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岩手発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

平泉

2025-08-30 22:03:04 | 日記
 坂上田村麻呂の征夷の話も嘘の気がするけど、田村丕顕って人は直接関わってるとしか思えないんだよなあ。
 
 太平洋戦争の終戦時の日本の総理大臣の鈴木貫太郎も海軍の軍人だったみたいだし、海軍ってヤバいよね?。
 
 坂上田村麻呂の征夷の話も嘘の気がするけど、坂上田村麻呂の敵の蝦夷には安倍高丸や悪事の高丸や大嶽丸という人が登場するようだ。東北だけじゃなく、日本各地に坂上田村麻呂伝説があるみたいだけど、字は違っても高丸という人が登場することが多いようだ。
 
 岩手県一関市にあった田村藩の田村氏は坂上田村麻呂の子孫ということになってる。田村藩は伊達藩の中にあって、1つの藩のような扱いを幕府から受けていたらしい。田村氏は戦国時代は福島県の三春町にいて、戦国時代の終わり頃に途絶え、伊達政宗の妻の愛姫が田村氏の出身ということになっていて、伊達家が再興したことになってる。田村氏は伊達騒動の後に一関に来たことになっていて、一関に来る前は宮城県の岩沼市にいたらしい。 
 
 戊辰戦争の頃の田村藩の田村氏の田村邦栄は角田石川家から養子で入った人で、田村邦栄は戊辰戦争の後に弟の田村崇顕に家督を譲ったみたいだけど、明治15年(1882年)に再び家督を継いで、明治20年(1887年)に亡くなったらしい。田村崇顕も角田石川家から養子で入った人で、田村崇顕は大正11年(1922年)に亡くなったらしい。
 
 次の田村氏の田村丕顕は田村邦栄の息子で、明治33年(1900年)にアメリカのアナポリス海軍兵学校を卒業して、帰国後は海軍に入ったようだ。田村丕顕は大正14年(1925年)に予備役になり、その後は軍事普及事務嘱託や岩手県立六原青年道場道場長や大政翼賛会岩手支部常務委員や岩手県翼賛壮年団団長を務めたらしい。田村丕顕は昭和20年(1945年)に亡くなったらしい。田村丕顕の息子の田村良顕が継いだようだけど、それ以上わからない。
 
 一関市の隣の平泉町に達谷窟毘沙門堂があって、坂上田村麻呂が悪路王を倒したという伝説がある。達谷窟毘沙門堂には達谷西光寺という別当寺があって、達谷西光寺は天台宗の寺だ。坂上田村麻呂の征夷の話も嘘の気がするけど、田村丕顕って人は直接関わってるとしか思えないんだよなあ。
 
 達谷窟毘沙門堂ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

田村

2025-08-30 21:56:04 | 日記
 頭を殴られてるような頭痛がする。日本の歴史は嘘の気がするし、明治維新の話も嘘の気がするけど、怖ろしいなあ。
 
 諏訪大明神絵詞というものがあるらしく、征夷大将軍だった坂上田村麻呂は長野県の諏訪大社に戦勝祈願してから東北に来たことになってるらしい。ウィキペディアを見ると、諏訪大明神絵詞には坂上田村麻呂の敵の蝦夷は安倍高丸や安倍氏悪事の高丸と記されてるらしく、平安時代に岩手県にいた安倍氏は高丸の子孫とも記されてるらしい。
 
 坂上田村麻呂の征夷の話も嘘の気がするけど、坂上田村麻呂の敵の蝦夷には安倍高丸や悪事の高丸や大嶽丸という人が登場するようだ。東北だけじゃなく、日本各地に坂上田村麻呂伝説があるみたいだけど、字は違っても高丸という人が登場することが多いようだ。
 
 岩手県一関市にあった田村藩の田村氏は坂上田村麻呂の子孫ということになってる。田村藩は伊達藩の中にあって、1つの藩のような扱いを幕府から受けていたらしい。田村氏は戦国時代は福島県の三春町にいて、戦国時代の終わり頃に途絶え、伊達政宗の妻の愛姫が田村氏の出身ということになっていて、伊達家が再興したことになってる。田村氏は伊達騒動の後に一関に来たことになっていて、一関に来る前は宮城県の岩沼市にいたらしい。 
 
 戊辰戦争の頃の田村藩の田村氏の田村邦栄は角田石川家から養子で入った人で、田村邦栄は戊辰戦争の後に弟の田村崇顕に家督を譲ったみたいだけど、明治15年(1882年)に再び家督を継いで、明治20年(1887年)に亡くなったらしい。田村崇顕も角田石川家から養子で入った人で、田村崇顕は大正11年(1922年)に亡くなったらしい。
 
 次の田村氏の田村丕顕は田村邦栄の息子で、明治33年(1900年)にアメリカのアナポリス海軍兵学校を卒業して、帰国後は海軍に入ったようだ。田村丕顕は大正14年(1925年)に予備役になり、その後は軍事普及事務嘱託や岩手県立六原青年道場道場長や大政翼賛会岩手支部常務委員や岩手県翼賛壮年団団長を務めたらしい。田村丕顕は昭和20年(1945年)に亡くなったらしい。田村丕顕の息子の田村良顕が継いだようだけど、それ以上わからない。
 
 一関市にある祥雲寺という臨済宗の寺に田村氏の墓所がある。山号は大慈山のようだ。坂上田村麻呂の征夷の話も嘘の気がするけど、田村丕顕って人は直接関わってるとしか思えないんだよなあ。
 
 祥雲寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

お祓い

2025-08-30 19:52:33 | 日記

曹洞宗

2025-08-30 19:49:39 | 日記

 

 

 

 
 岩手県の金ヶ崎町に永徳寺という曹洞宗の寺があって、山号は報恩山だ。永徳寺は南北朝の時代に創建された寺で、往時は末寺が400以上あったともいわれ、関東のほうや静岡県や新潟県のほうにも末寺があったらしい。本当か知らないけど・・・。永徳寺は平成になって再建された本堂があって、広い敷地が広がってるぐらいで、行っても特に何も無い。
 
 永徳寺は道叟道愛の創建ということになってる。道叟道愛は久米氏の出身で、秋田県の美郷町の出身といわれてるらしい。六郷町は合併して美郷町になってる。道叟道愛は東北各地を布教して歩いたことになってるらしく、青森県の鰺ヶ沢町に道叟道愛が開いた高沢寺という寺があるらしく、道叟道愛は高沢寺で亡くなったという説もあるようだ。高沢寺の山号は滝広山のようだ。
 
 金ヶ崎町の隣の奥州市に正法寺という曹洞宗の寺があって、山号は大梅拈華山だ。正法寺は南北朝の時代に創建された寺で、江戸時代の前まで曹洞宗の第三本山で東北大本山だったらしい。本当か知らないけど・・・。正法寺は無底良韶が開いたことになっていて、永徳寺を開いた道叟道愛は正法寺の第三世になってる。正法寺は今でもお坊さんが修行する寺で、日本一の茅葺屋根の本堂があって、観光ガイドにも載ってる。
 
 曹洞宗の大本山は福井県にある永平寺と神奈川県にある總持寺で、神奈川県横浜市に總持寺があって、山号は諸嶽山のようだ。總持寺は明治44年(1911年)に石川県輪島市から神奈川県横浜市に移ったらしい。本当か知らないけど・・・。輪島市に總持寺祖院があるらしい。横浜に移った時の總持寺の貫首は石川素童という僧で、明治38年(1905年)に總持寺の貫首になったようだ。石川素童は大正9年(1920年)に亡くなったらしい。
 
 曹洞宗では道元禅師を高祖として、瑩山禅師を太祖としているらしい。總持寺は瑩山禅師が開いた寺で、總持寺の第二世が峨山禅師で、峨山二十五哲という峨山禅師の高弟の人たちがいて、正法寺を開いた無底良韶は峨山二十五哲の一番目で、正法寺の第二世の月泉良印は峨山二十五哲の十三番目で、正法寺の第三世で永徳寺を開いた道叟道愛は峨山二十五哲の十六番目だそうだ。
 
 總持寺も總持寺祖院も三宝荒神が守護神のようだけど、總持寺の第三世の太源宗真が祀ったらしい。太源宗真は峨山二十五哲の二番目らしい。
 
 天皇ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

鶴岡

2025-08-30 19:47:17 | 日記

 

 

 

 

 

 

 
 山形県鶴岡市に善宝寺という曹洞宗の寺があって、山号は龍澤山だ。善宝寺のHPを見ると、龍王尊祈祷道場とあって、善宝寺は曹洞宗の寺でも祈祷をする寺で、善宝寺では龍王講があるらしく、HPを見ると、明治44年(1911年)に始まったらしい。
 
 善宝寺の龍王殿の正面の菊の紋の奥は有栖川宮家の御霊牌所になってるらしい。有栖川宮熾仁親王は王政復古の大号令で成立した新政府で最高職の総裁に就き、戊辰戦争では東征大総督に就き、西南戦争では鹿児島県逆徒征討総督に就いたらしい。本当か知らないけど・・・。有栖川宮熾仁親王は明治27年(1894年)に亡くなったらしい。有栖川宮熾仁親王の弟の有栖川宮威仁親王が跡を継いだようだけど、有栖川宮威仁親王は海軍の軍人で、有栖川宮威仁親王は大正2年(1913年)に亡くなったらしい。有栖川宮家は有栖川宮威仁親王で途絶えたらしい。
 
 有栖川宮家は大正天皇の息子で昭和天皇の弟の高松宮宣仁親王に引き継がれたらしく、高松宮は有栖川宮の旧宮号らしい。本当か知らないけど・・・。
 
 曹洞宗の大本山は福井県にある永平寺と神奈川県にある總持寺で、神奈川県横浜市に總持寺があって、山号は諸嶽山のようだ。總持寺は明治44年(1911年)に石川県輪島市から神奈川県横浜市に移ったらしい。本当か知らないけど・・・。輪島市に總持寺祖院があるらしい。横浜に移った時の總持寺の貫首は石川素童という僧で、明治38年(1905年)に總持寺の貫首になったようだ。石川素童は大正9年(1920年)に亡くなったらしい。
 
 總持寺は明治時代の前は輪番制といって5つの塔頭から交代で住職を出していたらしいけど、明治時代になってからは独住といって1人の僧が住職を務めているらしい。本当か知らないけど・・・。諸嶽奕堂という僧が總持寺の独住の第一世らしい。独住と貫首は一緒でいいんだろうか?。ウィキペディアを見ると、諸嶽奕堂は善宝寺で亡くなったことになってる。
 
 天皇ですか・・・。
 
 
 火をつけるか