って隠居し、大正2年(1913年)に亡くなったらしい。
 
 静岡県静岡市にある久能山東照宮は徳川幕府の初代将軍の徳川家康の墓所でいいんだろうか?。徳川幕府の話も嘘臭いんだけど、誰の墓所なんだろう?。
 
 久能山東照宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

日光

2024-01-29 22:47:06 | 日記
 羽黒山ですか・・・。
 
 山形県にある出羽三山は月山と羽黒山と湯殿山。月山神社と湯殿山神社は冬は行けないので、羽黒山に三神合祭殿がある。羽黒山は江戸時代の始めに天宥という僧が再興したことになっていて、羽黒山の開祖を蜂子皇子としたのも天宥ということになってるらしい。天宥は羽黒山の再興のために徳川家に仕えていた天台宗の僧の天海の弟子にもなったらしいけど、やり方が強引で反感を買ったらしく、流罪にされてしまったらしい。本当か知らないけど・・・。羽黒山には天宥社がある。羽黒山には東照社もある。
 
 羽黒山は蜂子皇子が開いたことになっていて、蜂子皇子は能除仙や能除太子ともいわれるらしい。羽黒山も明治維新の後の廃仏毀釈が凄かったらしいけど、本当か知らない。羽黒山には蜂子神社があって蜂子皇子像があるけど、明治時代の前は五重塔の中に収められていたらしく、廃仏毀釈を逃れるために蜂子神社を建てて、奥に祀ったらしい。何年か前に初の御開帳があって、行ってきた。
 
 羽黒山の門前町に手向という地区があって、宿坊がまとまってある。手向に正善院という修験寺院があって、羽黒山が明治時代に神道になる時、いつでも以前の修験道に戻れるようにと修験寺院のまま残ったらしい。そう言ってた。正善院も東北三十六不動尊霊場の札所になってる。
 
 栃木県日光市にある日光東照宮と日光二荒山神社と輪王寺は江戸時代は一緒になってたようだけど、本当か知らない。徳川幕府って本当にあったの?。
 
 日光東照宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

日光

2024-01-29 22:45:40 | 日記
 湯殿山ですか・・・。
 
 山形県の庄内地方に即身仏が6体いらっしゃって、みんな、会ったことがある。即身仏には片目が無い人がいて、当時、眼病が流行していて、眼病平癒のために目を捧げたらしい。即身仏になった人たちは、みんな、湯殿山で修行したことになってるけど、本当に、みんな、自分の意思で即身仏になったんだろうか?。
 
 湯殿山には大日坊と注連寺があって、どっちも行ったことがある、大日坊は真言宗豊山派で、注連寺は真言宗智山派のようだ。大日坊も注連寺も山号は湯殿山のようだ。湯殿山は空海が開いたことになってるらしい。大日坊に行くと、お坊さんの説明があって、湯殿山神社は明治時代の前は湯殿山の修験寺院の奥の院だったらしい。湯殿山も明治維新の後の廃仏毀釈が凄かったらしい。たぶんだけど・・・。
 
 大日坊のHPを見ると、湯殿山総本寺と書いてあって、瀧水寺大日坊とある。大日坊は徳川家の祈願寺だったらしく、春日局が来たらしい。本当か知らないけど・・・。大日坊には徳川家の奉納といわれる大日如来像がある。大日坊は東北三十六不動尊の札所になってる。
 
 栃木県日光市にある日光東照宮と日光二荒山神社と輪王寺は江戸時代は一緒になってたようだけど、本当か知らない。輪王寺には徳川幕府の3代目の将軍の徳川家光の墓所の大猷院があるらしいけど、ここが明治天皇の墓所の気がしたんだけど、まったく自信が無くなってきたなあ。
 
 輪王寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか